クリスティの80歳誕生日記念作品です。1970年にこの世界に対して感じた印象を結実させた作品とも言えます。まえがきに書かれたとおりの内容です。パイカウェィ大佐とロビンスン氏が登場します。どんな時代でも真の教養を身につけた人物は影響は受けないのがわかります。
「フランクフルトへの乗客」のあらすじ
外交官としてはアウトローとも言えるサー・スタフォード・ナイはフランクフルト空港で知らない女性にパスポートとマントを貸してくれないかと頼まれます。
彼女はこのままの状態で移動していると殺されると訴えます。
さらにパスポートとマントを貸したスタフォードには睡眠薬入りのビールを飲んで盗難にあったことにして欲しいと彼女の頼みごとは前代未聞です。
しかしサー・スタフォードはその願いを引き受け彼女の言うとおり睡眠薬入りビールを飲んで空港で寝てしまいます。
その後ロンドンに戻った彼の身辺はにわかに慌しくなり、この世界の支配者ともいえる組織とそのカウンター組織との激突の真っ只中に飛び込むことになるのでした。
前半は現実的で中盤から後半は夢のような物語です。全然まったく違いますがどこか村上春樹の羊をめぐる冒険を思わせるような世界です。
クリスティはまえがきで現実がファンタジーであるかのような現実離れした世界であるならば物語世界もそれを受け入れファンタジーの形式にならざるを得ないと書いています。
冒頭からファンタジー要素満載の出会いです。しかし80歳クリスティの信じられない筆力はリアリティを生み出すので前半は現実の陰謀小説のように思えてしいます。
変遷していく激動の時代をヴィクトリア朝の大作家であり達人はどう感じたのでしょうか。イロイロ考えさせられるスゴイ作品です。
「フランクフルトへの乗客」の時代背景
この時代は前年1969年の「ハロウィーン・パーティ」をご覧ください。
ビートルズが解散します。イギリス発アートが浸透していきます。
日本は万博です。ピュリッツア賞受賞のカメラマン沢田教一がベトナムで死亡します。
そして内ゲバです。
登場人物
「フランクフルトへの乗客」は登場するキャラがかなり濃いです。まるで過去現在未来に対応するような登場人物たちです。
サー・スタフォード・ナイ パンクな外交官
この「フランクフルトへの乗客」はアガサ・クリスティの80歳の記念作品ということで他の作品とイロイロ色合いが異なります。
まず冒頭からあり得ない状況です。
主要登場人物のひとりサー・スタフォード・ナイは物事を真面目に考えない人物との評価ですがハッキリのちのパンクスを暗示しているかのような行動をとっています。
外国の空港で声をかけられた見知らぬ女性のずうずうしい勝手な願いをただ「へー、ふうん。ニヤリ」のような感じで受け入れます。
そしてパスポートとコルシカで購入したど派手な山賊風のマント(コレも外交官としては相当キテます)を盗難をよそおってその見知らぬ女性に貸します。
そして彼女のお気楽な提案どおり睡眠薬を仕込まれたビールを飲んであっさり空港で爆睡します。パンダのぬいぐるみを片手に。まともな外交官じゃありません。
サー・スタフォード・ナイは日本でいうと大正末から昭和元年の生まれです。第二次大戦に従軍しているか進学で免除されたくらい。イギリスだと男よりガッツがあった鉄の女マーガレット・サッチャーですか。
日本でいうと大思想家の吉本隆明世代です。あと渋谷安藤組の安藤昇氏でしょうか。インテリかつ特攻帰りの世代だとしたらなんとなくイメージ的に合いますね。
吉本隆明氏は理系出身の詩人でもあり若い頃はパチプロ(スマートボールプロというべきか)のアウトローっぽかったし、のちにステージでのブタの臓物なげとマスターベーションで名を上げた(これだけじゃもちろんありません)パンクバンド・スターリンの遠藤ミチロウを評価してます。
それに「解体」とか言ってましたしね。特攻兵器伏龍の安藤昇氏は言うまでもありません。
彼らの世代はクリスティがボキャブラリーに気を遣わず意思疎通できる教養を持ちこのアナーキーなストーリーで動かせる世代だったのかもしれません。いや、マジスゴイ慧眼です。
サー・スタフォード・ナイは普通の男なら分別がつく45歳という年齢ですが全然ついていないようにみえます。ハタからも理解不能に思える行動ばかりとる男です。
反抗的というより真面目に物事を考えない男と目されています。彼をあらわすのに適した言葉が見当たらないのでしょう。
サー・スタフォード・ナイ当時45歳はまぎれもなくアナーキーなパンクスの先陣です。上流階級で外交官ですが。パンクは思想なので階級や職業はあまり関係ありません。
ここではイギリスですので知られているセックス・ピストルズやザ・クラッシュの音楽を出すべきでしょうがわたしは日本のパンクバンドを思い出しました。
彼はザ・ブルーハーツの東京ゾンビ(ロシアン・ルーレット)の歌のようなキャラだなと。
”さーどーだー賭けないか。しにたかねーけどしぬかもよ。イチからジュウまでぐーぜんだ。日がノボルーのもぐーぜんだ。夜がクラいのもぐーぜんだ”
いや、これは。さすがクリスティです。未来の若者を予見しています。先生はどうなってんですか、なんで未来がわかってんですか、というカンジです。
そして彼は羊をめぐる冒険ではなくヒトラーの黄金の超人「若きジークフリード」をめぐる冒険へと繰り出します。
謎の女メアリ・アンを水先案内人として。いや、アンタただオンナのケツを追っているだけ・・・。これは少しお下品ですね。ヴィクトリア朝的ではありません。
レディ・マチルダ・クレックヒートン ヴィクトリア朝の最高傑作
サー・スタフォード・ナイの大おばです。公爵家の末裔。
「調査委員会」のロード・アルタマウントに「ヴィクトリア朝の力作」と評される本作の最重要人物です。ある意味彼女が本作の主人公といっても過言ではありません。ミス・マープルとクリスティを合わせたような人物です。
レディ・マチルダは大局を理解する知的な「中道」です。政治的には労働党嫌いの保守党支持ですが。
サー・スタフォード・ナイのふるまいを「あなたにはユーモアのセンスがあり過ぎる」程度にしか感じていません。だからあなたは”この男は真面目じゃない”と思われるのよといいます。
大人(たいじん)の風格の持ち主です。サー・スタフォード・ナイは彼女の知り合いというだけで有利な補正が働きます。ヴィクトリア朝の貴族とパンクの相性はいいようです。
彼女は三回重要なポイントで登場します。
まず大甥のスタフォードに「ジークフリード」という意味深な言葉を伝えます。彼女のレベルの知り合いでひそやかにウワサされている言葉です。ナニを意味しているかはわかりません。
そしてリコーダーを買いなさい。リコーダーを吹いて世の中の変えなさいといいます。?意味がわからないと思いますがそれは意味があるのです。クリスティだから。ちょっとハーメルンの笛吹きみたいですね。
次はシャルロッテ・フォン・ヴァルトザウセン伯爵夫人と半世紀以上ぶりに旧交を温めるシーンです。ここはヴィクトリア朝の知性が炸裂です。
お金で買えないものが何かを理解しています。招待されるとき着ていく服を選ぶシーンはミス・マープルを見ているかのようです。
レディ・マチルダは妄想に支配されていません。リアリストです。しかし相手を不愉快にさせません。
その上知識を取り込むことができます。
レヴィ・ストロースにゲバラにマルクーゼ、ファノン。これらが当時のトレンドだったのでしょうか。
しかしこれらの単語が書かれたスリラー小説って。わたしはレヴィ・ストロースとゲバラしか知りません。
構造主義と関連があるからということで「悲しき熱帯」は古本で買いましたが読みませんでした。いえ、読めませんでした。チンプンカンプン。
レディ・マチルダのなかのひとクリスティ80歳はどうなっているのでしょうか。さらにターゲットの読者層はどうなっているのでしょうか。
またまたスゴイバクチです。失くすものがない強みですか。
そして最後に健闘むなしく全世界的にアナーキーな暴動が広がり狼狽する「調査委員会」に重要なヒントを与えます。レディ・マチルダのともだちネットワークがなければ世界は昔風にいうなら熱核戦争になっていたかもしれません。
レディ・マチルダの不安は当時の人々の気分を代弁しています。ここではザ・クラッシュの「ロンドン・コーリング」がアタマに鳴り響きます。
シャルロッテ・フォン・ヴァルトザウセン伯爵夫人 幻想世界の女性
妄想と言い換えてもいいんですが、彼女のマネーパワーはパねぇのです。しかも組織的に目的をもって裏から全世界に影響を与え続けています。
彼女は若きジークフリードによるカリスマというか神性により世界をより良きものにしようと画策しているというか頑張っています。
全世界的な暴動を支援して気づかれないようにそっとある方向に導こうとしているのです。
優秀民族で世界を満たそうとしています。それはおもにアーリア人種らしいです。遺伝子の多様性というのもあるのですが。劣等人種は?わたしは?ってなります。
クリスティは肥大した幻想を彼女のヴィジュアルにも与えています。まあ、すごいデブで趣味が悪い装飾だらけの女性として描いています。
十本すべての指に宝石の指輪をつけてます。もしかしたらパワーストーンの愛好家かもしれません。セレブには神秘主義者多いですから。
そしてヒトラーユーゲントの理想を夢見ています。彼女の夢見る来たるべき未来の種子です。やっぱり神秘主義者かもです。
ここは定番ワーグナーですか。
この「フランクフルトへの乗客」はエドワード朝以前ヴィクトリア朝以前の教育を受けた勢力同士の戦いです。カンタンにいうとジェダイとシスの影の争いです。そして右往左往する表面だけなぞる人々です。
その他の人々
そして謎のロビンソン氏です。もはやストーリーがスゴすぎて彼の「謎」が霞んでしまいそうです。ロビンソン氏はデブで自分でもそんなに永く生きられないだろうと言います。
彼がデブなのは「バートラム・ホテルにて」(65年)でも描写されているので謎ではありません。でも謎のままです。
彼とパイカウェイ大佐は三年後のクリスティの最後の作品トミーとタペンスの「運命の裏木戸」(73年)にも登場します。
「バクダッドの秘密」(51年)でこの世に姿を見せだした「なにかのちから」と今回の「フランクフルトへの乗客」ではカウンター組織との正面からのぶつかりあいになり、トミーとタペンスの「運命の裏木戸」(73年)ではその誕生を追うかたちでときをさかのぼることになります。
その際今回のような「なにかのちから」が実ははるか過去からつづいておりその組織は監視下に置かれているのが説明されます。
「調査委員会」は有名無実化しています。ゾンビのようなアナーキストの群れに各国政府も手の打ちようがないようです。クリスティのような最高知性がマスメディアでこのように世界を感じていたのでしょう。
また当時生きていた大部分のムカシのひとの危惧もそのようなものだったのでしょう。新聞に載るのはにわかに信じられないような事件ばかり。
すごい派手だけどこれはひょっとして意味があるようでないようでどこか何かに操作されているのでは。
そしてヒトラーが生き延びていたというフレデリック・フォーサイスが書きそうなエピソード。
全世界の方向のない熱狂のデモや暴動がムカシの人々にはナチズムを想起させていたのでしょうか。
だとしたら同じ道を歩んでいると感じられ未来は相当絶望的に映っていたでしょう。
制度だけではうまくいかないというのは本作でベヴァレッジのレポートについてでてくるのでもわかります。博愛というかなにか人と人の間の本質にかかわる人間の問題だということなんでしょうか。
ミス・マープルなら世界で起きた事件をすべてセント・メアリ・ミードの出来事に置き換えられたかもしれません。
「フランクフルトへの乗客」のまとめ
この「フランクフルトへの乗客」はパンダで始まりパンダで終わります。
当時ロンドン動物園にはパンダがいました。この1970年の「フランクフルトへの乗客」が出版された当時どれくらいの日本人がパンダを知っていたのでしょうか。
黒柳徹子氏くらいしか知らなかったのではないでしょうか。本書が出版された70年末は彼女はギリ留学前、パンダがやってきた72年はアメリカ留学から帰ったばかりの頃のはずです。
帰国はパンダに合わせたんでしょう。70年当時日本はまだ佐藤栄作首相時代で日中友好の立役者のちの首相田中角栄氏は幹事長です。
日本にパンダが友好のあかしとして中国から贈られるのが1972年です。田中角栄首相時です。それでも中国はまだ遠かったでしょう。
田中首相が中国と国交正常化した代償が親日国台湾との国交断絶です。当時のバックパッカーは台湾ルートが使いずらくなり難儀したそうです。
中東では70年くらいからユルかった陸からの入国が禁止され空港での出入国オンリーになっていきます。
70年代はだいたい三部構成状態だったんじゃないでしょうか。前、中、後ですね。
いるとは思えませんが70年代前期の気分を知りたい方は「春にして君を離れ」(44年)でもご紹介した森本哲郎氏の諸エッセイなどがいいのではないでしょうか。
日本では光化学スモッグ、カドミウムなどの問題、天変地異的な不安、それとやはりこの日中友好化というかパンダの明るい話題でしょう。あとベトナム戦争終結です。
ついで70年代中期はオイルショック、爆弾テロ、後期は80年代を予感させるように少し日差しが入ったカンジです。テクノです。
この「フランクフルトへの乗客」は的確に1970年当時の気分を表しています。付け加えるのならクリスティは単純な「なすがままにまかせなさい」Let it beではありませんでした。(ビートルズも単純な意味で歌ったわけではありません) さらに踏み込んで言わせていただきますとクリスティはすべての作品で今日の世界を予見しています。
当時どのような読者がどのように読んだのか。興味深いスゴイ作品です。