死が最後にやってくる DEATH COMES AS END アガサ・クリスティ 加島祥造 訳

紀元前2000年の世界。クリスティしか考えつかない異色作です。1945年作品。眼前に展開する古代エジプト世界はめまいがしそう。まぶたに浮かぶヴィジュアルです。そして今も昔もかわらない利害が関係する家族のリアリティ。さらにアガサ・クリスティ的な奥行きある恋愛小説です。

「死が最後にやってくる」のあらすじ

墓所守であり家長であるインホテプがひとりの若い女を連れ帰ってきました。

名前はノフレト。美貌の持ち主です。

野心家である彼女はインホテプの寵愛を利用して一家の権力を手に入れようとします。

平穏な水面に投じられた一石の彼女は一家に思いもよらぬ波紋を生み出します。

そしてついに・・・

むき出しの人間性と真の知性のせめぎあいという、アガサ・クリスティの王道ミステリです。

家族間の力関係がわかりやすく、ハッキリ紀元前2000年も今もたいしてかわりません。てか、同じ。

アガサ・クリスティはミステリとしてだけではなく、この「死が最後にやってくる」にはハーレクィン的な要素も盛り込みサービス満点です。非常にロマンチックな内容です。

しかしやはりクリスティであるのは舞台が古代とはいえ、読み終えた満足感がやっぱり奥行きのある彼女のミステリ独特のテイストだと感じられるからかも。

非常に哲学的な内容を含んでいます。

特に女性にオススメのミステリです。

「死が最後にやってくる」の時代背景

古代エジプトはタイムスケールの範疇を超えます。

クリスティ自身も正確な時代は付随的なものであるとしているので、古代ナイル河畔のルクソールが舞台背景だと思い、読み進めてよいと思います。

出版されたのは1945年です。第二次大戦中に執筆された作品です。

戦争中は時勢に合わせた小説を書きがちです。上から目線ですが。

しかしクリスティは超古代の世界にトリップして戦争で疲れた読者にひとときのくつろぎを与えます。

当時はナチスドイツの攻撃がロケットに変わっていました。イギリス国民は耐え忍びました。

華麗なハーレクイン形而上ミステリ

王道ミステリです。途中でどんどんいつものクリスティ的な謎が深まります。

しかし「死が最後にやってくる」は主人公の女性レニセンブの成長小説(ビルドゥングスロマン)であり恋愛小説でもあるという構成となっています。

レニセンブはただ隷属的なキャラではありません。

当時の女性としては哲学的な意識の持ち主です。

傍観者のようですが時の流れを理解できる稀有なタイプです。それは墓場女子であることでもも感じます。

かつてはイケメン好きの女子だったらしいですが、死んだらダンナの顔も思い出せなくなって哲学的になったようです。ダンナの墓は憶えているのでしょうか。気になるところです。

その後ひとの内面にフォーカスするようになりました。てかブ男もイケメンも忘れられたら同じであるゆえ幻想にすぎないと考えたのだとしたらスゴすぎです。

また祖母であるエサもまた稀有なタイプです。

この家の女性には哲学的な血がながれているのでしょうか。それとも女性のほうがこころに奥行きがあるのでしょうか。

日本の昔でも身内での争いが起こったりしますよね。

私たちは残された文書などからしか時代を推し量るすべがないわけです。

そのなかで記録されなかった人々はたくさんいたわけです。そういうひとは吉本隆明風にいうと常民というんでしょうか。

ここでインホテプを例にとると彼は愛した女性が目の前から消えたらすぐ忘れます。

トラブルの根源である女性を引き入れたのに。家族にもたらした変化は不可逆なのに。男らしいですね。悪い意味で。

「死が最後にやってくる」の時代には文字の読み書きは特殊技能になりすべて記憶頼みになります。

パピルスも貴重品です。

この時代に私がいたら過去は午前中で未来は午後のみの世界に住むハメになるでしょう。ていうか今現在そのありさまですが。

現在の私たちはさまざまなモノで時間を感じて生活できますがこの時代は写真もないし死んだら忘れられます。

記録メディアがヒエログリフか壁面の彫刻くらいですからね。

どんなに好きな人も家族もみんな忘却のかなたに流れていきます。

生活もハードでしょうし死は身近だったから意識が過去にとどまらないのですね。

つい最近まで私たちはそういう世界に住んでいました。私は今もですが。

現在では過去を書き換えられないよう注意をしなければならないくらいです。

事実歴史認識でもそれぞれの国でいくつもの過去が存在しています。

まさにパラレルワールドです。それぞれの過去があるのです。

しかし「過去」とは個人の記憶であるということをレニセンブは気づいています。

愛した前夫が死んでしまっただけでそこまで行き着く頭脳です。

ストーリーとは別にレニセンブは時間を理解できるまったく超越者ですね。

「死が最後にやってくる」のまとめ

このミステリをつくるのは非常に難しかったのではないでしょうか。

なぜなら文字も一般的には書けない世界なのでダイイングメッセージも残せません。迷信の世界観です。共同幻想論の世界です。

迷宮入りの事件が頻発した時代でしょう。

事故か他殺かもわかりません。すべて神の思し召しです。

テレビで歴史もののドラマを観ると時間認識や文字認識が現代風で笑えます。

いや私には笑う資格はないのですが。昭和ですら私からするとおかしな解釈をされています。昭和は長いのですよ。

アガサ・クリスティは大正から昭和のオイルショックくらいまでコンスタントにハイレベルのミステリを書き綴った大作家です。

ヴィクトリア朝、エドワード朝、ウインザー朝の3時代の洗礼を受けた作家です。

私たちは時の流れをミステリというかたちでアガサ・クリスティという大作家から学ぶ機会があるのです。礼節やユーモア、教養などです。ラッキーとしか言いようがありません。

さきほども書きましたがむかし大部分の人は読み書きができたわけではないだろうし死が身近だったから意識は即物的だったはずです。

意識にまでのぼらない感情を昔のひとびとはどのように消化していたのでしょうか。

むかしが野蛮だったというのはすぐ過去が失われ今しか感じられなかったからではないでしょうか。

現在のようにメディアのコンテンツが残りここ半世紀くらい同居している時代ははじめての時代なのではと思います。

しかしもう笑えない時代に逆戻りです。

ことばがどんどん短くなり習慣的な言葉遣いがおおくなっているのでその気配を読み取る能力が新たに必要とされるかもしれません。

ボキャブラリーの遺産はイッパイありますが使えなければないのも同然ですからね。

また逆に考えると情報が多すぎて過去が存在しないのと同じ状態です。

未来も存在していません。

今の時代にダイイングメッセージを考えると「し、死ぬ」と残されたツィッターのつぶやきです。

これだけの手がかりで被害者は特に親しくなかった交流会で知り合った加害者となる人物と偶然出会いその加害者の秘密を知ったためこの文字を書き残したのだろうとカンジなければならないかもです。

私だったら辞世のギャクかとしか感じないかもですが、サイコメトラークラスの能力があるSNSに長けたひとなら読み取るかもしれません。

クリスティ作品では私にとってつねにポワロはサイコメトラーな存在です。

「死は最後にやってくる」の時代になりました。

スポンサーリンク
336

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
336