無実はさいなむ ORDEAL BY INNOCENCE アガサ・クリスティ 小笠原豊樹 訳

1958年作品です。善意とはなにかを突きつけられる異色のテーマです。クリスティの家族観を垣間見ることができます。どこか春にして君を離れを思わせる内容です。対象が失われたままの行き場のない感情はどこにいくのでしょうか。アガサ・クリスティ自選10のひとつです。

「無実はさいなむ」のあらすじ

事件が起きて2年後の秋、夕暮れに地質学者が現場となった裕福な家を訪問します。

招かれざる客の突然の来訪に色めき立つ家族。

サニーポイントと呼ばれるその家の相続人家族はじつは養子ばかりの全員血がつながらない家族でした…。

冒頭、河を渡る象徴的なシーンからはじまります。ホラーを思わせる昏(くら)い描写が雰囲気を盛り上げます。

さらにそのあとの意外な展開が読者を引き込みます。まるで映画のような出だしです。

「無実はさいなむ」の時代背景

一代貴族法が制定されました。

前の年欧州経済共同体が発足しました。

イギリスは加入予定でしたがフランス大統領ド・ゴールが反対して混乱しました。結局1972年までイギリスの加入はなりませんでした。

これは大陸と一線を画しているというイギリスの島国目線に関係があったのは否めません。

また欧州大陸側でもフランスがライバル意識が強すぎたというのも原因のひとつでしょう。

欧州の駆け引きは我が国の比ではありません。というかネットワークが違うのでしょう。

またイギリスはアメリカとは特別な関係ですからね。

アメリカではチャック・ベリーがジョニーB.グッドで旋風を巻き起こしていました。エルビス・プレスリーが軍に入隊しました。日本ではロカビリーの時代です。東京タワーが出来た頃です。

日本はまだ発展途上ですがいよいよ高度経済成長を感じさせる世情になりつつありました。

「無実はさいなむ」の家族関係

「無実はさいなむ」は家族を描いた小説です。

遺産相続した子供は全員養子であり他人で構成された家族です。

一見擬似家族に見えます。しかし現実はサニーポイントのアージル家よりも冷え切った家族も多いのはいまでは誰でも知っています。

この「無実はさいなむ」の最大の特徴は難しく言うと対象があらかじめ失われているという点です。容疑者も被害者もこの世にはいません。

そして死んだふたりとも他の家族とはきわめて異質でした。

家族同士の遺産争いは骨肉の争いということばがあるくらいですから別に他人をださなくてもいいはずです。

アガサ・クリスティは親の愛情を強調して描くためわざわざ全員養子という状況を用意したのでしょう。さらに一般的な流れで考えると疑心暗鬼を生みやすく感じますし。

アガサ・クリスティが「無実はさいなむ」を書いたのは60代後半です。被害者のレイチェル・アージルよりも年上です。しかし養子の子供たちの目線で書いています。

アガサ・クリスティの両親も他界していますし子供の目線はアガサ・クリスティの目線でしょう。非常に相反する感情を描いています。

しかもその感情をぶつける相手はもうこの世にはいません。

作中、サミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」が登場しますが「無実はさいなむ」を明示しています。いやクリスティのジョークかもですが。

しかし存在しないひとのせいで現場は大混乱ですね。

「無実はさいなむ」の舞台は・・・

これはやはりデヴォン州のようですね。

ダートマスというイギリスの海軍兵学校がある町がモデルのようです。河はダート河というそうです。リアリティあるのはそのせいでしょう。

映像がはっきり浮かびます。秋の黄昏に河を渡るシーンがこの作品を強調しています。

また「無実はさいなむ」でもキップリングが登場します。キップリングはノーベル賞の作家で「ジャングルブック」の作者です。

「無実はさいなむ」のまとめ

人は結局誰かの子供であるのです。親になってもその親の影響ははかりしれません。その先祖からの影響の解消をカルマととるかノルマととるか。それともそのまま見ないふりをするか。

いやそのままでいいんじゃないでしょうか。アガサ・クリスティはハッピーエンドが多いです。少なくても読後感は良いです。それが結論でしょう。

本作も重いハナシのように背表紙の紹介(ハヤカワ・ミステリ文庫)を読むと思いますがそんなことはありません。

むしろスルスルと読めます。

「無実はさいなむ」は読後感もいい意味でイイです。オススメいたします。

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