もの言えぬ証人 DUMB WITNESS アガサ・クリスティ 加島祥造 訳

1937年のヴィクトリア朝時代の人物ミステリです。セント・メアリ・ミードにポワロが光臨したようです。犬人物造形の彫り込みが見事のひとこと。幕末明治の人はこんなんだったのかとボブと一緒に唸ります。ボブはテリアです。「カーテン」までヘイスティングズ大尉とはお別れです。

「もの言えぬ証人」あらすじ

ある朝ミス・エミリイからポワロのもとにヴィクトリア朝時代の権化のような手紙が届きます。

おりから帰国中のヘイスティングズは変わり映えしない手紙にポワロが興味を持ったのに気づきます。

その手紙の書かれた時期と配達時期に二ヶ月の誤差があったのです。

急きょあて名の主エミリ・アランデルの住むマーケット・ベイシングへ向かうふたりですがすでにミス・エミリイは病死していました。

そしてエミリイの遺産は血のつながりのないひとりの家政婦に全額遺贈されていました。

まずテリアのボブの毛並みは白です。すいません。写真がありませんでした。

ポワロとヘイスティングズは聞き込みを始めます。基本的には一文のトクにもならない事件です。

しかしポワロが興味を示しふたりのコンビはプロ根性で粘り強く行動します。少し趣味性もあるのでしょうが、ウソとハッタリの聞き込みです。

聞き込みから人物像を推理して心理を分析、解決の糸口をつかむクリスティの才能の真骨頂を見せつけるタイプのミステリです。面白いです。

この事件の頃はポワロの名声は高く有名人です。

「もの言えぬ証人」時代背景

同年の「ナイル殺人事件」前年の「ひらいたトランプ」を参考にしてください。

ヴィクトリア朝の人物の特徴とは?

ポワロがそうなんですが、あいにくベルギーのひとです。

でクリスティの有名人のもう一方の雄というか雌、

ミス・マープルですね。それと彼女のお仲間たちで見てみましょう。

セント・メアリ・ミードでのお友達のドリー・バントリー夫人。(「書斎の死体」(42年)「鏡は横にひび割れて」(62年))

彼女は上流階級の推理好きな女性です。ミス・マープルに全幅の信頼を置いています。ミス・マープルも期待にこたえます。

それと「動く指」(43年)でリムストック村の異変の重大さを見極めミス・マープルを召喚した変人扱いの牧師の妻カルスロップ夫人。

ミス・マープルが周囲の彼女に対する変人という評価とは異なる正当な人物評価した女性です。

「魔術の殺人」(52年)に登場したライドック夫人、キャリィ・ルイズ姉妹。

彼女らとジェーン・マープルはイタリア女学校時代の同期です。意気に感ずる方々です。

ラストでキャリィ・ルイズの養女ジーナが感嘆と畏怖を込めてミス・マープルたちの失われたヴィクトリア朝の行動様式をこのように口にします。

「おばさまがたの若い時代は。どうしてみな同じに見えるのでしょう。あたしには想像がつかない」と。

ミス・マープルはこう答えます。

「はるかに遠くすぎさった日のことですもの」

ヴィクトリア朝の少女たちの友情が厚いミステリです。

そして「フランクフルトへの乗客」(70年)に登場した主要登場人物レディ・マチルダ夫人と妄想にとりつかれたシャルロッテ・フォン・ヴァルトザウセン伯爵夫人。

この作品ではレディ・マチルダはヴィクトリア朝の傑作と言われています。

エミリイ・アランデルとキャロライン・ピーボディの場合

エミリイ・アランデル

被害者です。

自分の考えの経過を口に出さない。口に出したときは決定したとき。

専制的で傲慢だが驚くほどこころの温かい持ち主。

口先は辛らつだが行動は親切。外面は感傷的だが内面は抜け目がない。

毒舌を浴びせるが待遇は寛大で強い責任感をもつ人物です。

男のほうを女より評価し尊敬します。

これはミス・マープルでのラフィール氏そのものですね。「カリブ海の秘密」(64年)「復讐の女神」(71年)に登場した成り上がりの大富豪です。

ミス・マープルが最上級で認めた男です。

ポワロではこのエミリイ・アランデルです。

肉屋に舐められてはいかんとしっかり注文をつけます。

「根っからの気のせいだ!馬鹿げた想像だ!」

エミリイ・アランデルは呟いた。

しかし、彼女の鋭い堅固な分別心は一瞬たりともこのような言い訳を認めようとはしなかった。健全かつ頑固なヴィクトリア朝時代に育った人間は、恐ろしいことにわざと目をつむる楽天主義を持ち合わせない。彼らは最悪のことがらをもたじろがずに平気で見つめることができるのである。

慧眼の持ち主です。冷徹に事実のみを見つめる訓練がされています。

これはヴィクトリア朝人のデフォルトですね。共通してます。

そしてくもの巣状の手紙を書きます。これは達筆ということでしょう。まさかレタリングじゃないとは思いますが。

いずれにしろヘイスティングズ大尉は辟易して大叔母のメリーがこんな字を書いていたが、とうんざりします。

ポワロはたいへんな女だね、と評価します。

凄まじい意匠を凝らした傍線が多数引かれています。

かなり読みづらい文章ですね。気迫が伝わってきますが。わたしの母もこんな文面だったような。赤線が引かれていたりとか。年のせいでしょうか。

向田邦子氏の「父の詫び状」では線一本です。

キャロライン・ピーボディ

エミリイ・アランデルの友人というかライバルというか好敵手というか独特の関係の人物です。

50年以上の友達関係で亡きエミリイの心情を代弁できる人物です。

クリスティも微妙に気を使っています。

非常に家名を重んじゴタゴタがあっても沈黙を守り、でも秘密はすべて知っているカンジ。

洞察力があり単なるゴシップ好きとは一線を画す知性を備えています。

インチキ伝記作家に化けたポワロも見抜かれます。

また鼻ひげをピンと横にはねた颯爽としたヴィクトリア朝の男子が好みです。

当然いまの時代(昭和十二年くらい)の男はでくの棒です。

ポワロの口ひげは好みじゃないようです。

がポワロは「実に頭の良いお婆さんだね」と感嘆します。

毛皮の盗難にあった裁判でもヴィクトリア朝式で勝利します。

笑い方に品の良さが見え隠れします。

「あんた、なかなか抜け目のない男だね!何もかもこそこそと片付けてしまってさ!死体再発掘はないし。醜聞ひとつ立たないじゃないかね。お上品なもんだよ!」

「とにかくね、あんたのためにこれだけは言っておきたいね。あんたはうまく、何もかもこっそりやりおおせたね。ほんとうにうまくしてくれたよ」

口は悪いですがエピソードで登場してポワロへの最大級の賛辞を送ります。

エミリイ・アランデルの心情を代弁しています。

ヴィクトリア朝の結論

ツンデレでやせ我慢という感じですか。

いや違うでしょう。

ヴィクトリア朝以外のひと

ヘイスティングズ大尉ですね。ロストジェネレーションのダメ世代です。

嫁に牧場経営を任せてロンドンに滞在しています。

オースティンの中古車で依頼人の家までドライブです。

運転中に「小男よ。忙しい一日だったね」の歌の一節を口ずさみます。これはもちろんポワロへの揶揄です。さすがに小声のようですが。

ミス・ピーボディがポワロの口ひげに言及したおり笑いをこらえているだけです。

今回の難事件ではとんちかんを連発します。仕方ないですが。ポワロにも少しアタマを使えみたいに言われてます。これもいつもですか。

他の登場人物もすべてふにゃふにゃしています。

ヴィクトリア朝偉大なりです。

「もの言えぬ証人」まとめ

アガサ・クリスティがもっともあぶらが乗った時期の作品群のひとつです。

前年の36年に「ABC殺人事件」「メソポタミヤ殺人事件」「開いたトランプ」事件と趣向を凝らした三作を発表、本作と同年に「ナイルに死す」、翌年「死との約束」(死海殺人事件)「ポワロのクリスマス」とバリバリ有名作品を連発します。

この時期エキゾチックなトラベルミステリも三作品固まってあります。

以降も有名作品目白押しです。ポワロもまだまだイケてます。

アガサ・クリスティは47歳です。

この時代、疾風怒涛のミステリの連発です。

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