短編集から12年後、1941年出版のベレズフォード夫妻の冒険譚。かつては「ぜんぶ老人どもが悪い」と公言していたトミーもオッサンです。また英国一の女アウトロー、タペンスはやはり発火点の低いままで床に編みかけの帽子を叩きつけてます。ぶっ飛んだカップルはいまだ健在です。全然かわってない。
「NかMか」のあらすじ
舞台は1940年。
ドイツ軍がマジノ要塞線を避けつつ不可能と思われていたアルデンヌの森を電撃突破してフランスを占領、そのため追いつめられたイギリス軍はダンケルクからの撤退を決死の思いで断行、まさしく臥薪嘗胆の思いを胸に伏して反撃の機をうかがう直前の頃です。
まだ戦局は決定的ではなくあいまいなまま春。
第一次世界大戦での従軍経験もあるベレズフォード夫妻は朝からいきり立っていました。
かつて国家に多大なる貢献をしたと自負しているトミーとタペンスのふたりは軍に復帰を希望するもジジィとババァ扱いされていたからです。
そこにかつての上司カーター氏の友人グラント氏が来訪、職を探しているなら事務仕事なら提供する用意があるとトミーにオファーします。
しかしこれは表向きで実は獅子身中の虫である第五列(スパイ)を摘発する任務でした。
殺された腕利きの前任者が残した暗号は「NかMか」そしてあるホテルの名前だけ。
そのうえでこの任務はトミーのみで行いタペンスには秘密にするよう厳命されます。
タペンスへの一抹の罪悪感をおぼえつつもトミーはアバディーンにあるそのホテル、「無憂荘」へ赴きます。
が。
無憂荘にはトミーとグラント氏をあっさりと出し抜いたタペンスが一足先に鎮座ましましていました。
はい。野郎ふたりはタペンスをあなどりすぎていました。
そのためタペンスのカヴァーするキャラ設定が履いているパンツのイニシャルがB(ベレズフォード)でかえようがないから独自案でブレンキンソップという姓になってしまいました。
パトリシア・ブレンキンソップ(本名タペンスことプルーデンス・ベレズフォード)。
ちなみにブレンキンソップは二番目の夫の姓です。彼は肝硬変で死にました。
最初の夫との間には子どもが三人いてダグラスは海軍、レイモンドは空軍、末っ子のシリルは国防義勇軍に在籍しています。
最初の夫の姓はヒル。
ヒルという名前はありふれていて調べるのには電話帳で3ページもあるので怪しまれても問題ないという理由です。
ここでさすがにメドウズ氏(本名トーマスことトミー・ベレズフォード)、妻は10年前にシンガポールで死んでいます、から亭主が二人に子どもが三人のキャラ設定はやりすぎだ、化けの皮がはがれるぜと忠告されます。
サン・スーシ(フランス語語源の憂いなしの意)なはずで「無憂荘」なはずなのに。
わたしが亭主ならその場で卒倒しています。
タペンスはタペンスでした。
初登場以来なにも変わっていません。
しかしもうどうにもならないのでこのまま潜入調査は進みます。
のちにグラント氏はイーストハンプトン卿から事前に利発な無法者タペンスについてアドバイスを受けていたことをトミーに告白します。
「奥さんをのけものにしてはいけない。さもないとやりこめられる」と。
アンタもカーター氏(イーストハンプトン卿)の忠告を聞いていなかったのかい。
「NかMか」の時代背景
1941年は「白昼の悪魔」(41年)舞台となった1940年は「杉の柩」(40年)をご覧ください。
ドイツの電撃戦(機械化部隊の運用思想)でイギリスは苦戦をしいられており、冒頭イ-ストハンプトン卿(かつてのトミーの上司カーター氏)からアドヴァイスを受けたグラント氏がこれからのイギリスの反撃を匂わせています。
とにかくダンケルクからの切捨て撤退作戦など大戦初期はイギリスはぎりぎりでした。チャーチルがいなければあいまいなままイギリスは負けていたでしょう。
パイロットの数も足りずバトルオブブリテンの制空権争いの戦いでは各飛行場から飛び立った何機かのスピットファイア戦闘機でドイツ空軍数百機を迎え撃つというブラック企業真っ青の無茶ぶりです。
頼みになるのは名機スーパーマリンスピットファイア戦闘機の優れた空戦性能と英国人のユーモアのみという土俵際に追いつめられた小兵力士のような状態でした。
フランスの海岸沿いは「NかMか」のものがたり途中ですべてドイツに押さえられてしまいます。
当時最強の海軍を有していたとはいえもはやイギリス本土にドイツ軍が上陸してくるのは必然と思える状況です。
しかしイギリスはいつもアシがトクダワラにかかると粘り腰を発揮するのです。
やはり現場が強いイギリス人らしく適材がつねにいます。
今回、ロートル扱いされて激オコプンプン状態のベレズフォード夫妻ですが慧眼の持ち主イーストハンプトン卿が引退したとはいえまだ健在だったため国家危急存亡のかかったこのミッションに推薦され表舞台に復活します。
そしてこの未曾有の国難に天衣無縫な歴戦の問題カップルが立ち向かうのです。
これは戦争なのだ
タペンスが自分に言い聞かせるようにこころのなかでつぶやきます。
クリスティ作品のなかで現実世界とほぼ同時進行なのはこの「トミーとタペンス」シリーズのみです。
チャップリンの映画「独裁者」の公開が40年ですから、「NかMか」は同時期の作品です。ナチスドイツが快進撃のさなかの作品です。
ナチスドイツの上陸は目前、本土決戦の可能性大でもあった時期の作品です。パラシュートでスパイが毎日イギリス本土に舞い降りているような説明もあります。
恐ろしかったでしょうに。
しかし「NかMか」はトミーとタペンスのふたりはもとより作品世界自体がまったく色あせていません。海辺の町を舞台に非常にヴィジュアルです。
そして特筆すべきはイギリスという国家のふところの深さ、アガサ・クリスティの作家、人間としての矜持です。
クリスティは平然と国家と政治、国民性を批判しています。しかしじっさいの国民をおろかだとは言っていません。
また現在敵国ではありますが生活者であるドイツ国民をタペンスの口を借りておもんぱかっています。そして戦時においては違法行為スレスレの息子との(架空ですが)情報のやりとりを母親だからとこれまた婦人達のキャラの口を借りて言わせています。
イデオロギー的なものではなく心情や自分の意見を生活者目線で描いています。それが80年近く経過した現在でも違和感なくストーリーを楽しめる理由でしょう。
この作品を読めば我が国の当時の政治中枢、思想レベルの幼稚さがわかります。武士道の文化が隠され前面に押し出されているのは変質したある種の選民妄想です。
大日本帝国の国民をアタマから低脳だと決めつけているような国家の統制。
しかもその連中の傲慢さは平和主義の昭和天皇の憂慮を無視するご都合主義です。
自分たちの世界観がすべての利巧バカが机上の空論を並べ立てて戦争していたのでしょう。
無理に拡大させ混乱するいっぽうの戦線に一歩も立たずに。
死地に赴くのは有為の人々と国民のみです。
まあ、いまもかわらないか。
イーディス・キャヴェル看護師
トミーが「無憂荘」の娘シーラと語るキッカケとなった人物です。
「トミーとタペンス」のスタンス、クリスティの不動のスタンスが感じられます。非常に深いシーンです。
トミーとシーラは愛国心について意見をかわします。
シーラは愛国心など大嫌いです。
キャヴェル看護師は第一次大戦でイギリス兵を逃がしスパイ容疑で銃殺された看護師です。
シーラはそれは当然だと言い切るのですが、それは彼女の複雑な事情からのものです。
そしてシーラの生い立ちを理解したトミーが最後にキャヴェル看護師の処刑前のことばをくりかえします。
「愛国心だけではじゅうぶんではありません……敵にたいして憎悪の念をいだくことがあってもならないのです」
このセリフはタペンスによりもう一度登場します。
キレイごとだけでは処理できない事実や感情もあります。
昨今では我が国にもミサイルが落ちる可能性がリアルになってきていますし。
しかしひととして決して忘れてはいけないことばがここにあります。
また、この年くらいからララ・アンデルセンの「リリーマルレーン」がドイツ兵のみならず連合軍兵士、特に北アフリカで戦うイギリス兵の間でも流行っていきました。
「砂漠の狐」ロンメル対「砂漠の鼠」モンゴメリーの激戦になっていきます。
両軍兵士は故国の恋人を想い、戦場で口ずさんだことでしょう。
なお、「リリーマルレーン」は連合軍側では慰問に訪れたマレーネ・ディートリッヒが歌っていましたが、彼女は戦後ドイツ国民からトゥレイター(売国奴)と呼ばれます。
アガサ・クリスティはガッツがありました。
「NかMか」のまとめ
今回ベレズフォード夫妻こと「トミーとタペンス」はひとりの父親母親の目線で第二次世界大戦の最前線に凄腕の情報部員として参戦しています。
そしてその親の目線をいかし身命を賭して敵の攻撃を未発に防ぎ国家の危機を救います。
子供たちは父母の偉大さ(うすうす気づいているようにも見えますが半信半疑でしょう)にはまだ気づいてはいません。
しかしそれでもただ「トミーとタペンス」はずっと10代20代の頃から共同の冒険者、永遠のパートナーなだけなのです。
それが「トミーとタペンス」シリーズに失われることのない清涼感をあたえているのでしょう。
そして重要人物、アルバートです。彼もまたトミーとタペンスと同じ「時の船」に乗り重要な役割を演じます。
今回も彼がいなければ一大事になっていたことでしょう。
またこの「NかMか」は究極状況におけるさまざまなクリスティのノウハウ、思いが詰められてもいます。それはポワロやミス・マープルのような神々ではないパンピーでも活用できるものです。
クリスティの全盛期に書かれた「NかMか」は特筆すべき偉大な作品です。
一読をおすすめします。
次は27年後「親指のうずき」で。