運命の裏木戸 POSTERN OF FATE アガサ・クリスティ 中村能三 訳

73年クリスティ最後の作品です。トミーとタペンスはふたりあわせて150歳くらい。まだまだイケます。半世紀を駆け抜けたふたりは最終コーナーに入ります。学んだ智恵を生かし失われない冒険心とともに。今回ふたりは犬の散歩にでかけるかのように冒険に挑みます。運命の裏木戸をくぐって。

「運命の裏木戸」のあらすじ

トミーとタペンスのベレズフォード夫妻は古い家を購入し引っ越してきました。

その家月桂樹荘は旧家で古いつくりの家です。持ち主が何人も代わっていた家でした。売却した以前の持ち主は古い家具や古道具とともに古い子供向けの大量の絵本を一緒に残していったのです。

引っ越したその月桂樹荘で古本の整理をしていたタペンスはそのうちの一冊に目を留めます。その本はタペンスが少女時代初めて読んだロバート・ルイス・スティーブンスの「黒い矢」というタイトルです。

引越し整理中の手を止め「黒い矢」を読みふけるタペンスでしたが途中不自然なところにアンダーラインが引かれているのに気づきます。

それらのアンダーラインが引かれた文字を解読すると「メアリ・ジョーダンの死は自然死ではない」と読み取れます。

そしてさらに「犯人はわたしたちのなかにいる、わたしには誰だかわかっている」とつづられていました。

そしてその本の持ち主は14歳でなくなった第一次大戦時代の少年であることが判明します。

老いたりと言えどいまだ好奇心旺盛なタペンスはそのはるか昔の事実を探ろうとして土地のひとびとに自然をよそおって聞き込みを始めます。

聞き込みするのは当然高齢者ばかりになります。古くからの住人でも憶えているのはわずかです。それもすべて憶えているというわけではありません。

住人のかすんだ記憶をたよりにタペンスとトミーは午後のお茶の会と犬の散歩するスピードで探りを入れるのです。

ふたりは14歳で死んだ少年アレグザンダー・パーキンソンとメアリ・ジョーダンの過去を追います。

過去にさかのぼる作品は直前の実質ポワロ最後の作品「象は忘れない」(72年)と「五匹の子豚」(43年)があります。

が、第一次世界大戦前までさかのぼるのこの「運命の裏木戸」が巻き戻す時間が最大値です。

まさに運命の裏木戸が開きます。

ロバート・ルイス・スティーブンスはヴィクトリア朝中期の生まれで「宝島」「ジキル博士とハイド氏」で有名な作家です。タペンスが好きなわけです。

彼の「黒い矢」は「ふたつの薔薇」として戦後岩波文庫で出ていたようです。ランカスターとヨークのバラ戦争を背景にした話のようです。クリスティが好きなはずです。

バラ戦争で香りづけをしたミステリといえばポワロの名作「杉の柩」(40年)が白眉となるでしょう。

「杉の柩」(40年)が執筆されたのはトミーとタペンスの「NかMか」(41年)と同時期です。

クリスティが第二次大戦中から戦後の傑作を連発していた頃の気品のある超オススメミステリです。

読むとわたしでさえ人格が向上した気がするくらいですから。もちろん気のせいですが。

「運命の裏木戸」の時代背景

1973年です。「象は忘れない」(72年)もご覧ください。

作中でてきますがEEC(欧州経済共同体)にこの年イギリスは加入します。フランス大統領ド・ゴールに嫌がられていてようやくの加入です。

アメリカの介入を嫌がっていたんですね。

その後マースヒリト条約に基づきEUになります。

そして国民投票、ひょうたんからコマで現在脱退という流れです。

なんじゃこりゃです。

日本もTPP(環太平洋パートナーシップ協定)はどうしたんですかね。アレだけ騒いで。

さて日英ともキチとでるか狂とでるか。あ、これでは同じですか。

IRAとの戦いはまだまだ続きます。爆弾暗殺ハンストと物騒なイギリスです。

別の意味で英国病です。患部が多すぎます。

タラをめぐってアイスランドともめています。フィッシュアンドチップスの原材料ですからね。

秋に第四次中東戦争が勃発、オイルショックです。これはヨーロッパのみならず当然我が国日本も狂乱状態です。妄想からトイレットペーパー不足騒動が起きました。

マーシャル・マクルーハンはTVはクールなメディアだから大衆はアツクならないとか言っていたんですけどね。そんなこと言ってないといわれそうですが。

そうか、ウワサやクチコミはホットなメディアなのか。

全世界的にダークな気分です。

唯一の明るい話題はベトナムに光が差し始めたということです。

キングス・ロード430番地に有名なヴィヴィアン・ウエストウッドとマルコム・マクラーレンの店が全世界にモードを発信中でした。のちセックス・ピストルズをプロデュースします。

いまは亡きフレディ・マーキュリーのクイーンがデビューです。

【ネタバレ気味】クリスティの感じたもの 【若きジークフリードの脅威】

今回、謎のロビンソン氏とパイクアウェイ大佐が登場します。

彼らが登場したのは直近では「フランクフルトへの乗客」(70年)です。

「フランクフルトへの乗客」(70年)は「バクダッドの秘密」(51年)からつづく流れの作品といえるでしょう。

この二作はクリスティが感じた社会国際情勢への漠然とした不安が描かれています。

その不安はナチズムの様相を呈した選民思想として象徴的に描かれていました。それが最終作「運命の裏木戸」では「秘密機関」(22年)以前の事件として結びつきました。

つまりその社会全体に感じていたクリスティの不安はナチズム台頭以前の思想だということです。

類まれなる作家が一生活者としても半世紀見続けて感じる社会への不安。

20世紀初頭はそれでもまだヴィクトリア朝のようでした。

基本的には第一次世界大戦の前あたりから制度が揺らぎ始めます。

そのうち限嗣相続がなくなります。

植民地が独立しだしてパワー激減。

作品ではとくに登場人物たちの生活が第二次大戦中からあやしくなり戦後は「ゆりかごから墓場まで」を謳った労働党政策で国民の勤労意欲がなくなり国際競争力もなくなりました。

ポワロは亡命してきたばかりの処女作「スタイルズ荘の怪事件」(20年)以外どんな状況でも金持ちですが。

1950年代はひどいながらもまだなんとかやってましたが60年代になるとアウト。

70年代近くからさらに社会情勢は経済とともに更に悪化です。

公共民間含めてサービスは最悪。電気屋、鉛管工、ガス屋は呼んでも誰もきません。来ても投げっぱなしで帰ります。もう来ません。しかも値段は高い。

これは日本も似たようなもので明治の頃は力のある家には遠縁の親戚や縁のあった食客がごろごろしていて墓までそのうちの墓に入ったりしていたようです。

それが「平等」の精神でこんな平等になりました。用意されていた年金も社会変化を予想できていませんでした。

これは今回の「運命の裏木戸」でもイギリスの今昔として少し語られています。

子どもが年寄りや弱者を意味なく襲撃する考えられない社会。

古き良き時代にはあった間違った理由さえそこにはありません。

単純な恨みや金や財産目当てではなくなっているのです。

良くなるはずが悪くなっている現実。

今ではみな慣れてしまいましたが当時は起きる事柄が先鋭的過ぎてショックが大きかったので

しょう。慣れちゃいけないんですけどね。

ずっと見てきて題材にしてきたつもりだったのににわかには信じられない悪夢のような変化を見聞きするはめになってしまった。

世界では暴動が起きている。

誰かが操っているのではと考えても不思議じゃありません。

ここまでは「フランクフルトへの乗客」(70年)と同じです。

でその根源にせまる作品が本作「運命の裏木戸」です。

一見善意に見えるファシズム的正義への警戒です。

クリスティの最後の作品が最初の作品以前へと回帰しました。

「バクダッドの秘密」(51年)のあとに似た状況の「死への旅」(54年)があります。

こちらは選民思想がまた別の切り口で描かれています。

過去への回想の最晩年の二作品

これはわたしの印象でしかないのですが本作「運命の裏木戸」は実質ポワロ最後の「象は忘れない」(72年)とテイストが似ています。

過去にさかのぼる作品としてだけではなくどこか記憶をたよりに回想して書かれているように感じます。リアルというよりどこか幻想的です。ま、過去が題材ですから当たり前ですが。

直近のミス・マープルの「復讐の女神」(71年)とは違います。またトミーとタペンスの前作「親指のうずき」(68年)、ポワロとオリヴァ夫人の「ハロウィーン・パーティ」(69年)とも違います。

また第一次大戦後51年前の「秘密機関」(22年)と第二次大戦中の33年前(出版だと32年前)の事件「NかMか」(41年)はでてくるのにわずか5年前の「親指のうずき」(68年)事件は作中語られることは皆無です。

ストーリーのスタイルの違いでそうなのかもしれませんが、ポワロとトミーとタペンスの最終二作品は枯れた味わいです。

ゆっくりと過去へ誘われていくようです。

昔の相続

あと限嗣相続(げんしそうぞく)とは一族の男子ひとりがすべての財産を受け継ぐ制度です。

財産の散逸を防ぐ目的がありました。たいがい受け継ぐのは長子なので次男、三男はまあ、坊さんか商売人か軍人か学者ですね。あとは金持ちの嫁をみつけるか。さもなきゃ野垂れ死にです。

日本の武家と似たようなものですね。剣術の先生になるか。

この制度では女子は相続できないので女性はいいとこに嫁ぐため超絶必死の婚活です。現在の比ではありません。

これはジェーン・オースチンの「高慢と偏見」とかで有名です。五人姉妹で財産は親戚の男が受け継ぐので嫁に行くしかない彼女達は必死です。あ、「高慢と偏見とゾンビ」も同じです。

将来性ゼロや文無しの男に嫁ぐと女の人生エンドですから。

え、誰のこと?わたし?

あとイギリスのTVドラマ「ダウントン・アビー」に良く出てくるそうです。

後期高齢者の生活者目線の先見的なミステリ

冒頭古本の整理整頓です。トミーは愛犬ハンニバルを散歩に連れて行きタペンスは掃除機をかけています。

トミーはもっぱら芝刈り機のカタログをながめています。煙草はふたりとも吸いません。

タペンスは年代モノのピアノを調律してもらい弾いています

奥さんのエミーを数年前に亡くしたアルバートはイロイロな料理をつくります。

「NかMか」(41年)で養女にしたベティは研究者としてアフリカにいて手紙を寄こします。

娘のデボラは孫を三人連れてたまにお泊りにきます。そしてお母様には手綱がきかないとか言われています。

しがらみや責任は沢山あります。

でもトミーとタペンスの夫婦は大戦前、大戦中で活躍した凄腕の情報部員でもあります。

いまでも一目置かれています。しかも一目置かれているのは過去ではなく現在現役として、です。

ゆっくりとした歯がゆいほどの時間の流れの中真相が徐々に明らかにされていきます。老人力を生かした若者カップルがからまった古い毛糸を解きほぐしていくかのようです。

トミーとタペンスの冒険心と行動力はやはり若々しいのです。

「運命の裏木戸」のまとめ

ブレンキンソップ夫人は「親指のうずき」(68年)に引き続きここでも健在です。便利なひとです。

この物語で最年少者はおそらくハンニバルというテリアです。

そしてシリーズ一作目から登場しているアルバートは本作でも重要な役割を演じます。彼はタペンスから信じられるふたりのうちのひとりに数えられています。もうひとりはテリアのハンニバルですが。

フランクフルトの話がロビンソン氏との会話で出ますがこの黄色いデブのかたはおいくつなんでしょうか。トミーとタペンスより上ですか。

「象は忘れない」(72年)でオリヴァ夫人は「いまに生きなさい」と言い残しました。

この作品でたしかに誰よりもトミーとタペンスは今に生きています。

年寄りにはなろうとして成れるものではないですし、トミーとタペンスのように冒険心と好奇心を失わずに年齢を重ねることはさらに至難です。

「いまはまだ若い老人候補のみなさん、彼らをお手本にしてくださいな」

この「運命の裏木戸」もアガサ・クリスティの遺言であるのかもしれません。

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