1935年、引退したポワロが出会った事件です。謎のクィン氏で登場したクィン氏よりある意味謎のサタースウェイト氏が活躍する事件です。あいかわらず女性の秘密に詳しすぎです。ポワロが生い立ちを少し語ります。この段階ですでに老境です。しかしあと四十年頑張らないといけません
「三幕の殺人」のあらすじ
引退した俳優チャールズ・カートライトの自宅”カラスの巣”でのパーティに出席した、やはり引退したポワロはそのパーティで老牧師の突然の死に立ち会います。
衝撃的な出来事でしたがこの死には事件性が薄いと判断したポワロはそのまま世界旅行に出かけます。
しかし9月、カートライトの幼い頃からの親友ともいえる医師のバーソロミュウ・ストレンジが同じように自宅のパーティで変死します。ニコチン中毒死です。
その報をモンテカルロ滞在中のサタースウェイトは新聞で知り驚愕します。なぜならバーソロミュウ・ストレンジ、サタースウェイトともにくだんのチャールズ・カートライトの”カラスの巣”でのパーティに出席していたのです。そしてその死の様子はあまりにも似ていました。
そしてサタースウェイトは失恋から逃れるようにモンテカルロに滞在していたチャールズ・カートライトに会います。サタースウェイトはふたつの”死”には共通性があるのではないかとカートライトと意見が一致、急きょふたりはイギリスに戻ることを決意します。
カートライトと別れてすぐあとサタースウェイトはやはり”カラスの巣”での出席者で世界旅行にでかけた名探偵ポワロに偶然出会います。ポワロの事件への関心度をうかがいつつ積極的な関与の誘導を試みますが・・・。
もったいぶって名探偵エルキュール・ポワロ氏は本件には関心が薄い風をよそおいます。
本人かなりヒマで手持ち無沙汰なんですが。いわゆる無聊(ぶりょう)をかこつという状態なんですが、名探偵はその意思を保留してサタースウェイト氏をがっかりさせます。
しかたなくサタースウェイト、カートライト、ハーミオン・リットン・ゴア嬢の素人探偵達が真相を探るべく活動開始します。
三人が苦心して考えてかき集めた情報がかたちになる頃満を持してポワロが登場します。
当然ワクワクウキウキの唯一の女性ハーミオン・リットン・ゴア嬢には煙たがれます。彼女は三人の立ち位置での行動が気に入っていたからです。
まったく無粋な名探偵だと感じたことでしょう。
わたしも彼女の立場ならそう思いますな。
たとえ事件が永遠に解決しなくても。
「三幕の殺人」の時代背景
「パーカーパイン登場」(34年)をご覧ください。
この「三幕の殺人」は、「オリエント急行の殺人」(34年)、「なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?」(34年)のあとの作品になります。
エルキュール・ポワロ
ポワロはサタースウェイト氏を前に身の上を語ります。
貧しかった子供の頃。そして当時は皆そうだったこと。
警官になり一生懸命にがんばり出世してやがて世界的名声を博して退職したこと。
そして第一次大戦が始まり負傷して避難民としてイギリスに仲間達と逃れてきたこと。
そこで親切にしてくれたある夫人が殺され知力を尽くし犯人を見つけ出したこと。
そして探偵として第二の人生をイギリスで生きるようになり難事件を解決しつづけたこと。
そしていつの日かビッグマネーを握り夢を実現させようと誓ったこと。
第一次世界大戦(1914年~18年)
ポワロの祖国ベルギーは第一次世界大戦でドイツ軍にあっという間に侵攻されました。
その第一次世界大戦は人類史上ではじめての短時間大量死の戦争でした。
使われたおもな新兵器は複葉機、戦車、毒ガスなどです。
特に両軍の毒ガス(塩素ガス、マスタードガス、ホスゲン)の攻撃では数千人規模があっという間に数分で命を落としました。また糜爛性(びらんせい)ガスの後遺症などもひどい有様だったようです。
各国は古き良き時代の義務感使命感で戦争に望みましたが開発された新兵器はそれらの精神や予想をはるかに凌駕し、両軍の将兵の顔色をなからしめました。
それはさらに戦後シェルショックと呼ばれる深刻なPTSDを引き起こし兵士の心に深い傷跡を残しました。
イギリス軍は激戦地であるソンムの戦いでは一日で八万人近くの兵士を死傷し失いました。ポワロの相棒のヘイステイングズ大尉はその戦いの生き残りです。(「ゴルフ場殺人事件」(23年))
トミーとタペンスが参戦しています。(「秘密機関」(22年))
トミー(トーマス・ベレズフォード中尉)はフランス戦線(西部戦線)に従軍しのちメソポタミヤ戦線で二回負傷しています。タペンス(プルーデンス・カウリイ嬢)は後方ロンドンの将校用病院勤務です。
またアガサ・クリスティ自身も薬剤師として赴きました。
第一次世界大戦はだれも予備知識のないままに突入した人類史上初の科学による人命損耗戦争になりました。
地球規模で四年間で相当数の人類が失われました。数千万人です。これにはスペイン風邪流行(インフルエンザのパンデミック)の死亡者を含むとはいえケタが違いすぎます。
イギリスは当時日本と同盟を結んでいました。しかしアジアでの国益を重視するあまり政策で迷いイギリスは迷走します。チャーチルはこれを批判しました。
ただ日本的には助かったかもしれません。
しかしまたまた書きますが本当にヨーロッパは外交が上手と言えるのでしょうか。各国のエゴが強すぎて状況を見誤り事態をさらに混乱に陥れています。国益を考えすぎてむしろ逆に損なっています。
日本でもこの10年前の日露戦争(1904年~05年)で兵士の短時間大量死を経験しています。このときのロシアとの陸戦(おもに二〇三高地)ではマキシマム機関銃とライフル、砲の性能の差が大日本帝国軍を苦しめました。谷が埋まるくらいの死者を短時間で出しました。
詳しく知りたいかたは司馬遼太郎の「坂の上の雲」をご覧ください。
これらは引き続き第一次世界大戦での塹壕戦で主要な火器として登場します。
戦争はヤバいです。
ポワロはその時代国を追われた難民としてイギリスに亡命していたのです。
イギリスでの名探偵時代
「スタイルズ荘の怪事件」(20年)が語られます。
ポワロに親切にしてくれた夫人とはエミリイ・イングルソープ夫人です。
このスタイルズ荘はポワロの最後の事件(執筆は第二次世界大戦中)「カーテン」(75年)で年をとったヘイスティングズとともに再登場します。
この「スタイルズ荘の怪事件」(20年)のあと「ゴルフ場殺人事件」(23年)、「アクロイド殺し」(26年)、「ビッグ4」(27年)、「青列車の秘密」(28年)、「邪悪の家」(32年)、「エッジウェア卿の死」(33年)、「オリエント急行の殺人」(34年)、そして本作と続きます。
そして富豪探偵
夢を実現させたポワロです。浜田省吾の「ビッグボーイブルース」か「マネー」のようなこといっています。若いですな。野心に満ち溢れています。
ま、とりあえず成功したら世界漫遊旅行を考えますか。女性は熟女で貴族しか興味がないようですし。なんかマニアックだし。
しかし結局やることがないので探偵業に復帰して活躍することになります。
よかった。
またポワロはサタースウェイト氏にあなたはキレイな英語も話せるのになぜガイジン風のカタコト英語なのかと尋ねられます。
ポワロは下に見られたほうがひとは警戒心を解いて本音を話すからだというニュアンスで答えます。また自己宣伝もするのだとも。
人間のプロですな。
「三幕の殺人」のまとめ
犯人とかとは別の意味で怪しいサタースウェイト氏はあいかわらず怪しいままです。参照(「謎のクィン氏」(30年))ヴィクトリア朝気質を抑えつけている殿方らしいです。はい。
ジェンダーフリーというヤツでしょうか。だとしたらフリーすぎるような気がしないでもないですが。
この作品でもクリスティはヴィクトリア朝に言及していてゴア嬢にはヴィクトリア朝のママならきっと男性のフトコロに清純を装って(あくまでも装って)飛び込めたはずとか、サトクリフ嬢にはヴィクトリア女王時代の女性を驚かせるのはなかなか容易ではないとかいわせています。
ヴィクトリア女王時代の女性は普段は無口で物静かでもちゃんと最悪のことは考えているんだそうです。
現代の男性ならわたしも含めて押しつぶされていますな。ヴィクトリア朝の女性についてもっと知りたいかたは「もの言えぬ証人」(37年)を参照してください。ちなみにこのミステリでは本作について語られています。
この「三幕の殺人」は一幕でポワロを含む事件と内容、二幕で三人の素人探偵たちの活躍、三幕でポワロが降臨して具体的な謎解き開始となります。
たしかに舞台を観るようなミステリの構成になっていてさすがアガサ・クリスティだなと思わされる内容になっています。
あとラストのポワロのセリフが一番のどんでん返しという意趣を凝らした作品になっています。いやはや。