1931年出版。中編3篇、短編1篇。すべてポワロ物です。非常に読みでがある短編集です。本格推理でポワロの灰色の脳細胞が炸裂です。「厩舎街の殺人」ではジャップがあいかわらずの性格で登場、「死人の鏡」では「三幕の殺人」のサタースウェイト氏が冒頭に登場します。また、日本語タイトルと英語タイトルが違います。(英国版と米国版の違いで、日本版は米国版タイトルです)
厩舎街の殺人
英国版のタイトルになっている作品です。1937年。
ガイ・フォークス・デーでの殺人事件です。
最近では国境を越えたスーパーハッカー集団「アノニマス」で有名な人物ですね。
あの、髭の白面です。反骨精神の象徴ですね。
ぶっちゃけ、テロリストですが。
通常アノニマス・デザインとかにアノニマスは使われます(カップの取っ手などの無名性、つまり誰が考えたわけでもなく自然発生的に形作られたデザインです)が、こちらハッカー集団では匿名性という意味で使用されているようです。つまり、誰でもないというワケです。
そして厩舎街(ミューズ)とは厩舎のような家々が並んだ路地街らしいです。
その爆竹が鳴り響いていたガイ・フォークス・デーに、ポワロとジャップが歩いていた厩舎街で起こった「自殺事件」です。
単なる自殺事件であればポワロは出張らないのですが、そうではないと踏んだジャップが、まるで野鳥観察に誘うようにポワロに「なあ、こないか」と誘いの電話を入れます。
ポワロが有名探偵だとしても、ここはお気楽すぎるジャップのアバウトさがよく出ているシーンです。
事件現場では左側頭部が撃ち抜かれているのに、25口径の拳銃は右手に握られているという不自然な女性の遺体が残されていました。
ここからポワロの頭脳戦と対比させられようなジャップの捜査が開始されます。
あいかわらずポワロを真にリスペクトしているとは言い難い扱いです。さすが、ジャップです。また、部下も外国人差別を隠そうとしません。
ポワロ物というよりワタシはジャップ物として読んでいました。
どんどん腑に落ち、事件が解決しそうに思えてきます。
でも全然ちがいます。
本質、この短編は相手との頭脳戦です。
そして事件をポワロが解明、解決してもジャップはあいかわらずです。
君にしちゃあ、上できだよ、飯でも食いに行くか、とまるで往年のクレージーキャッツの植木等並みのいい加減さです。
さすがジャップ、スコットランド・ヤードイチの無責任オトコと思えるほどです。
なお、ポワロはキノコのオムレツ希望のようです。
やはりオムレツ好きなんですな。
謎の盗難事件
ストレートなタイトルです。
空軍幹部と兵器省幹部の打ち合わせ兼ホームパーティでの新型爆撃機の設計図盗難事件です。
仕事と遊びを一緒にこなしています。時短です。働き方改革です。
まあ、偽装なのでしょうが、これはリスクが大きいですね。リスクがあまりに大きすぎます。
で、ブリッジ後、幹部男性ふたりは優雅にテラスを散策でもと、フランス窓から雨上がりに外に出て…。
案の定、設計図は盗まれます。
そして午前2時半、名探偵氏はたたき起こされロールスロイスをぶっ飛ばし、おっとり刀で屋敷に駆けつけることになるのです。
迷惑この上ないです。ま、VIPの依頼ですからね。
しかも腹の内では、なんだ、ベルギー人かよと思われていたとしても。
終盤のポワロのストーリーの運び方はクリスティならではのバランス感覚でカタルシスさえ感じます。
いつもですけど。
死人の鏡
日本語版、米国版のタイトルになっている作品です。
「烏の巣事件」(「三幕の殺人」1935年)のサタースウェイト氏が冒頭に登場し、主要人物と舞台説明をしてくれます。
まあ、ポワロが誘導するのですが。
モチロン、サタースウェイト氏のメインは言うまでもなく「謎のクィン氏」(1930年)のシリーズです。
ポワロは傲岸不遜な準男爵からの依頼を引き受けるべきか迷っていたのですが、サタースウェイト氏のハナシを聞き、出かけることにします。
問題だらけのハムバラ荘へ。
そしてポワロが到着してすぐ、依頼人のゴア卿は自殺とおぼしき死体で発見されます。
この旧家は夫婦ともに相当、キテます。
これは登場人物たちによってもハッキリ語られている真正のイカレっぷりです。
死体で登場のゴア卿は自分の家系が全世界という人物であり、当家の血統しか興味がありません。
その夫人は古代エジプトの女性ファラオの生まれ変わりだのその前はアトランティスの尼さんの生まれ変わりだのと、のたまうスピリチュアルがいい具合にまわった女性です。
この家ではランチタイムのお知らせは銅鑼の音です。
ハッキリ、ゴア卿はそろそろ入院させるつもりだったと養女によっても語られています。
血が濃すぎるのも問題だと奥方によって懸念されています。
で、ここでもフランス窓が重要な役割で登場します。フランス窓とはドア風窓というか窓風ドアというか、70年代少女コミックに出てくるアレです。
そして悲劇をポワロが解明し、そっと真実を胸のうちにしまって物語はおわります。
ポワロにはいつも惻隠の情があります。
砂にかかれた三角形
短編、リゾートミステリです。
どこか傑作「白昼の悪魔」(1941年)を思わせる作品です。舞台はデヴォンのスマグラーズ島ではなくエーゲ海のロードス島ですが。
物語はロードス島の燦燦とした陽の下、浜辺でスタートです。
全裸に近い女性が日焼けのため寝転んでいます。
となりで小男が陽に焼けないよう着込んでいます。モチロン、その人物はエルキュール・ポワロ氏です。
なぜポワロはオトコ一人、こんなところで油を売っているのだろうかといぶかしく思えます。
いえ、名探偵氏は若い女性の背中に日焼けオイルを塗っています。まったく嫌そうです。
ロードス島にはポワロは失望していました。ポワロはいつも間違った保養場所を選択していますね。
ストーリー上、ポワロとは別世界のような女子ロッカー室のような会話が続きます。
ポワロ氏は三角形を砂の上に描いているだけです。
そして、預言者の山と呼ばれる場所でポワロ氏は女性にアドバイスをします。ここはどこか「ナイルに死す」(1937年)を思わせる雰囲気ですが…。
この短編集で一番短い物語ですが、内容は引けを取りません。
「死人の鏡」のまとめ
まず、読みであります。
ポワロが全話に登場し、いかんなくその灰色の脳細胞をフル活用する姿は見事です。
それぞれのハナシが長編に匹敵する密度ですので、本腰を入れて読むハメになります。
また、調度品、小道具、季節、土地柄が印象的に描写されていますので、臨場感をもって楽しめます。
表題の「死人の鏡」では「鏡は横にひび割れて」(1962年)と同じアルフレッド・テニスンのレディ・シャルロットが引用されています。文字通り、鏡は横にひび割れて、と。
最盛期の作品集といえるでしょう。
クリスティのビフテキのような中短編集です。
おススメです。