1930年作品。メアリ・ウエストマコット名義の第一作。別名義で出版するにあたり一作目にふさわしい作品です。メアリ・ウエストマコット名義の作品は「ひとの深淵」を描いている作品ばかりですが、こんな早い時期から描いていたとは驚きです。「シタフォードの秘密」より以前の出版ですから。人は自分を愛してくれる人よりも自分が愛した人を選択するのでしょうか。
愛の旋律あらすじ
冒頭、オペラ劇場のこけら落としのシーンから始まります。無名の作曲家による「巨人」とタイトルをつけられた歌劇。非常に象徴的です。また、推理小説を思わせるかのような出自が謎の作曲家が提示され、読む人を引き込みます。
ヴァーノンは繊細な子供でした。子供時代、様々なナースと出会い、別れます。そして父親の死。ここで重要なのは人ではありません。「邸宅」です。アボッツ・ピュイサンという「邸宅」が中心なのです。そしてそこで出会った新時代の子供たち。
アボッツ・ピュイサンで出会った子供たちはその後、それぞれの道を歩みます。気難しくて繊細なヴァーノンは紆余曲折を経て音楽家を志します。幼馴染とのつながりはつかず離れずの距離を保ちつつ、しかし変化していきます。
アートと俗世間との対峙のはざまでヴァーノンは漂流します。そして一人の女性と宿命的な出会いをします。運命ではない、宿命の出会いです。
そして第一次大戦。戦死。不吉な言葉が続きます。世界情勢は個人の人生を一変させます。
愛の旋律 の時代背景
1930年です。「牧師館の殺人」の出版年です。ということは世界大恐慌の最中です。昭和は5年。昭和一桁の中のどちらかというと右気味の方が多い生年でもあります。もはや鬼籍にはいられている方も多いです。昭和も遠くになりにけりです。明治は遠すぎて何が何やら誰もわかりません。
ナチスが台頭します。作中、重要人物のひとりセバスチャン・レヴィンはユダヤ人です。いまのところまだ無事です。1930年は過渡期の真っ最中であり、その後の世界史の萌芽が各地で芽生えていた時代と言えるでしょう。
エリザベス朝の面影
「愛の旋律」はひとの動きはあまり関係なく進みます。時代の中で振り回されるZ世代と言えるかもしれません。ボーア戦争、第一次世界大戦、タイタニック号。
今はコロナ、戦争、DX、少子高齢化、異常気象。まー、今の方がきついですか。Chatgptが出現したからなんとかなるか。同じか。
登場人物の感性はエリザベス朝の「それ」ではありません。アプレゲール、ローリングトウェンティと呼ばれた方々のものです。キャラ的には少し上の世代になるかもですが。
親世代はエリザベス朝のしっぽの部分の方々です。生活も同じです。家に執着する点も同じです。これは第二次大戦中もややしばらく続いているのがクリスティ作品で読み取ることができます。
若き芸術家の肖像
と言ったら、ジェームス・ジョイスの作品です。しかし本書「愛の旋律」は文字通りアガサ・クリスティの「芸術家の肖像」なのです。重い影を引きずるその肖像は多くは彼の責任ではありません。しかし、その影を引っ張って生きねばなりません。やっかいです。
本書「愛の旋律」ではアートや文化について詳細に語られているわけではありませんが、非常に雰囲気が伝わってきます。その背景の中で一見、ラブロマンスに見えそうな宿命のドラマの緞帳の歯車をクリスティはギリギリと回します。この作品を執筆しているときはまだ40歳前のはずですが、すごい力技です。そして幕開けと同時に終了です。
永遠の愛とは
困ったものですね。物語は途中から急展開します。ここまでドラマ的なことは一般的に生じ得る事柄ばかりで何が起こるのか全然検討がつきません。
しかし、メアリ・ウエストマコット名義作品としての特徴を色濃く持った展開を中盤以降、「愛の旋律」は迎えます。そしてこのまま進むかと思われますが・・・。
「愛の旋律」はメアリ・ウエストマコットとして一番目の作品です。メアリ・ウエストマコット色は濃いです。私は一番最後に読んだので最初期だからこの展開なのかと思いつつ読んでいましたが、この展開しかありえないのです。
この作品と次にご紹介する「未完の肖像」は非常に紹介しずらい内容です。読者にパースペクティブを要求する作品です。それは多くのメアリ・ウエストマコットがそうであるように「存在」と「自我」とのパースペクティブです。一読をお勧めします。