1962年のセント・メアリ・ミードのミステリです。舞台はドリー・バントリー夫人の旧邸宅、「書斎の死体」の舞台になったゴシントン・ホールです。20年ぶりに脚光を浴びます。時代の移り変わりは牧歌的な村を容赦なく新興住宅地帯に変えていきます。非常に興味深いミステリです。
「鏡は横にひび割れて」のあらすじ
ゴシントン・ホールのかつての持ち主ドリー・バントリー夫人がセント・メアリ・ミードに戻ってきてミス・マープルと旧交を温めます。
アメリカ人の女優マリーナ・グレッグがあのゴシントン・ホールに住むことになりました。セント・メアリ・ミードもどんどん変わっていきますが、古くからの人々は昔のままです。
それでもやはり加齢による体力の衰えには勝てずミス・マープルはストレスを感じながら新しい時代の付添婦と付き合い、怠惰な庭師と折り合いをつけねばなりません。
古くからのかかりつけの医者ヘイドックはミス・マープルには汁のしたたるような殺人事件が必要だと言い放ちます。
そしてチャリティパーティがゴシントン・ホールでおこなわれた日、協会幹事の女性ヘザー・バドコックがカクテルを飲んで死亡します。
彼女はミス・マープルが転んで怪我をした時助けてくれた女性でした。
ドリー・バントリーからの正確な情報を元にセント・メアリ・ミードのジェーン・マープルが立ち上がります。
「鏡は横にひび割れて」の第一の見所はセント・メアリ・ミードの今昔です。またクラドック警部とミス・マープル、ドリー・バントリー夫人とミス・マープルの会話です。
イギリスがこの時期文化面や風俗、生活スタイルの転換期を迎えているのが如実にわかります。スーパーマーケット、ガラスケースの中の魚、新興の宅地、礼儀作法の変遷などまったく興味深い内容です。
医者もかわり機械で計測してカラーの大量生産の薬を処方するだけなどまったく現代の話といってもいいかもしれません。
また、アメリカ人の女優が引っ越してくるくらいの村にセント・メアリ・ミードは変わっています。
しかし「インチ」は「インチ」タクシーのままらしいですね。
ちなみにタイトル「鏡は横にひび割れて」はテニスンの「レイディ・オブ・シャルロット」からとられています。アルフレッド・テニスン卿の詩は他にアーサー王物語詩が「ポケットにライ麦を」(1953年)で、「軽騎兵隊の突撃」の詩が「謎のクィン氏」(1930年)、メアリ・ウェスト・マコット名義の「娘は娘」(1952年)で引用されています。
ちなみのテニスンは桂冠詩人と言われていますが、「桂冠詩人」の称号は王室御用達(役職)という意味らしいです。
「鏡は横にひび割れて」の時代背景
「書斎の死体」(42年)事件から20年です。1962年。
ビートルズ登場前夜といってもいい時代です。この「鏡は横にひび割れて」の前がアリアドネ・オリヴァ夫人の「蒼ざめた馬」(60年)です。
シックスティーズの初期作品はよくこんなにクリスティは風俗を描けたものだと感心します。
このあとポワロの「複数の時計」(63年)と続くのですがそこでも風俗と若い人々を主人公にすえてミステリを描いています。本当に舌を巻きますね。
この時期クリスティの作品のヴィクトリア朝は輝きを増していきます。
すごい勢いで変わっていく社会を芯のある昔のひとびとはモラルの手本となりまっすぐな背骨のように凛としています。
また東西の対立も深刻できわめて重要な局面を迎えていた時期であるのがそれぞれの作品の違いでうかがい知ることができるでしょう。
アメリカが放送衛星テルスターを打ち上げました。TVの衛星中継がはじめて行われます。
風俗の面では「蒼ざめた馬」(60年)を、政治面では「複数の時計」(63年)をご覧ください。
セント・メアリ・ミードの変遷と人々の移り変わり。移り変わらない人々。
ミス・ナイト。
こういう方、います。ムカシ学生時代のバイトでつねに「おれたち休憩に入ろう」といってバイトを交代で休憩にいれていた人物がいました。
なぜ、「われわれ」とか「おれたち」とか複数形を使うのかいぶかしく思っていました。イギリスにもいたのですね。しかも50年以上も前に。
これって微妙に上から目線ですよね、今考えると。まったく失礼かつ無神経かつムカツキます。
これはミス・マープルだけではなく出入りの手伝いのチェリー・ベイカーのような若い主婦にも同様に思われ、「クソババァ」と思われるくらいですし、現役のBBaであるミス・マープルにもほぼ「ババァ」と思われているような本当に失礼な「ババァ」です。
この「鏡は横にひび割れて」はこのババァ気質がキーポイントになり事件が展開します。
オヤジ気質やババァ気質ってなんなんでしょうかね。若いうちからそういう方がいますし。先天的なものなんでしょうか。
世の中のオーソリティのような顔で滔々と語りますよね、こういう方々。あ、自分のことかしら。語るに落ちるけど、よく。
そしてその気質がいかに危険なものであるか、「鏡は横にひび割れて」は示唆しています。
そしてすこし解せないのがクラドック警部の態度ですね。
訳文ではジェーンおばさんとか言っているくらいでムカシのセント・メアリ・ミードのハナシを聞かせてよとか言ってるのに、最初、事件が起きた現場がセント・メアリ・ミードだと知ったとき、ずいぶんムカシの知り合いだからもう死んでるかもとかミス・マープルのことをほのめかします。
いや、キミ、そんなに甘えてウイスキーアンドソーダ(ハイボールではなく)まで手ずから作ってもらうのならクリスマスカードくらい出しなさいよ、ジェーンおばさんに。
とオヤジ気質の私は思いました。
ドリー・バントリー夫人やヘイドック医師の理解、また古くからの店の人間が「ミス・マープルのアタマの鋭さが衰えているわけないだろ!」と思われている描写ではほっとしました。
ミス・ナイトの数が多すぎるとヤバいですからね。
「鏡は横にひび割れて」のまとめ
無神経な人々がいかにいらない事件をおこして不幸を撒き散らしているかとひとくくりで言えそうな事件でもあります。
またそんな偶然がイギリスの片田舎で生じる悲劇でもあるミステリです。
そして社会の変遷が非常にわかりやすく描かれ、またこれ現在にまったく当てはまるミステリです。全然50年以上前の話ではありません。
これはつい最近のハナシ、インターネットが一般的になる前のハナシ、ウインドウズ95の時代の話といってもいいかもしれません。あるいはADSL以前の話、テレホーダイやISDNの話です。
ハードディスクがギガ以前の話です。
私達は学ばなければなりませんね。この「鏡は横にひび割れて」はムカシバナシではないのです。
オヤジやババァは気をつけましょう。ヤバいです。