1942年、「鏡は横にひび割れて」事件が起こる20年前のゴシントン・ホールでの事件です。セント・メアリ・ミードを比べて読むと面白いかも知れません。ミス・マープルも住人もまだ若いです。「牧師館の殺人」事件のグリセルダも登場します。クリスティ全盛期のミステリです。
「書斎の死体」のあらすじ
ミス・マープルの親友ドリー・バントリー夫人はやはりミステリマニアです。
ある朝目を覚ますとハウスメイドが泣きながら訴えました。書斎に死体があると。
それを聞いたバントリー夫人はもっとも信頼できる有能な親友ジェーン・マープルに電話をかけます。
このうちで起きた事件を解決しようと。
その後、舞台はゴシントン・ホールの書斎からディンマウスのマジェスティック・ホテルに移り意外な展開になっていきます。
第二の殺人が発生するのです。関連性が薄いようにみえるふたつの事件は残忍な事件であることがミス・マープルにより暴かれていきます。
上流階級の殺人事件です。
ドリー・バントリー夫人のダンナであるバントリー大佐、事件の中心人物の富豪コンウェイ・ジェファーソン、元警視総監ヘンリー・クリザリング卿は顔見知り以上の友人関係です。
人生で不幸に見舞われ肉親をすべて失い自分も障害を負ったコンウェイ氏は擬似家族とも言うべき息子と娘とマジェスティックに滞在しています。
そこで起こる不幸な事件です。
外界では戦争中ですが、この作品にはその気配は感じられません。
古き良き時代のイギリスです。上流階級、中流階級、労働者、下流階級がはっきり区別されている時代のミステリです。
「書斎の死体」の時代背景
この「書斎の死体」はポワロの「白昼の悪魔」(41年)と「五匹の子豚」(42年)の間のミステリでミス・マープルでは「動く指」(43年)の前の事件にあたります。
ミステリの雰囲気的にはポワロの作品に似ています。外界の状況はなにも描かれません。
「動く指」(43年)では語り手が傷痍軍人でしたので戦時下であることが薄っすらと感じ取れます。
時代背景は「白昼の悪魔」(41年)と「五匹の子豚」(42年)をご覧ください。
1941年12月に日本は米英に宣戦布告して太平洋戦争に突入します。
階級差をうかがえる残虐な事件
いろいろな階級がありますが、ときおりクリスティ作品にあらわれる異常に女性の秘密に詳しい階級のひとがいます。
今回、その役割はスラック警部です。
この方は「牧師館の殺人」(30年)の警部です。化粧品の数に唖然とする警察本部長のメルチェット大佐に化粧品の売り上げやダンサーの職業上のワーキングフローを解説します。
「謎のクィン氏」(30年)のサタースウエィト氏を彷彿させる人物です。
そして懐かしい美容液がでてきます。
アストリンゼン。
向田邦子氏の著作にも登場する戦中戦前の有名物質です。
母も使っていました。ヴィクトリア朝の化粧水だろうからもうないのかと思っていたら、まだバリバリ販売中でした。
なんか日本では明治の日露戦争前からあるみたいですね。今回ボディメンテナンスが重要なキーです。
「鏡は横にひび割れて」(62年)のヘイドック先生はお元気です。
この「書斎の死体」では総じて上流階級の方々の優雅さ、下層階級が這い上がろうとする必死さ、労働者階級、その他の商工人と描写され、階級がけっこう厳密に区別されています。
またそれだけに上流階級では下世話なウワサでのイメージダウンは致命傷ということらしいです。キビシイですな。
ちなみにわれらがジェーンのマジェスティック・ホテルの滞在費は親友のドリーがもっています。
バントリー家ではドリーはタフですが、夫のバントリー大佐にとっては事件の風評被害は甚大です。
冗談めかして明るく振る舞っていますがドリーも夫を守るために必死です。
また、ヘンリー・クリザリング卿もふたりの友人の窮地を救うため頼みの綱のミス・マープルには協力を惜しみません。このヒト真の上流階級です。いわゆる天爵のある人物ですね。
「書斎の死体」のまとめ
「書斎の死体」は唐突に始まります。
クリスティからの挑戦でもある作品です。
ミステリには書斎が重要であるということらしいです。アリアドニ・オリヴァ夫人も「ひらいたトランプ」(36年)では「読書室の殺人」という著作をもっていると書かれていますからね。
古き良き時代の重要な題材なのかもしれません。今もそんなロマンチックな風情があればいいのですが。
しかしこの「書斎の死体」のミステリ自体は残虐な殺人です。犯人にはまったく情状酌量の余地はありません。
ミス・マープルがかかわらなければ更に被害者が出ているところでした。
「書斎の死体」は英国の階級を感じ取れたうえに当時の生活を感じ取られるミステリです。
おすすめします。