シタフォードの秘密 THE SITTAFORD MYSTERY アガサ・クリスティ 田村隆一 訳

1931年雪深い僻村のオカルティックなミステリです。雰囲気のある情景描写は真冬に読むのにピッタリです。主人公は容疑者の恋人エミリー・トリフューシス。厳冬期のイギリスの寒村を燃える女子力を総動員して真犯人に迫ります。熱いです。エミリーにちゅうちょと迷いはゼロです。良い嫁になるのは間違いなし。

「シタフォードの秘密」のあらすじ

妖精伝説がいまだ残るダートムーアの寒村シタフォード。いちばん近い村エクスハンプトンまでゆうに六マイルはあります。

その取り残されたような土地に建つバンガローのひとつにわずかな住人がある夜集います。そのなりゆきの余興で降霊会が催されることに。

それは単なる余興に過ぎないはずでしたが訪れたとおぼしき霊が突然現実味をおびた内容を皆に伝えだします。

それはこのシタフォードのバンガローの所有者である資産家のトリヴィリアン大佐が殺されたというものでした。

その内容を知ったトリヴィリアン大佐の旧友バーナビ少佐は胸騒ぎをおぼえ、皆が止めるのも聞かず六マイル離れたエクスハンプトンへ吹雪のなかひとり向かいます。

二時間半後、バーナビ少佐はエクスハンプトンのトリヴィリアン大佐の借りている”ヘイゼルムア”と言われている邸宅に到着、しかし呼び鈴を鳴らしても大佐は出てきません。

巡査と共にふたたび訪れ意を決して部屋に入るとトリヴィリアン大佐はブラックジャック(砂入りの袋)で殴打され死亡していました。

死亡時刻は降霊会で霊が示したとおりの五時二十五分。

やがて大佐の甥にあたる男が容疑者として浮上し逮捕され事件が一件落着するかに思えましたが…。

しかしその運の悪いダメな容疑者ジェイムズ・ピアソンにはまだ運命の切り札が残っていました。

彼女の名前はエミリー・トリフューシス。

左手の指にダイヤモンドリングが輝くジムの婚約者です。

しかし輝くのはダイヤだけではありません。

エミリー自身が真冬の暗夜の僻村に電光を放ちます。

彼女は紫電を帯びた特別な女子、プラズマガールとでも呼ぶべき存在でした。

超絶難解なクローズドサーキットの事件を女子力総動員、使える女の武器はすべて使いオトコも使い道徳観も吹き飛ばし世間にどう思われようが一途にダメ婚約者ジムの無罪をはらすためエミリーは厳冬期のダートムアの荒地を突き抜けます。

「シタフォードの秘密」の時代背景

短編集「謎のクイン氏」(30年)とミス・マープルデビュー作の「牧師館の殺人」(30年)とポワロの「邪悪の家」(32年)もご覧ください。

ウエストミンスター憲章が発表されました。これによりイギリス政府より干渉を受けずカナダ、オーストラリア、南アフリカ共和国などの植民地は自治権を得て独立性を確立することができるようになりました。

いわゆるイギリス連邦が形成されました。逆に言えばヴィクトリア朝の栄光うるわしい「大英帝国」は消滅です。

これらの国々による「ブロック経済」と言われる連携で世界恐慌を乗り切ろうとイギリスはもくろみます。が、焼け石に水です。イギリスの金本位制はこの年に停止の憂き目に会います。

昭和六年です。日本では満州事変が勃発です。娘の身売りが加速します。

エーカーとマイル

この「シタフォードの秘密」は距離感が重要です。

1エーカーは

1エーカー=約4047平米です。

まず雪に埋もれた僻村シタフォードのバンガローは1エーカーの四分の一の土地に建ててあるらしいですね。六軒です。

1エーカーはヤード・ポンド法で土地の広さを表します。

1エーカー=約4047平米ですので、つまり63メートル×63メートルくらいの土地です。

坪数で1224坪くらいです。かなり広いですね。東京ドームの十一分の一くらいだそうです。

本文中ではこれの四分の一ですから約15.8メートル×15.8メートルくらいの土地です。

1マイルは

1マイル=約1.6キロです。

いちばん近い村エクスハンプトンまで六マイルです。

この距離をバーナビ少佐は徒歩で毎週往復してトリヴィリアン大佐と行き来していると答えてシタフォード荘の女性陣から驚嘆の声を上げられています。

片道六マイルですから約9.6キロです。これを往復しているわけですから約20キロをバーナビ少佐は徒歩で歩き倒していることになります。

これはやはり自動車を使うか馬車を使うかの距離です。

これを真冬でも行なっているのですから第一次世界大戦の退役軍人はあなどれません。

でもクロスワード解きにでかけてるのですからね。

ちなみに明治時代の北海道十勝地方の開拓者は百キロ近くを一昼夜で行脚していたそうです。

えー、たしか帯広から広尾だったかな。

ファンタスティック!エミリー・トリフューシス

こんな女性を嫁に出来たら三国志でいうところの臥竜鳳雛(がりょうほうすう)を迎え入れた劉備玄徳ようなものでその女性の夫の人生は安泰です。

リストラされても会社がつぶれても大病を患っても関係ありません。人生のどまんなかを悠々と歩んでいけるのは間違いありません。家計三分の計で切り盛りしてくれるはず。

婚約者ジムがナラコット警部にひっぱられて行くさい「ぼくにはこの世にひとりだって味方はいないんだ」と言うジムに「いいえ違う、あたしがいるじゃないの…あなたの忠実なフィアンセがいるのよ。さあ警部さんと一緒に行ってらっしゃい。あとは万事あたしが引き受けるから」と励まします。

力強いことばです。わたし、一言もでません。

「おやすみなさい、トリフューシスさん」と別れの挨拶をするナラコット警部に「またお目にかかりますわ、警部さん」とやさしく答えます。

クリスティはそんな彼女をもっと警部がエミリーを理解していたら、と描写しています。

彼女は逆境に強いです。

エミリーは「あたし十六の時からちゃんと暮らしてまいりましたの。女の方とはあまり交際しなかったものですから、女性のことはあんまり知らないんです」といい「でも男の方のことだったら相当詳しく知ってるつもりなのよ」とつづけ「彼氏を正確に見抜いて扱えないような女子はもうこれからは暮らしてゆけないわ。あたしはこれでもちゃんとやってきているのよ。あたし、ルシーでマネキンもやりました…こういう結論に達することができたのもひとつのワザじゃなくて」と言い切ります。

スゴイですね。これを語るのなら並みの女子ではありません。なんども「ちゃんと暮らしてきた」と言っています。若い女性が孤独な都会で不況の中まっとうに生き抜いてきた自負が感じられますね。

エミリーは酸いも甘いも噛分けた女子人生のサバイバル技術を極めた女性です。明治女の土性骨はイギリスでも健在です。学歴はなくても智慧と度胸で現実をまっすぐ見据えています。

新聞記者エンダビイを女子力最強の呪文「あたし、あなただけが頼りなんですの」を唱えて自家薬籠中のモノにします。

エンダビイはマインドコントロールされているようなものです。同行しているあいだ彼女がボスなのに気づいていないどころか擬似恋愛まで抱かせられます。哀れなり。

またエミリーは女の涙を女に使います。エクスハンプトンの宿スリー・クラウン館あるじのベリング夫人から同情心と情報を引っ張り出します。

目上の少し余裕のある女性はナマイキな女は嫌いですが弱者で自分の人生の悲劇とダブる若い女子の涙には哀れを感じがちです。このベリング夫人からの手紙は後半重要なヒントになります。

さらにスリー・クラウン館のメイドはグレイブス巡査の義妹なので1ポンド握らせて入ってきた情報を入手できるよう手配します。

新聞記者エンダビイとは即座に従兄という名目にしてシタフォードへ向かいます。そのほうが田舎で宿を得るのに都合がいいのです。妙齢の男女が同じ部屋に泊まりますから。

しかし凄まじい気の張りかたをしているので突然涙がこぼれだしたりもします。

当たり前です。だって女の子だもん。この状況ではオッサンなら飲み過ぎて凍死してます。

彼女は基本的にひとりで行動しています。イロイロな男を利用してはいますがその想いはやはりジムへのものだけです。ここも迷いなく揺るがないのです。

これだけの女子力を発揮して単独行動で解決をすすめる女子キャラはクリスティ作品でも突出しているのではないでしょうか。それはところどころで入るクリスティのコメントのような文章でもうかがえます。

また世間のうわさや陰口のうつろいやすさがラストページのカーチス夫人のエミリー評によくあらわれています。

最初はセアラ伯母さんのところのビリンダはアバズレ扱いでエミリーも同じだと亭主に話していたのに事件を解決した聡明さがあきらかになりジムへの想いが変わらないことがわかるとビリンダもエミリーと同じで優秀な女性に格上げされます。

そのときの自分の気持ちで評価が変動する典型的なオバサンです。

必死な女性は陰口やうわさばなしなんかに耳を傾けているヒマはありません。

「シタフォードの秘密」のまとめ

「エミリー・トリフューシスという娘は、ほんとに達者だ」

このクリスティの一文がすべてをあらわしています。クリスティがそう判断するのですからね。

「心からおすがりできるのは、ほんとにあなただけですわ」と彼女のオハコである効果百パーセントの殺し文句で答えた。

これをエミリーは情熱的に手を握りながら言うのですから。イチコロです。

この「シタフォードの秘密」は途中、監獄を脱走するヤツはでるわ、謎の一週間12ギニー(現在の価値で25万円くらい?)と言う高値で山荘を借りる南アフリカ植民地帰りの親娘はいるわ、徒歩で吹雪を10キロ歩く退役軍人はいるわ、第一次大戦のシェルショック(戦争神経症)の男がいるわ、その男の不倫をエミリーが手袋置き忘れのテクニックを使い「にやり」と暴くわ、登場人物が多いだけではなくそれぞれ特色ある人生をおくっています。

またオカルティックな風味が効いていて謎が謎を呼びます。

ようするに非常に高度なミステリであり小説です。ちょっと群集劇っぽいですね。しかしエミリーがパないので一気に引き込まれます。

江戸川乱歩がイチオシしているくらいのミステリです。トリックがいまでは古典ともいえるものでもありますがそれに気づかせないキャラクター造形や状況の描き方が秀逸だからでしょう。

クリスティが41歳、まさに絶好調のときのミステリです。

非常に雰囲気のあるミステリです。クリスマスシーズンとかの真冬にキャンドルを灯して雪を感じながら読むのをオススメしますです。

「シタフォードの秘密」は間違いなく楽しめるストレス解消にもなる作品です。

今までの経過とこれからの予定と

さて、本日でアガサ・クリスティの長編作品はすべてご紹介したことになります。

このブログは去年の年末(2017年12月25日以降)から書き出したのですが途中ワードプレスを壊すこと二回あり二月くらいからの日付になっています。

また正月早々フローリングで右手を下に寝てしまい神経を圧迫して右手のトウコツ神経麻痺という状態になって5月くらいまでその状態で書いていました。シクシク。

トウコツ神経麻痺は別名ハネムーン症候群ともいわれ上腕部の神経が圧迫され損傷して手首が影絵のキツネの手状態に下がり指も動きません。いわゆる伸筋系の筋肉の神経が麻痺します。

ですので指が伸びなく曲がりっぱなしです。朝、目覚めて気がつき最初、脳卒中か脳梗塞かと思いました。いずれにしろ脳の障害だと思いました。

正座して足指がしびれたような状態に前腕から指先にかけてなり、それがまったく回復しません。しびれっぱなしというか感覚がなく手首はまったく上がらないありさまです。

誰でもなりうるのですが、なってはじめて事態の深刻さに気づくけっこうヤバイ障害です。

しかも10分くらいの圧迫でなりますし自動車のハンドルにウデを乗せて寝てしまったり、地下鉄のポールに寄りかかってうたた寝するだけでもなります。彼女にうで枕してのうたた寝も要注意です。(だからハネムーン症候群と言うそうです)

あと泥酔者です。しびれていても気づかないで寝ているから。

あと「うでがしびれるけど起きるの面倒だから、ま、いいや」とか思ういい加減な人物です。

つまりわたしです。

二ヶ月から三ヶ月くらいは前腕手首から先が麻痺します。不運でもしなっても、決して絶望しないようにしましょう。わたしはだいたい三ヶ月で見かけは手首が普通に上がりました。しかし仕事になりません。先日計ったら握力も50キロになっていました。これは5キロダウンです。リハビリしたのに。

これじゃ上位のキャプテンズ・オブ・クラッシュグリッパーのクラッシュは永遠にムリです。ウソです。あきらめてます。

でも泣けます。

トウコツ神経麻痺に関してはわたしはまだ中程度の怪我だったのですが後遺症でいまだにうまく右手が操作できない有様です。指先もうまく動きません。長時間コントロールできないし。

泣いてます。

ま、わたしはおっさんだからいいんですが、若かったら大変です。後遺症の年月が長すぎますし繊細な仕事ができません。人生はどこにトラップがあるかわかりません。

みなさんもお気をつけください。

またこのブログを書き始めて夏至あたりでいわゆる「目覚め」といわれる状態になってしまいました。脳障害(?)の一種とも言えますか。

一般的には「悟り」といわれる現象らしいです。それにともない「無駄な心の声」が消失し「いまここ」の世界を除いて認識しずらくなります。つまりさらにヒマになりやる気がなくなります。

この現象もあまりに唐突におきて予期していなかったため狼狽し右往左往してブログ更新が遅れてしまいました。人生なにがあるかわかりませんね。

そのため人生観と自己が変容して現在のわたしは書き始めた頃のわたしではなくなってしまいました。アガサ・クリスティ恐るべし。

せっかく始めたブログも更新できないかもと不安でした。初期状態ではやる気が失せてしまうのです。感動も悲喜こもごもな感情も今までの自分より希薄になったように感じます。

アニメで例えるなら「カンフーパンダ」の主人公であるパンダのポーがシリーズ2で得た「内なる平和」の状態です。まあ、これで私も念願のポーの一族になれたわけですか。

少し違うか。

余談ですがこの現象が生じるとすべてが抜け落ちるのです。

この覚醒体験はクリスティを読んで自分のヨタ感想文を書いていなかったら生じなかったのだけは確信があります。アガサ・クリスティのミステリはわたしの「複数の目覚まし時計」でした。(そしてポワロの「複数の時計」(63年)はこちらから)

今の時代、クリスティの「フランクフルトへの乗客」(70年)などにみられるこの世界への漠然とした不安感からそうなる方多いかも。

覚醒したわたしのようなかたはネットでは一杯いてポピュラーなようです。たぶんトウコツ神経麻痺になるくらいの数かしら。

とにかくこのブログを立ち上げてから年末よりこちらずっと未体験ゾーンに突入しっぱなしです。

これからですが残りの戯曲と短編集の感想を書いて、mangaカテゴリのコミックを描いていきたいなと思っています。やる気があって出家しなければ。

また追記をしていき以前書いたようにもう少し充実したアガサ・クリスティのブログにしたいですね。もし迷っている方がおられたらアガサ・クリスティは人生にプラスになります。迷わず全部読むべきです。とアドバイスさせていただきます。

一般的に体裁をととのえて言うならアガサ・クリスティのミステリは人生で必ず役にたつからです。

本読みとしてなら言うまでもなく単純におもしろいからです。

またイギリスのTV版(デヴィッド・スーシェのポワロ)は取り上げるか迷いましたがストーリーが違いすぎるので書いていません。観た映画は入れさせてもらいました。

ミステリ好きな方には物足りない内容でしょうが、ヒマつぶしのためにおっさんが始めたブログということで大目に見てください。

じゃ、皆様もこれからもさらに楽しい人生をお送りください。

俺たちの冒険はこれからだ。

それではまた。

短編につきましては少しお待ちください。

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