ハロウィーン・パーティ HALLOWE’EN PARTY アガサ・クリスティ 中村能三訳

1969年のハロウィーン・パーティ。オリヴァ夫人の企画モノは「二度とごめんだわ」(「死者のあやまち」事件)の言葉もむなしくパーティで少女が殺されました。ポワロは18年前の別事件の友人を頼りに捜査を開始します。オリヴァ夫人がリンゴを食べられなくなりました。

「ハロウィーン・パーティ」のあらすじ

69年の晩秋ポワロに電話が入ります。オリヴァ夫人からでした。

彼女が参加したハロウィーン・パーティで少女がリンゴの早食い競争用のバケツに顔を押し付けられ溺死させられたのです。

少女はパーティ準備中に「わたしは人殺しを見た」と発言していました。

しかし誰もその発言に注意を払いませんでした。少女はうそつきで有名だったからです。しかし持ち前の女の直感で事件との関連があると判断したオリヴァ夫人はポワロに相談したのです。

ポワロは事件の起きたウドリー・コモンという地名に馴染みがありました。

そこには1951年、ともに死刑確定の人物の冤罪を証明した高級警察官スペンス元警視が住んでいたのです。

再会したスペンス元警視はポワロの頼みを快諾、町の事情に詳しい彼の妹エルスペスも捜査に協力するよう手はずを整えます。

ポワロは果たして少女の話は本当か、だとしたらどんな殺人事件を少女が目撃したのか、雲を掴むような段階から捜査を開始します。

晩年の読みごたえのある作品です。

過去の事件もところどころ顔を出します。「マギンティ夫人は死んだ」(51年)のスペンス警視が本作「ハロウィーン・パーティ」での相棒です。

ポアロが特異な石切場館の庭園で思い起こすのは「ヘラクレスの冒険」のエピソード、被害者少女の通っていた学校の校長先生ミス・エムリンは「鳩のなかの猫」(59年)に登場したメドウバンク校長ミス・ブロストロードと親しい間柄というサービス満点。

そしてオリヴァ夫人が思い出した13年前の「死者のあやまち」(56年)事件です。

しかし物語でポワロに与えられたヒントはウソかホントかわからない被害者少女の殺人を目撃したという言葉のみです。

ヒントは非常に少なく事件の解決は不可能に思えます。ミス・マープルの「復讐の女神」(71年)級の難解な事件です。

「ハロウィーン・パーティ」の時代背景と転換期の大雑把なその後

1969年の作品です。当たり前ですが60年代の最後のポワロ作品です。クリスティは79歳です。とてもそうは思えない好奇心です。

1969年はカウンター・カルチャーと国家パワーがクロスオーバーした年です。

アメリカではウッドストック、イギリスではビートルズはほぼ解散状態、ローリングストーンズは脱退したブライアン・ジョーンズがプールで溺死します。

本作品ではLSD、麻薬などがでてきます。モードはミニスカートからマキシスカートへという一般男性には残念な感じに流れつつあります。くたびれたオッサンには関係ありませんが。

イギリスはこれからさらに経済は酷くなります。今までも十分酷かったのですがそれがさらに進みます。

70年代に入ると政治も経済も犯罪もなにもかもカオス化していくように見えます。そのため翌年クリスティは「フランクフルトへの乗客」(70年)で過度とも思える全世界的なアナーキズムの蔓延を懸念するのもやむをえないでしょう。

全世界的にもすごかったですから。ベビーブーマーは。

それがイギリスでは先鋭的なパンク・ムーブメントへとなっていきますが、当時はそれどころではない状況です。

これは北海油田が発見されてイギリス経済が復興して過去と現在の文化が安定して共存し真の自信を取り戻すことできるようになるまで、大ストライキ、フォークランド紛争、東西の壁の崩壊と90年代過ぎまで待たねばなりません。長過ぎです。

90年間くらいイギリスは不況です。イギリスの戦後の政策は経済面では失敗したといえるでしょう。

そしてまた去年やらかしたかもしれません。まだわかりませんけど。

欧州全体としては前年にプラハの春とよばれる人の顔をした社会主義を標榜したチェコ・スロバキアの政権がソ連ブレジネフ書記長によるワルシャワ条約機構の軍事介入により踏み潰されます。

むちゃくちゃです。その余韻はこの年以降も続きます。

西側で忘れてはいけないのがアメリカのベトナム戦争です。こちらはむちゃくちゃを通り越しています。

大統領に就任したニクソンは撤退を表明しますが実際はインドシナ全体に拡大していきます。この年に前年のソンミ村の虐殺がバレます。

帰国した復員軍人は誰彼かまわず赤ん坊殺しと呼ばれ社会情勢に暗い影を落とします。

さらに戦争生活と帰国後の生活のギャップはムカシのシェルショックどころではありません。アメリカは70年代中この病いと向かい合わなければなりません。

気分が落ち着くには双子の赤字のなかブルース・スプリングスティーンが「ボーン・イン・ザ・USA」で頑張った人々の苦難を歌い終わり東西の壁が崩れネットが一般化するまで続きます。

パワーバランスの一翼を担いつつ国益を考えなきゃならないのはきついですね。

極東の我が国は安保です。この年を境に高度成長のイメージは減速して大阪万博以降の70年代になると左翼イデオロギーの一部は変質が表に出てテロの時代に突入します。

とはいっても全世界に顰蹙をかった「ノーキョー」を知らしめるようになったお気楽ツアーは続き、安保にゲンナリしてる若者は浮浪者のようなバックパッカーとして各国日本大使館から厄介者扱いを受けます。

しかし彼らが世界に日本の文化のタネをまきます。遅咲きのフラワーチルドレンと言えなくもないです。

オイルショック、輸入の規制緩和とアメリカに国家として生かさぬように殺さぬように、でもひとり立ちするようにうながされ日本はバブルまで不況です。

世界でもっとも成功した社会主義と言われていたアメリカの庇護にあった我が国はデッドコピー自由主義としょうがなくグローバルしていくなか、トラディショナル的にと言うべきかナショナリズム的にと言うべきか、まあ、以前の日本的には衰退していっているようですがとりあえず善戦しているといっていいかもしれません。でもないか。

そのうちなんとかなるだろうです。むりか。経済も思想もとってつけただけじゃうまく機能しなそうです。地域の文化とか伝統とかの相性があるのかもですね。

汎地球主義、グローバリズムは必然ですが、文化は単純にフラクタルな感じではいかないということですか。

さがしものはなんですか?1969年という年。

クリスティが70年代にも作品を残しておいてくれてわたし達はラッキーでした。

ドラッカー氏も2005年まで生存していてくれましたので19世紀の香りはとりあえず21世紀の現在まで漂っています。

「ハロウィーン・パーティ」でクリスティはこの時代にE・S・P(エクストラセンサリパーセプション)という舌を噛みそうな言葉をハロウィーンの少女に語らせます。

当時こんな言葉はまだ我が国では誰も聞いたことがないボキャブラリーです。まるでアホダラ経です。このミステリで知った読者も多かったのではないでしょうか。

今では死語となりつつありますが、10年近く後でも人口に膾炙(かいしゃ)してるとは言いいがたかったのではないでしょうか。

それをここではJC少女が・・・いともカンタンに・・・。

それでもこの時代の「ハロウィーン・パーティ」でE・S・Pなどの新語のほかにトラデショナルでホームメイドっぽいパーティ風景が出てきて安心します。

子供達が妖精を信じたり鏡に映る将来の彼氏を夢見たりと準備にいそしみイイカンジです。そうでもないか。

これがタトゥをいれて15歳すぎて「トリック・オア・トリート!」と叫んでテキーラを飲んで放火三昧だったり暴れていたりはエンドです。

何事も卒業すべき頃合いがあります。他人のこと言えませんが。

また、染色体だの遺伝子だのの言葉も出てきます。こんなの一般には当時まだまだぼやけた言葉だったはずです。

オリヴァ夫人

ただひとりオリヴァ夫人だけがパーティの準備に気を入れないで手伝い、感謝祭(移動祝祭日)と万聖節(10月31日)と万霊節(11月2日)の日にちに迷い、りんごには迷わずかぶりつきます。

辺りの子どもらはうるさいだけです。誰が誰だかも興味ありません。逆に言うと大人だ子どもだと差別しません。

この方はどちらかというとこちら側です。

その上コンピューターだのプログラミングだのの言葉がオリヴァ夫人の口から飛び出します。

当時そんな言葉を知っているのはある程度いたでしょうが比喩で使用できるのは限られたひとだけだろうと思います。

その後のポピュラーなプログラミング言語Cはまだ開発されていないしニーモニックがオリヴァ夫人が理解できるとは思えませんので、彼女が指しているプログラミングとはもっぱらフローチャートでしょう。

わかりませんが。クリスティですし。FORTRANかもです。

でもオリヴァ夫人なら納得です。

更に人類にとって特筆すべきは、この年アメリカでは偉業アポロ計画で月面への有人着陸を成功させます。静かな海ですね。

今から48年前です。

全世界の英知が集められたと計画いっても過言ではありません。そのため様々な技法技術が開発されました。

多種多様な人種の英知を効率的に運用するための「システム」という思考方法、そのプログラミングなどです。

当時のNASAでは機械語で会話している職員がいるとかの伝説をその後きいたことがあります。

余談ですがインテルは前年できたばかりです。日本企業ではアポロ計画でニコン、ソニーなどが世界に名前を売りました。アップルはまだです。ビッグ・ブルーと呼ばれたIBMの時代です。

また被害者少女にオリヴァ夫人の近著「瀕死の金魚」では血がどばっと出ないからつまらないと言われます。

それに対して「少し不潔ね」と答えます。「そう思わない?」とつけ加えて。

タイトルといい答えといいさすがですね。それとオリヴァ夫人は金魚系のタイトルが多いですね。

文化の変容と変わらないもの

ポワロとスペンス元警視が現在の男女のお付き合いを取り巻く状況を憂いています。

ムカシは親兄弟含め親戚によるセーフティがあったのに現在では誰も彼女が誰と付き合っているか知らない。

兄弟は姉妹のお相手を知っていても姉妹をバカにすることしか考えていない。

心配して反対したら反対したで勝手に結婚許可証を手に入れる。悪い男だと証明するとイロイロ問題が出て来て事態はややこしくなる。いやはや。

いやさすがクリスティですね。よくご存知です。しかしスゴ過ぎです。来年は傘寿ですよ。

さらにこの年イギリスでは1969年児童少年法という子どもに対する法律ができます。

施行は71年ですが。クリスティのミステリに限らずよく知られた犯罪者収容施設ブロードムーア病院は満杯の予感です。

この「ハロウィーン・パーティ」でも性犯罪を疑われたりするのは社会の犯罪の変容かも知れません。

もしポワロやミス・マープルが生きていたら遺産目当てというより欲望を満たすためのサイコパス系を作品の大部分で相手にするハメになったでしょう。

それでも我らが名探偵は迷わず正義を実行したと思います。両人ともかなり相手にしてますし。

クリスティのミステリを読むことは現代ではサイコパス系の人々への最大の防御といえるかもしれませんね。

クリスティは「カーテン」(75年)でポワロとサイコパスの死闘を通してどのように彼らの狙いを回避すべきかをわたし達に示唆してくれています。

ポワロ、クリスティの男性観 ネタバレ

これはネタバレ気味になります。気になる方は読まないでください。

ポワロは18歳と16歳の少年ふたりを一人前の男として認識します。多少キョどっていますがふたりはもっと上の世代の社交クラブに所属しているような立ち居振る舞いだったからです。

チャラいカッコでもあります。しかしその服も親の金ではなく自分で稼いで購入したのだと注意を払います。自分の足で立っていると思ったのでしょう。

警察が昨今での犯人に当てはまりそうな未成年の有力な容疑者であると目していてもポワロは自分の眼力を信じます。

つまり彼らを信じます。

そして最後に学校長のミス・エムリンに確認します。ふたりは信頼に値するかと。

満足いく答えを得たポワロはふたりにスゴイ責任を委ねます。

これはクリスティがそうしたかったのかもしれません。今の若いヤツを表面だけで判断するなよと。まだまだ捨てたもんじゃないんだぜと。

たまりませんな。これは当時のティーンエイジャーの読者は欣喜雀躍して喜んだでしょう。すいません。表現が古いです。

ロバート・B・パーカーの「初秋」だったか「晩秋」だったかに、「ムカシ人は早くオトナになった」というくだりがあります。

彼らふたりニコラス・ランサムとデズモンド・ホランドはそういうムカシのふたりだとクリスティに認められたのでしょう。彼らはポワロの依頼をきっちりやり遂げます。

「ハロウィーン・パーティ」のまとめ

時間も場所も幻想的です。

この「ハロウィーン・パーティ」が出た当時、ハロウィンは鶴書房の「スヌーピーとチャーリーブラウン」のシリーズは出版されておりライナスのカボチャ大王も有名だったので知っているひとはいました。がナショナルスクールくらいか米軍基地くらいでしかお祭りはなかったと思います。ホラー映画もまだだったし。

しかもどちらかというとアメリカの風俗なカンジでした。ワタシにとっては。

もともとはケルト人の祭事ですから、本来、英国あたりが本家でしょう。

<石切場館><石切場庭園><石切場の森>をアートのように改造する光景。

これらのあまり美しくない印象の単語からポワロはかつて観た小島の庭園のヴィジョンを思い出します。

ここらもケルト的、アイルランド的と言えるかもしれません。W.Bイエイツのイニスフリー湖の小島みたいではないですが。

またクリスティは「忘られぬ死」(45年)でもハロウィーンを神秘的に扱っています。

が、子どものお祭りとしてまた風俗として現代的に描かれているのは本作でしょう。

でも、このミステリの現実の犯人はキテます。

なんせ子どもをいともカンタンに殺してしまうんですから。自分の意図することを行うために。

どっかトランスに入っています。しかし冷静な殺人鬼です。ろくでもない悪魔です。

「ハロウィーン・パーティ」は時代の変化をうかがわせますが本質的に妖精譚などのロマンチックな雰囲気が濃厚に漂うファンタジックなミステリです。

それは舞台となるウドリー・コモン全体をおおいきわめて幻想的です。なかでも頭が良く礼儀正しい少女ミランダ・バトラーはまるで妖精そのもののようです。彼女はキュウリのサンドイッチを持ってきます。

「ハロウィーン・パーティ」は晩年のクリスティ作品として静謐でゆっくり味わうのにふさわしいミステリです。

オリヴァ夫人がいなければ神隠しにあいそうです。

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