1971年に出版された「復讐の女神」はアガサ・クリスティ最晩年の作品のひとつです。ミス・マープルの「カリブ海の秘密」(64年)の続編が「復讐の女神」です。書かれなかった「Woman’s Realm」とでアガサ・クリスティは三部作にする予定でした。
「復讐の女神」のあらすじ
前作「カリブ海の秘密」(64年)で知り合った大富豪ラフィール氏の死亡をミス・マープルは知ります。ラフィール氏から遺言で依頼されたミス・マープルは調査を引き受けようと腹を決めます。
しかしその調査は目的も内容も知らされないすべてが謎の調査でした。そんなミス・マープルのもとに数日後一枚の庭園めぐりバスツアーのチケットが送られてきたのです。
「復讐の女神」の時代背景
バスや列車が定刻どおりに運行しない、毎日どこかでストライキがおこなわれているなど1980年くらいまで英国病として有名でした。でも英国人は慣れたものだったようです。
2019年3月追記
1971年ノルウエーが北海油田を採掘開始です。英国はピリピリしてたでしょう。なんでどこの国でも微妙な海域で資源が発見されるのでしょうか。
スエズから撤退したのでバーレーンが独立します。古き英国は斜陽化する一方ですね。
映画では「小さな恋のメロディー」ですね。ビージーズの切ない歌が心に響きます。もちろん現在おっさんのこころにも。ビージーズももう生き残りが少ないです。
主演トレーシー・ハイドが俳優やめて事務員になっていたのを映画雑誌「スクリーン」で知り、ハイスクールの学食で100円のラーメンの箸を落としそうになりました。これはダイアン・レインの「リトル・ロマンス」を観てこころを立て直しましたが。
映画のキャラのようにぼくの本当の彼女は過去に生まれていたか未来に生まれるかで現在はいないのではないかとか妄想していました。あっちはIQが天才ですが。これ、クリスティには全然関係ありません。
紅茶の輸入自由化がわが国では始まったそうです。若い女性には楽しみが増えたでしょう。an・an、non-noが創刊された頃です。商社の駐在員か新聞社の特派員くらいしかアフタヌーンティセットを実際に食べた人は少なかったのではないでしょうか。いやいや、日本人は侮れないですからね。特に女性は。
バゲットとかバタールとか言わず当時は普通、フランスパンと呼んでいましたね、私のまわりでは。しかも20代の女性たちでも。これが当時のわが国です。それなりにパワーがありました。いまの中国のようです。エコノミックアニマル全盛です。ハンカチ一枚売るのにサハラ砂漠に赴き、しょうゆを普及させるのにバーベキューしている家族連れの間を回っていたそうです。昭和一桁は偉かったか。
でもまだ1ドル360円です。外貨の持ち出し制限もあり、当時悪名高いノーキョーの方々か団塊の世代のバックパッカーがようやく世界に拡散させていきました。良くも悪くもジャパンのイメージを。
そしてアガサ・クリスティ最晩年、ミス・マープルの英国田園での究極ミステリが始まるのです。
最後のミス・マープル
失礼ながら最後の作品からの紹介になります。今風にいうなら最強のBB、a、いえオトナ女子ミス・マープル登場です。
アガサ・クリスティの死後出版された「スリーピング・マーダー」は戦中書かれた作品です。ミス・マープルものの実質最後が「復讐の女神」なのです。
前作のラストにミス・マープルは「わたしは復讐の女神<ネメシス>」と名のります。そこから彼女は外見とは裏腹の畏怖すべき存在になっていきます。
この<ネメシス>がかつて「カリブ海の秘密」(64年)で知り合ったヴィクトリア朝男子の権化ラフィール氏とのふたりだけの秘密の符丁になります。
すでに当時全身不随状態で成り上がり気味の富豪ラフィール氏と病気療養中で甥にすすめられるままそこを訪れたにすぎないミス・マープルは「カリブ海の秘密」(64年)で互いに認め合い、いちもくと全幅の信頼を置いて事件を解決に導きます。
そこでのふたりの信頼関係はヴィクトリア朝時代の古き良き男子と女子のやりとりで形作られます。表面的なやりとりではありません。(ヴィクトリア朝時代の人物はどんな人々かはミス・マープルでは「魔術の殺人」(52年)、ポワロの「もの言えぬ証人」(37年)、クリスティの八十歳記念作品「フランクフルトへの乗客」(70年)でよくわかります)
真のヴィクトリア朝の教養を身につけた超一流の男女の出会いとはどういうものかわたしたちは垣間見ることができるでしょう。
その盟友からの依頼がこの「復讐の女神」です。
クリスティ作品の中でも超絶難問に入ります。
公道を水のように
正義をつきない川のように
流れさせよ。(アモス書)
旧約聖書です。アモス書第五章24節。
ラフィール氏がミス・マープルに依頼した文書の最後に引用されています。
ピンクの毛糸編みに包まれた復讐の女神に託された言葉です。
そして、彼女はその依頼に最善を尽くすことを誓うのです。
ここ、ヴィクトリア朝の不滅の魂、炸裂です。
ミス・マープルの知性、洞察力、冒険心がいかんなく描かれたアガサ・クリスティの傑作です。
衰えを知らない頭脳の冴えを今回も存分に発揮します。彼女の推理と行動は昔風にいうなら「居並ぶ偉丈夫の顔色なからしめ」ます。ま、いつもですが。
アガサ・クリスティとスピリチュアル
アガサ・クリスティの作品には時々スピリチュアル的な側面がかいま見えます。たとえば「ゼロ時間へ」(44年)では自殺未遂で目をさましたマクハーター氏の看護師です。
スコットランド西部沿岸出身の彼女の家族には「未来の見える人間」がいたのだというくだり。
「ねじれた家」(49年)では<とりかえっこ>という妖精のたとえ、ウイリアム・ブレイクの詩、そして「謎のクィン氏」(30年)です。
当時の英国では普通の教養なのでしょうね。今回のキーワードは「守護天使」そして「ネメシス」です。
矛盾するかのように暗示的に明示されストーリーとツアーバスはすすみます。アガサ・クリスティ「復讐の女神」は文字どおりミス・マープルのマジカルミステリーツアーです。
オトナ女子のさきがけ!?ミス・マープル
「復讐の女神」はアガサ・クリスティのなかでも別格なトキメキがあります。
なにがトキメくかというと、全面解決したミス・マープルの姿を見つめていた弁護士シュスター氏がかつて若かりし頃、日曜学校で見た少女のヴィジョンにだぶらせるシーンです。
シュスター氏は遠い昔、日曜学校でみた若くて幸せでおもしろ楽しくしていた少女の姿をミス・マープルに重ねるのです。シュスター氏もまた本質を「観る人」だったのでしょう。
この描写がミス・マープルという女性の魅力をFX取引のレバレッジのように効かせています。うーむ、比喩としてどうか。
二万ポンドの報奨金はすべていにしえのオトナ女子の野望に使われるのです。ロマンチックで現実的ですよね。
アガサ・クリスティもオトナ女子だったのでしょう。失踪もしてますしね。そして人生の達人でもあったのでしょう。
シャコ!マロングラッセ!まるごと食べたい!
ミス・マープルはふだん、おいのレイモンドのおかげで少しぜいたくができる程度の質素な生活をしています。しかしムカシオトナ女子の野望は健在です。
依頼を受けた不純な動機の一部もシャコを一羽丸ごと、マロングラッセを一箱ごと食べたいだの、観劇するのにタクシーを使いたいだのというムカシオトナ女子のささやかな願望に過ぎません。
ちなみにシャコとはエビではなくキジとウズラのあいだの大きさの鳥らしいです。残念ながら私は食したことがありません。
ミス・マープルは若い頃どこで食べたのでしょうか。そんなにお高くないのではと思うのですが。
ミス・マープルは美魔女のさきがけでもある?!
片田舎セント・メアリ・ミードを愛しそこから世界を推理するミス・マープル。シンプルでクレバーなライフスタイルの持ち主です。
古き良き時代の英国婦人の代表といえるでしょう。ブレがありません。深い森に住む魔法使いのようです。
男性を少女のヴィジョンで魅了させるアンチエイジングの美魔女でもあります。そう観える人限定ですけど。
「復讐の女神」のまとめ
私は「復讐の女神」を読んでアガサ・クリスティを身近に感じました。晩年になってもこんなハナシを考えつくアガサ・クリスティを素直に尊敬します。そしてミス・マープルは私の目標です。
牧師館の殺人 1930年
書斎の死体 1942 年
動く指 1943年
予告殺人 1950年
魔術の殺人 1952年
ポケットにライ麦を 1953年
パディントン発4時50分 1957年
鏡は横にひび割れて 1962年
カリブ海の秘密 1964年
バートラムホテルにて 1965年
復讐の女神 (本作) 1971年
スリーピング・マーダー 1976年