茶色の服の男 THE MAN IN THE BROWN SUIT アガサ・クリスティ 中村能三 訳

天涯孤独になった考古学者の娘アン・ベディングフェルドが1924年のイギリス、アフリカ行き客船、現地と活躍する冒険譚です。手持ちの武器は若さと美貌、大胆すぎる行動力、貧乏への超耐性です。どんなところでも生きていけます。変人考古学者の娘だけあってレディとしては進化の途中です。

「茶色の服の男」のあらすじ

唯一の身内である変人考古学者の父親が調査を重視するあまり肺炎をこじらせ死んでしまい文字通り天涯孤独になってしまったアン・ベディングフェルド。

受け継いだ遺産はたった87ポンド17シンリング4ペンス。

しかし経済的な価値観では世間とはかなりズレがある彼女には問題ありません。

本人、あまり頓着していない若さと美貌でロンドンにでて人生の大冒険に出かけようと決心します。

するとラッキーなことに地下鉄駅で男が転落、死亡する現場に出くわします。

ヴィクトリア朝の気配を受け継ぎつつも、男の値踏みは頭骨の長短で判断する変人考古学者の娘は死体を前にもたじろがず突然あらわれたニセ医者が落としていった紙切れに着目します。

その紙切れはある屋敷への紹介状でした。

その書かれていた屋敷でさらに女が殺されます。

アンは善良な一市民として警察に届けますが彼女の明晰さにくらべて警察はあまりにも愚鈍でした。

警察を立ち去ったアンは自分で解決しついでに職を手に入れようと新聞社に売り込みます。

そして機転をきかせて殺人現場で勝手に捜査をすすめインスピレーションに導かれるまま南アフリカ行きの客船の乗船券を購入します。

彼女は当初の望みどおり、冒険の旅にでかけました。

乗船券の代金はパパの全遺産87ポンドときっかり同じ。

ラッキー。まさに神の恩寵です。

当然冒険家アン・ベディングフェルドは迷わず購入を決めます。

すごい娘さんです。

「トミーとタペンス」シリーズ(22年~73年)のタペンス(探偵兼主婦)、「雲をつかむ死」 (35年)のジェーン・グレイ(美容師)、「メソポタミア殺人事件」(36年)のエイミー・ラザラン(看護師)、「バクダッドの秘密」(51年)のヴィクトリア・ジョーンズ(無職タイピスト)の系譜にならぶ女傑です。

彼女にはポジティブシンキングは必要ありません。

「茶色の服の男」の時代背景

1924年、大正13年です。

「秘密機関」(22年)「ゴルフ場殺人事件」(23年)もご覧ください。

労働党マクドナルドが初の内閣をつくります。ソビエトをイギリスが認めます。

アート面でイロイロ発展します。作中でもキュビズムが出てきます。パリで芸術家が遊学していた時代です。

アン・ベディングフェルドとブレア夫人ことスーザン

アレですね。ヴィクトリア朝の尻尾をつけた女性は男を凌ぎますね。剋すというべきか。カマド返しというか調理用ストーブ返しというか。

アン・ベディングフェルドはまるで大陸での雄飛をうかがう馬賊のようです。

「せまいイギリスには住み飽きたー。アタシも行くからアナタも行けー。海の彼方にゃアフリカがあるー。アフリカには四億の民が待つー」

「アタシには父も母もなくー。 生れ故郷も家もなしー。 馴れに馴れたる発掘現場あれど ー。別れを惜しむオトコもなしー」

オンナにしとくのは惜しいというのは性差別です。

まさしく若くて美貌の馬賊ですな。握る拳銃は今回モーゼルではないですが。

時代的にも都市馬賊が上海で暗躍していた時代ですから、そういう機運があったのでしょうか。

クリスティ自身がそうだったのでしょうか。古き良き英国の面影は読者のアタマの中にしか存在しないイメージのかもしれません。

まだ当時ロバート・E・ハワードのヒロイックファンタジー「キンメリヤのコナン」は出ていませんでしたが、キップリングはクリスティ作品には頻繁に何度も登場しますし、スティーブンスンの「宝島」のシルバー船長なんか本作に出てきますからね。

最終作「運命の裏木戸」(73年)で後期高齢者に近いタペンスが読みふけるのもスティーブンスンの「黒い矢」(バラ戦争を背景にした小説)ですから。

だいたい考えてみればヴィクトリア朝に大英帝国は大発展を遂げたわけですから人間力が男女ともパネェのは歴史が証明しています。

ま、でもクリスティは筋骨隆々はスキじゃないかもなので「コナンシリーズ」は読まなかったかしら。

あと奥行きのある悪党がスキっぽいですね。今回も魅力的に描かれています。

それと今回アンと組む人妻、ブレア夫人ことスーザンがまたいい味出してます。

ダンナのことは愛しているが少しうざい。

自分の冒険心を満足させるために何も知らないダンナにアンとの活動費を無心する術を心がけています。人妻は独身のオトコに有利であると知っています。しかも貞淑タイプはとくに。たぶん本気にならないから。いやはや。

そしていつも鼻にクリーム塗っています。淑女のたしなみを忘れません。

でもホームシックになりダンナのクラレンスがここにいたら、もうずいぶん会っていないわとかウルウルしだします。

相棒のアンには「顔にクリームでも塗ったら」とか言われてますが。

女ふたりコンビというのはクリスティ作品では珍しいのではないでしょうか。

映画になりそうな小説です。

レイス大佐とサー・ユスタス・ペドラー氏

以上レイス大佐の出演作です。

クリスティ作品の出色の背景でしかない希代の色男レイス大佐が本作品で初登場です。しょっぱなの作品でプロポーズして玉砕してます。

ムカシも好きなオンナに振られてそれで仕事に集中するようになったとかシミジミ述懐しています。

そして振られた娘のような年のアンにあなたなら世界的な人物になれるとか言われています。

わたしならこの時点でガス管をくわえてます。

クリスティ風ならオーブンにアタマを突っ込んでいるかもしれません。

このように振られつづけたせいかレイス大佐が最後に登場する「忘られぬ死」(45年)ではあんまり諜報活動に慣れすぎて性格がゆがんでいるとか若い衆に言われています。

レイス大佐はそのとき還暦くらいです。本作では40歳くらい。

またwikiで「複数の時計」(63年)の語り手コリン・ラムはTVではレイス大佐のセガレということらしいですが妻帯者のニオイはレイスからは感じられませんから少しムリがあるかもですね。

コリン・ラムは性格からするとバトル警視の五人の子どもの一人というのがやはり妥当でしょう。

そしてこの「茶色の服の男」の登場人物のなかでも際立って女性に正直な男、サー・ユスタス・ペドラー氏。

この人物はアンの手を握ることしか考えていません。秘書にさせてアンに手を握ってもらいつづけるのが夢です。

かれの女性の見立てはアシです。アシのシルエットがお好みのようです。この時代の男性にしては上品なほうなのでしょうか。

腰まわりと臀部に着目するのがムカシ的かと思っていましたが。クリスティはヴィクトリア朝の男を男目線で観察していますのでたぶんこれもスジなんでしょう。

ちなみにポワロ氏は爵位(ニセでも雰囲気が重要か)と腰まわり臀部、太もも系の好みだと思われます。年増がスキでもあります。これは「ポワロのクリスマス」(38年)でも顕著です。

今気づきましたがペドラー氏に限らず本作ではアン・ベディングフェルドはけっこうセクハラされているかもしれないですね。

冒頭フレミング氏にもさりげなく両手を握られていますし。家にも連れて行かれます。奥さんは在宅ですが。

彼女、変人にもかかわらずモテモテですから。

しかし最後までアンに手を握ってもらうことに執心するペドラー氏はやはりそうとうなモンです。

「茶色の服の男」のまとめ

今回の「茶色の服の男」はタイトルは地味ですがストーリーはど派手といっていいくらいの冒険小説です。冒険活劇小説というべきか。

ロマンスもいっぱいで夢もいっぱいです。

アンは変人ですが外見は瑕疵(かし)のないヒロインです。若くて美貌の女性です。ブレア夫人も美しい人妻です。おみやげダース単位で買い入れますが。

まあ、レイスもそうです。残念な色男ですが。

オハナシはストレートです。船の上は豪華ですし、アフリカもそれっぽいし。

またアンは女中のエミリーがうらやましいと言っています。

婚約者のたくましい船乗りと「出歩いて」その合間に八百屋の店員や薬屋の助手とも「腕を磨く」と称して「出歩いて」いるのが。

アンは今っぽい真面目なタイプの娘さんです。ヘンですけど。

ブレア夫人といいこの時代の娘たちもオトコの扱いに慣れてますな。

その点アンが1924年の本作中で一番古風です。

スキなオトコのためなら死んでもいいし乞食になっても泥棒になっても借金しても、彼のドレイになってもいいとブレア夫人に言い切ります。

一途です。まるで車夫富島松五郎(無法松)のようです。一撃で相手を倒せるオトコはここにはいないとかぼやいているし。

男の中のオトコです。若い美貌の女性ですが。

あとアンは父に愛されていなかったのを知っていてそれを受け入れています。さすがヴィクトリア朝魂の娘さんです。

クリスティの闊達なタイプのお嬢さんたちは幼少時あまり愛を受けていない境遇で育っています。これは「ホロー荘の殺人」(46年)のミッジ(アパレルマヌカン)のような健気な女性もそうです。

しかし、全員がひまわりのように前向きです。

美しいヒロインばかりです。

こういうヨメが来てくれたのなら多少波風があっても順風満帆で人生楽しいでしょうね。

今回のヒロイン、アンはさらにタフですが。

ヨメとオススメします。

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