おしどり探偵 PARTNERS IN CRIME アガサ・クリスティ 橋本福夫 訳

1929年出版でも二人合わせてまだまだいける。あいかわらず瑞々しいベレズフォード夫妻です。冒頭すぐ金のハナシになるのはかわりません。タペンスの暴走も変わりません。本作はクリスティのミステリへのオマージュになっている短編集でもあります。リアルタイムのミステリです。15編。

おしどり探偵のあらすじ

前作「秘密機関」(22年)で「結婚はスポーツだ」のポリシーで結婚したトーマスとプルーデンスのベレズフォード夫妻ことトミーとタペンスのふたりは結婚後、ヒマを持て余していました。

とくに元気が余りすぎている牧師の娘タペンスは冒険をしたくてウズウズしている気分を推理小説を読み漁ることでうさをはらしている状態です。

トミーに軽くたしなめられるも一向にタペンスの血の騒ぎは収まりそうもありません。

そんなベレズフォード夫妻の元へ前作でも登場したトミーの上司でもあるカーター氏が訪れある提案をします。

それは国際的な陰謀にかかわっていた私立探偵事務所の引継ぎをしないかというものです。

タペンスの眼はきらめきます。

職員は皆25歳以下。ベレズフォード夫妻の冒険の次のステージが始まります。

本短編集でのトミーのカヴァーはシオドア・ブラント。ホンモノはもっか国家の費用で拘留されています。

タペンスはその事務所の秘書兼スタッフ、ミス・ロビンスンです。

そして本短編集から登場するアルバート15歳が受付です。

この事務所には25歳以上のスタッフはいないというのがウリになっています。

スゴイ設定ですが、ムカシのひとはすぐおとなになりましたからね。

この三人が「NかMか」(41年)「親指のうずき」(68年)そしてアガサ・クリスティが最後に執筆した「運命の裏木戸」(73年)までリアルで年齢をかさね50年にわたりストーリーをつづけていきます。

読者に愛されクリスティに愛された名コンビ、トミーとタペンスシリーズの短編集です。

おしどり探偵の時代背景

この短編集の出版は1929年です。背景的には前年あたりですのでそこらを説明させていただきます。

前年1928年は昭和3年にあたります。人類大量死の第一次世界大戦後、影で殺伐していた時代です。

日本の関東軍の大掛かりなテロで馬賊出身の張作霖が爆殺されます。ちなみにこの関東軍の件は露見します。この連中は大陸でやりたい放題です。

平和主義の当時の昭和天皇が激怒します。

まあ、各国とも勝手に租界とか作ってやりたい放題と言えますが。

日本はいわゆる昭和初期のダークな時代です。

東洋では魔都上海を舞台に各国の諜報機関が入り乱れ妖しい世界が展開していました。第一次大戦後の自国の利益を得るべく国家規模のテロ、国家に雇われた殺し屋、馬賊が暗躍した諜報戦の世界です。

これはヨーロッパの主要都市ロンドンも例外ではありません。トミーとタペンスの若いベレズフォード夫妻をカーター氏が心配するのも無理はありません。

いつ謀殺されるかわからない任務です。

この「おしどり探偵」でも前作で陰謀の一翼を担っていたかのような共産主義が警戒されています。

ボリシェヴィキとか出てきます。前年ソ連邦ではスターリンのライバルのトロツキーが流刑になります。29年には国外追放されています。

これまた前年の28年イギリスでは7月女性参政権が法律が施行されました。21歳以上の男女に平等に参政権が認められました。女性の人権がようやく認められるための第一歩です。

それでもタペンスのようなぶっとんだ女子はそうとう珍しかったのかもしれません。

「秘密機関」(22年)が出版された頃は10代だったため彼女にはまだ参政権はありませんでしたが。

ちなみにそれまでは1918年から30歳以上の婦人に認められてはいました。が、クリスティでも1918年では28歳です。悔しかったかもしれません。その年までつづいていた第一次世界大戦に貢献していましたしね。

28年、アメリカではミッキーマウスが生まれた年です。

また女性パイロットの英雄アメリア・エアハートが大西洋を渡ります。彼女の存在はポワロものの「邪悪の家」(32年)で匂わされています。

フレミングが抗生物質のペニシリンを発明します。医学の進歩は当時これくらいです。ひとはバタバタ死んでます。いまもですが。

それでも医学は長足の進歩を遂げているといえなくもありません。ペニシリンが日本で一般に出回るのはあとのはずです。第二次大戦のあと、つまり戦後米軍から流れてきたのではないでしょうか。

ただペニシリン自体は石井部隊が戦争中に開発していたと聞いています。

出版された1929年のトピックはこの年ほぼ唯一にして最大の世界経済問題、「世界大恐慌」が起きます。

これにつきます。

タフなミステリオタクの夫婦

もはや仕事か遊びかわかりません。

仕事を受けるさいにはもったいぶるわ腹が減ったから抜けるわ事件を捏造してダンナを驚かせる嫁だわ、いやはやまったくです。

その上これらすべての事件にトミーとタペンスは当時の有名探偵を模したかのような、いわゆる「探偵ごっこ」状態で挑みます。

似たようなカンジではポワロの「複数の時計」(63年)でポワロが古今の探偵についてのウンチクを尋ねてきた若き諜報部員で語り手でもあるコリン・ラムに語るシーンがありますが。

しかしこの「おしどり探偵」でのベレズフォード夫妻のオタクぶりは徹底しています。たよりになるは読破したミステリを憶えている記憶だけです。

ほんとにこれだけ。

あとはお互いの信頼と大胆でむちゃくちゃな行動力。

ていうか、これではほぼ厨二病状態です。

しかしこれがみなが求める永遠のパートナー像です。

共同の冒険にふらっと出かけてどんな状況でもうしろを全幅の信頼で任せられるパートナー。

トミーとタペンス。

クリスティがほんとうにミステリ好きだったことがわかります。

わたしが知っているのはブラウン神父と隅の老人だけです。

もちろんエルキュール・ポワロ氏は知っていましたが。

おしどり探偵のまとめ

この短編集には十五編の作品が収められています。

この作品群のなかでベレズフォード夫妻は口論、夫婦喧嘩をしながら事件に対処して解決していきます。

おしまいの作品「16号だった男」ではトミーはポワロになりきって解決しますがここではタペンスが危機一髪です。

上司であるカーター氏が懸念していた予想通りの展開になりますが、これはカーター氏を信頼したばかりに生じてしまったといえなくもありません。

ゆいいつの慰めは「あの奥さんをやっつけてしまえる人間なんて、どこにもいるもんですか」というアルバート15歳の心強いタペンス観です。

そのあとポワロの霊が憑依したトミーの神がかりの推理力が炸裂、タペンスを奪還しますが、あいかわらず、彼女は平気な様子です。

そしてもっとずっと刺激的を感じるようなことをしようと考えているとトミーに打ち明けます。

彼女は子どもができたのです。

次回作「NかMか」(41年)ではトミーとタペンスは双子の親になっています。が、せがれのデリクは出征中です。

「NかMか」(41年)ではこのぶっとんだカップルはさらにぶっとんだ冒険に首を突っ込むことになるのですが全然変わっていません。

しかし「NかMか」(41年)でのトミーとタペンスの一瞬の思考の深さはまさに場数を踏んだ歴戦のおとなのひとです。成熟度、パねぇっす。場数ップルというべきか。

ドイツに押されている1940年、平然と自国の批判のような冒頭シーンから始まるイギリスのフトコロの深さも見逃せません。

気分が落ち込んだときはクリスティの女性キャラが主人公の作品かトミーとタペンスシリーズを読むと希望が湧いてきます。

とくにこのふたりの物語はぐうぜん出逢ったトミーとタペンスがダンスを踊るように人生を突っ走っていくロードムービーのようなところがあるからです。

そしてクリスティの「ア・ボーイ・ミーツ・ア・ガール」の神話でもあるのです。

すべての年代のすべての男女におすすめします。

次は12年後「NかMか」(41年)で。

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