杉の柩 SAD CYPRESS アガサ・クリスティ 恩地三保子 訳

真の男とはだれか。真の女とはなにか。状況に左右されず自分の信じた道をいくふたりを救う名探偵エルキュール・ポワロ。クールを装いつつも男気をみせるポワロがサイコーです。静かなストーリーのなかに熱い情熱が流れています。アガサ・クリスティ1940年の逸品です。

「杉の柩」のあらすじ

「バラ戦争」ランカスター家とヨーク家の戦争。

バラ戦争を模して幼い頃遊んだエレノアとロディーの恋人同士はローラ夫人の財産を相続するはずでした。

しかし門番の娘メアリイと再会したロディーは。そして事件が…。

凛と咲く一輪のバラのためポワロが立ちあがります。

男はさりげなさを、女は気品を失いません。

タイトルは「杉の柩」とジミですが非常にカッコイイハナシです。ポワロもイケてます。ポワロのアドバイスはまさに達人のアドバイスです。

アガサ・クリスティの高度な女子力が全編を支配している泣けるハナシです。

「杉の柩」の時代背景

「トミーとタペンス」シリーズの「NかMか」(41年)をご覧ください。

1939年。経済的に苦しいなかで第二次大戦が始まりイギリスはナチス・ドイツに宣戦布告します。1940年。ナチス・ドイツが大進撃。

アルデンヌの森を越え英仏軍を追いつめます。ウィンストン・チャーチルは挙国一致内閣で戦況に立ち向かいます。

フランスダンケルクから撤退を試み(ダイナモ作戦)多くの犠牲者を出しながらも辛くも成功します。

その後イギリスは同年のバトル・オブ・ブリテン制空権戦争を絶望的な少数のスピットファイア戦闘機でドイツ空軍を迎え撃ちます。

英国騎士対ドイツ騎士の空の戦いです。これもイギリスは騎士道的愛国心で本土上空を守り抜きました。

イギリスは騎士道精神と得意の粘り腰を発揮したのです。アガサ・クリスティは50歳前後です。

銃後の守りを託されたイギリス国民のひとりでした。ファシズムが台頭する海の向こうは戦場でした。「杉の柩」はそんななかで執筆されました。

怖かったでしょうね。

日本は戦時体制に移行しつつありました。いわゆる軍靴の足音が聞こえてきた時代です。

Wars of the Roses(バラの戦争)

World War II。第二次大戦です。その前夜の時代に「杉の柩」は描かれました。原題の「sad cypress」は悲しいイトスギと訳されます。死や墓地の暗喩となるようです。

作中で「今に、このイチイは切ってしまいたくなるだろうね、お前は。少し陰気だからね」とローラ夫人のことばをエレノアが思いおこします。

イチイは寺院に多いスピリチュアルな木です。

またイチイの木はなぜ教会神社に多いかというと聞いた話では木が曲がらないので神社を造り直すとき使用するらしいということと、寺院が襲われたときに矢として使うためというはなしです。当時は僧兵がいた時代です。

矢は木が曲がると用をなさないのでイチイは貴重だっのかもしれませんね。

イチイは赤い実がなりますがあの実以外はだいたい木全体に毒があるようで食べても種は出さないといけません。この実の毒はタキシンといい、「ポケットにライ麦を」では主要な毒物として扱われます。こんなの戦争で使われたらたまりませんね。

イチイは古代ケルトでは死の木として別格になっています。古代ケルトは石の文化としられていますが、洋の東西を問わずイチイはスピリチュアルな扱いの樹木ですね。

イチイとおなじようにタイトルになっているイトスギもスピリチュアルな木です。

イトスギは古代ケルトでは復活を祝福する象徴の木としてしられていたようです。イチイと対比すると希望がある木です。

だいたい1月25日から2月3日までと7月26日から8月4日までの日々を守護する樹木といわれていました。

立春と立秋が近いですね。

たしかに復活の木です。

こう考えるとイトスギは単なる死の象徴としてクリスティが選んだのではなく作品を暗示して選んだのではないかと思います。もちろんわかりませんが。

日本語タイトルはシェイクスピアの「十二夜」での坪内逍遥訳のセリフからとられているようです。今ではジミ過ぎるかもですね。

この「杉の柩」のキーワードはバラでしょう。そしてやはり時代の状況が影を落としているようにみえます。ロディーは借金がありいつ没落しても不思議ではありません。

そうなったら彼は生きていけないでしょう。その不安がひしひしと伝わってきます。

エレノアも遺産相続権はありますが天涯孤独です。館の主が死んでしまい、使用人も先行き不安な状況です。そんななかでもひとびとは生きていかねばなりません。

際立つのはヒロインたちの美しさです。しかしそれだけではありません。善悪を超えてポワロを召喚したガッツのあるあの男です。ただのモブキャラかと思っていましたがやってくれました。

戦争といえば「杉の柩」に出てくるプトマイン中毒は日本でもむかしは問題になりました。もったいないからとくさった肉も口にしたりしたからです。オトナはヤバイですが子供はもっとヤバイです。

さかなのペースト瓶詰めがそうなるのは時勢がひっ迫していたためでしょう。現在はタンパク毒ではなく細菌の毒素ということらしいですが。

野菊の墓

絶望的な状況においてひとはどのようなひとを信じどのような行動をとるのでしょうか。「杉の柩」ではポワロが審判員のようにそれぞれの登場人物の心情を試します。

そんななかテッド・ビグランドがメアリイをたとえる言葉「あのひとは-花のような娘だったのに」はポワロのこころを打ちます。「花のような娘だった」…。素晴らしいことばですね。

村の若者テッド・ビグランドの純愛が伝わって泣けてきます。

まるで「民さんは野菊のような人だ」を彷彿させます。彼は竜胆(りんどう)とはいわれていませんが。これも別の意味で泣けます。野菊の墓ですね。イギリス版矢切の渡しです。

「杉の柩」には全編しずかに音楽がながれローズの香りに包まれているかのようです。エレノアとメアリイの美しさ。ローラ夫人とライクロフト卿の愛。テッド・ビグランドとピーター医師の想い。

香り立つ小説です。

戦争の不安のなかでひとびとのこころをなぐさめ勇気づけたでしょう。

「杉の柩」のまとめ

戦時下では紙も貴重で出版も一部の知識人や読書家向けだったのでしょうか。何度も書きますが彼らの不安もアガサ・クリスティ「杉の柩」にはとりあげらています。

現実から目をそむけ転落する恐怖です。

ノーベル賞作家パールバックの大地の話題がでます。映画化されていたんですね。

調べたら1937年の製作らしいです。「シナの女って、何もかも辛抱しなけりゃあならないらしいですよ」

運命を享受する精神ですよ。

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