Wake Up 覚醒するとは

少し詳細に体験を記します。迷いましたがどなたかの参考になるかもしれませんので「目覚め」「覚醒」について書き記しておきます。生じてすぐの記述なのでまだナマナマしいです。とりあえず、仮の経過記録として。2021年2月

スポンサーリンク
336

これは個人的な体験です

興味あるかただけもしくは似たような状況になった方への参考になればということで。

上の見出しどおりです。

体験でしかありません。てか体験ですらありません。

しかしふつうの妄想かもです(ワタシ的には真実の妄想ですが。だからアブナイ)。

ですからこれは精神疾患のひとつかもしれませんとお断りしておきます。

もう眠れない

今回「目覚めた」と言われる状況になったらしいのですが一番こたえたカンジがもう元には戻れそうにないなというカンジです。

こはたとえるなら瞬間的にCドライブふくめ外付けハードディスクもすべて上書きされるようなものでした。

以前のDVDやCD(記憶の比喩です)は読み込めますが再生すると色あせて見えるカンジです。

つまりぼんやりとしか感じられないのです。

この突然始まった感覚はまるで夢を見ているかのようにふわふわしたあいまいな気分のまま一瞬で終了しました。

そのあと蒸発して混乱気味な「以前のわたし」ではなく「以後のわたし」を残したまま虚空へ消えました。

しかもその気分が再現できません。

つまりもうおぼえていません。

まったく参ります。

ただ見えないでかいスタンプのあとをココロの大通りに残していったカンジです。ゴジラのあしあとみたいな。

そのあとすこししてこのヘンな感覚、この変容した気分はひょっとして「目覚める」とか「悟り」というのではないかと閃きました。

これはその状況になりそのようなボキャブラリーがあれば即座に気づくはずです。

で検索です。

予期していなくて突然すぎたので、もし若くてムダな経験が不足していてこの状況に偶発的になったら慌てたかもしれません。

ネットがあったからよかったですが。

とりあえず検索ワードは「悟り」で。まだ「わたし」だと信じていますから。

この妙にふわふわした混乱した状況での唯一の救いは混乱するのには慣れていたというしょうもないムダな場数でした。

このネット検索をかけるさいとくに注意したのは「事実に強引に意味づけしない」というところでした。

ようするにいつものようにわからなかったら放置する手順です。

正直、戸惑いました。あんまり考えている余裕もありませんでしたから。

アタマがふわふわして安定していませんでしたからね。

まずYOUTUBEでこのかたの動画を拝見して「ああ、やっぱりか」と、とりあえず腑に落ちたので本を二冊購入しました。エックハルト・トールという有名なかたです。

ここでビョーキじゃないかもとすこし安堵しました。でもまだ油断はできません。

このかたは最初、失礼ですがマイスターエックハルトのパチモンかと思いました。しかし初心者にも良くわかるようにていねいに書いてくれています。助かりました。

「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」「ニューアース」とも非常に有名のようでした。

で、つぎにルパート・スパイラというかたの動画を観ました。

ルパート・スパイラ氏と彼のマスターだと思われるフランシス・ルシール氏の本です。

すいません。まだ本を購入していません。売っていませんでした。

ルパート・スパイラ氏は陶芸家です。作品が好きなカンジでした。

「いま」のとらえかたも似ていたのでわかりやすかった。

なぜエックハルト・トール氏とルパート・スパイラ氏のおふたりの動画が琴線に触れたかというと話しのテンポにカンジるものがあったからです。

なにかていねいに翻訳するカンジです。

そして次に「悟り」とか「目覚め」なら瞑想だろう、ヨガだろうとアタリをつけました。

インドのマハルシという聖者とパパジという聖者のテキストを読みました。

禅は現在読んでいます。(2017年11月現在)

しかしこのブログを始めた当初まさかヨガだの悟りだのの動画を観たり読んだりするとは思いもしなかったです。

いやネットのある時代でよかったです。

でもこの段階で相当疲れました。睡眠不足になりましたし。

突発的に「覚醒」した方に向けて

ここからは「目覚め」を経験した人間としての前提で書かせていただきます。

もちろん精神疾患の疑いも残ります。今後どうなるか経過を見なければわかりません。

色々調べたら上でも書きましたが「目覚める」ときは特別な気分なのでやはりすぐわかるそうです。

こころが無音状態で平穏になっており、沸騰するような情感はもう訪れることがないと瞬間的に感じます。非常に特別な気分なのですぐわかります。

また「目覚める」と先に書きましたが実はもともとあるので手に入れるものではありません。

むしろ知ることにより失うものです。

実は誰でも「それ」を知っています。そして「それ」を知った瞬間にそのことを含めすべてに気づきます。

ああ、全部知ってたのに気づかなかったなみたいなカンジです。なにをやっていたのかというカンジです。

わたしは瞑想もしませんし、呼吸法も試したこともありませんし、とくべつ悟りを開こうと思ったわけではありません。

だいたい「目覚め」がどんなものかも想像の範囲外でした。

なんかLSDとかクスリをキメてるか脳内麻薬の世界くらいしかイメージありませんでしたから。

しかしこれも調べたらなにかキッカケがあれば興味がなくても「目覚める」こともあるようです。

今回のわたしの場合は矛盾して混乱している自分となんとかうまく折り合いをつけようと試みたのがそのキッカケらしいですね。

漠然と考えていたアイディアは顕在意識と潜在意識の齟齬の解消にはうまくいきそうだとは思いましたが。

状況としてはその一環として無意識と対話して考えを整理するつもりでブログを書いている途中の出来事です。

急速にその感覚に襲われました。

書いていた内容は因果律に関しての考えをまとめようとしたした覚え書きみたいなものです。

以前から思っていたネタのひとつみたいなものです。

「今、目覚める」ステファン・ボディアン

欧米では求道されているかたが非常に多いようです。もしかしたら日本でもそうなのかもしれませんが。

わたしのようにある意味偶発的に「目覚めた」タイプには最初は欧米の方が執筆された本のほうが理解しやすいかもしれません。

欧米の書物は圧倒的に日本よりお寺が少ない土地でのものなのでまったく「悟り」や「瞑想」を知らないひとにも初歩的なところから教えてくれます。

この「今、目覚める」は覚醒のためのハンドブックとありますが、数少ない「目覚めたあと」のケアにも目配りのあるマニュアルです。

著者は曹洞宗の僧侶の資格もあるかたです。

紆余曲折を経て悟られたかたであるためこの著書は信頼できる内容のデータも豊富で現実的な内容です。

東洋の英知と西洋の知性が複合されており当然ヨガにも造詣が深くジャーナリストとしても活躍され「目覚めの学校」(こんなのがあるとは)創始者で校長として30年携わられたかたです。

日本人には「親しみのあるタイプの礼節」をお持ちになるマスターです。

初期の師匠(おもに有名禅僧である日本人)へのアンビバレンツな感情を持ちつつも師への尊敬を忘れません。

人格的にすぐれた著者です。

近くに適切な指導者もいないのにはからずも「目覚め」てしまい、混乱している方には参考になると思います。

寝起きにオススメします。

この本の中で「目覚め」はウイルスプログラムのようだとか燎原に広がる炎にたとえられています。

今回わたしはまったくそうカンジました。

一瞬で強制的にダウンロードされて解凍される書き換えソフトにどこから侵入されたようにカンジました。

そのあとは沈黙が支配するモノクロームの世界と幻影がダブった世界です。

概略はこんなカンジ

背後に存在するものがあり(これは善意があるかたには誰でもいつも気配は感じているとおもいます。でもサイコパスにはないかも)、それがほんとうのなにかであり、それはこの世界のすべてに遍在する共通のなにかであると。

そしてすべてはつながっていると感じました。

そして過去も未来も因果律も存在せず「いまここ」のみで、ただ「在るだけ」であると理解しました。

(これらは失われないという意味を含みます。つまり一般的に言われているような死は存在しないということです。「個人」の輪廻転生もありませんし前世も来世もありません。ただ還るだけです)

そして感じていると誤解している現実をひっぱがしたら完全に沈黙したモノクロームの世界が展開していると感じました。

ここまでは瞬時の出来事です。

この体験には感動もなにもありませんでした。

情緒的なものは一切ありません。

聖母マリアもイエスも観音様も弁天様も天使も精霊も登場しませんし、爆発したり宇宙と一体にもなりません。わたしの場合ですが。

これは顕在意識が希求していたわけではなく多分に自我的には偶発的なものだったからでしょう。ただ、潜在意識は望んでいたのだといまはカンジます。

このときはどこかで誰かが観ていてカンジているようなカンジです。

現実にはただふわふわしたカンジがするだけです。

トランス状態だといえば近いかもしれません。

さらに細かく書くとこんなカンジ

そのときはうえで書いたとおり因果律について趣味的に検討していました。これはだいぶ前からの疑問だったのですこし掘り下げて整理しようと思っていたのです。

でブログでその考えを書いている途中、それは思い込みに過ぎないのではないかという感覚にふいに襲われました。(GISの主人公草薙素子なら「そうゴーストが囁くのよね」とか言うでしょう)

でこのユウレイには昼間だと思っていたのにホントに深夜に襲われたカンジです。

そしてそれから突発的にどこかからダウンロードされてきたカンジでもあります。

あくまでカンジです。

在ると信じている「過去」と「現在」と「未来」の因果律は「いま」に起因している幻想だと閃いたのが良くなかったのかもです。

上の本「今、目覚める」によると水平な次元と垂直な次元が交差するところで「目覚める」とありました。

ですから「過去」「現在」「未来」が水平次元だとすると「いま」は垂直次元だと解釈しました。

そのとき考えていた「いま」は一般的な時間を指していません。

ここですこし混乱が生じます。これは抽象化された「いま」でありそれは「空間」を含みました。

文字通り「空」の「間」です。これはことばで説明するのは難しいです。そこからなんかすくいあげるカンジです。

「それ」のダウンロードが開始されたらすぐ、気配を感じていた存在に「明確」に気づきました。そしていままで信じていた「わたし風」も含めて存在全体に変容が始まりました。

感動も感激もないままあれよあれよというまに「わたし風」をはじめすべて書き換わりました。

情緒性のカケラもありません。ウキウキワクワクも至福の境地もありません。

その瞬間その場では何が起きているのか理解できません。侵食されていくようなカンジのみといえばいいでしょうか。

あえて遅いイメージでたとえるならコーヒーにミルクを大量に流し込んだかのような感じです。誰だ。多すぎです。もはやコーヒーなのかミルクなのかわからない飲み物です。

これは遅い印象のイメージなので唯一しばらく残りました。

いま考えると潜在意識はすでにそのようにとらえていたのかもしれません。

ですから潜在意識にアクセスを試みようとしていたのが原因の一端なのは否めないかもしれません。

顕在意識がのんきでただ気づかなかっただけかもしれません。あまりにも有無を言わせず結果が速すぎですから。

でもキーボードを打ちながらです。

意識をコントロールしようとしたわけではなく顕在意識と潜在意識を調和できないだろうかと模索していただけなんですけどね。

コントロールするのは無理スジなのは感じていたので。

次に訪れたのが「いま」の次元からすべてが同じように出現してつながっているというカンジです。みなひとつところから出ている。同じである。その世界は現実と信じている世界とは異なる「いま」です。うまく言えません。

その他すべてあいまいなままです。でもあいまいなままをハッキリ肯定できるカンジです。

そしてなにかが終了しました。たぶんこれまでのなにかがスッキリ終了です。

なぜ終了とカンジたか(言語化されていません)というとわたしの人生でアタマがスッキリ終了をカンジたのがはじめてだったからです。

いつもまだまだつづくから安心するなというカンジの人生でしたが、今回マジ終了、オワリの始まりとフラグがたったのをはっきり気づきました。立ったのは閉店のカンバンかも。

今回至福をカンジたのはこのときだけです。しかもこれアタマじゃない気がするし。本当にそれなのかしら。

ま、とにかくすっきりしたカンジです。

で、ここで選択をしなければなりません。

つまりこれから生きるか「どうするか」です。

生きるならチューニングをしなければなりません。以前の自分とはもう違うし戻れないからです。

少し怖いです。

わたしはメンドクサイにそのカンジを言語変換しましたが、本能的にビビリました。

そしてそれは自分がカンがよいと言われているなら正解です。

これからあと世間的に言われる良いことも悪いことも訪れます。落ちていったものに代わり新たな調和を得るために。

ここまでは文字通り刹那の体験です。

この段階で後述する「目覚める」ことの「メリット」「デメリット」にかかわるおおまかな部分が完了したのだと思います。

そして脳内のノイズが消えて静謐さが訪れます。

平和とも言い換えられます。

いままで気配でしかなかった存在がはっきり全体のカジを握った確信だけが残りました。

それからその確信力により存在全体を使えるというカンジに変化します。

使いきれるかはわかりませんが。

で感じたことがない平和な気分になっているのにようやく気づきます。それは神経質で猜疑心が強くても無条件に完全にカンペキに安心できるものです。

こんな気分がアリかと感じるものでした。これは生まれて意識を持つようになって初めての気分です。

安心立命して大往生しそうな境地です。すこしヤバイかも。

ただ幸福感とは違います。

シーンと平和なだけです。

でもこれは非常にウルサイ心的な世界に住んでいるひとには信じられない僥倖以外のなにものでもありません。

しかし「目覚め」のデメリットに気づきます。

すぐあとになりますが、これが少しマズイのです。

またこれらのキッカケとなった感覚はさっき書いたようにあとかたもなく蒸発します。

きわめて揮発性の高いプログラムのようです。

その感覚を再現しようと試みブログの記事を読み返しましたが現状ではその時の考えもわからないありさまです。ボケましたか。

そしてカンジるのはここで起きた現象は決定的でもう後戻りはできないというものです。

まあそのときはもうすでに遅かったのですが。

この戦慄や絶望に近い感情は17歳の頃、芦別岳の山頂近くで朝日を観たとき感じた畏怖と戦慄以来です。しかしその時の気分は思い出せるのです。他人にも説明もできます。

今回は説明できません。

今回は内側で起きた現象であるのに管轄外の出来事です。

そして細かい「解凍」が始まったら、表面で思いこんでいる「わたし風」を修正していかないと生きていくのにやっかいなことになるなとカンジました。誰がカンジたのかわかりませんが。

そしてそのムダな経験を頼りに理解を進めて実践しなければいけないと感じました。

一切が「沈黙」していても「空」であってもそうじゃなくてもです。どっちでもいいやというカンジです。

たぶんやる気がないからそう選択したんでしょう。同じだから。

ここら複合的な記憶なので重複した内容になっています。

メリットとデメリット

「スピリチュアリティは子どもの遊びではない」ニサルガダッタ・マハラジ

まったくそんなカンジで「目覚め」は冷徹です。

メリット部分

真理を確信できます。

望みはかなった。空回りなし。

人生を肯定できるでしょう。ムダだと思っていた経験が実はやりたくてやっていたことに気づきそこに英知があると知ります。

「明晰夢」にも書きましたがオセロの黒がバタバタっとすべて白にかわったカンジです。

なぜそう思うのかはわかりません。

夢を見ているようではあります。

わたしの場合、これで自信を持って迷わず迷えます。

他人が気になりません。

これだけか。

2017年11月追記

ブッダに「二矢の教え」と「毒矢の教え」があります。これがよく特性をあらわしています。カンタンに言うとストレス耐性があがります。また真の意味のリアリストになります。出来事に良いも悪いもないということです。

神経質なひとが潜在的に感じる渇えた気分が消失します。(まわりでは感じているひとは誰もいませんけど。気づいていないだけかもですが)

付随して平穏な気分が訪れます。

ただいわゆる豊かな幸福感とは少しニュアンスが違うものでした。これは情緒的なものではありません。

こころの声が消えます。こころのなかでのネガティブなセルフトークがほぼなくなります。セルフトーク自体は残ります。

これはそう稽古を進めるほどそうなりえるものです。

過去も未来もないと確信が持てるので永遠の「いま」に常駐するだけの気がせざるをえません。

2017年11月追記

この状態になると「いまここ」にしかいられません。いままでの過去も未来も薄いでしょう。どうやって「いまここ」にいればいいのか悩みましたがこの状態ですでにそうなっています。ムリに探す必要はありません。

表面の「わたし風」の修正をつづけていく限り、さらに全体と重なっていくように感じて安定します。

すべて情緒的なものではありません。理性的なものです。

ストレスというか釈迦の言う悪魔というかマーラ(煩悩)はついてまわります。

しかし過去の記憶で見ることは少なくなっているのと未来の不安は少なくリアルに解消しやすいでしょう。

追記

訪れていたインスピレーションは統合されているので自分すべてがインスピレーションだとして動いたほうが良いです。

デメリットとカンジるものについて

小さいものはすぐ気づきます。

これらはきっとヨガや禅の修行者のかたには関係ないのでしょう。

いろいろ蓄積された手法があるのかもしれません。

デメリットまず情緒的な感情やロマンチックな感情が希薄になるカンジです。

つまりドキドキやワクワクということばが遠くなります。

それはお金が足りないクリスマスイブのショーウインドゥのはるか向こうに見えるプレゼントになります。

嬉しい楽しい大好きなどのほとばしる感情もナシです。

かなりカットされた気分になりました。

これらの感情はもともと薄いので問題ないんですが、ようするに喜怒哀楽が浅く薄いカンジです。

本も映画も音楽もテレビも以前のように楽しめません。

いまのところ観終わった映画も読み終わった小説も多めに見積もって以前の感激の10分の一くらいのレベルです。観られたり読めればまだマシです。

ちまたの「目覚める」イメージにはすこし憧れもあったのですがイメージとはかなり違います。

まずアタマが良くなりません。

超能力も付きません。

耳鳴りがするようになりました。

気づかず聞いていたものだと思います。太陽風と関係があるのかもしれません。宇宙天気予報の情報とシンクロしているので。

妄想でなければですが。

ハナシが違います。

性格パターンも同じです。

これは多少カイゼンできそうですが。

でもやはり責任者だせ!の世界です。世間の「悟り」や「覚醒者」のイメージとかなり違います。てか、全然違います。

それを欲するひとには望むものでしょうが(それでも違うとカンジるのでは?)一般にはこのイベントは必要ないかもしれません。

すでにみな悟っているのですし、哀しみも減る分喜びも減りますから。それはチョットというかたも多いのではないかと。

「目覚める」ための条件のひとつにはイロイロ脱落したさいに起きる場合が多いということです。

わたしは持っていたと思っていてそれらは実はすでになかったのかもしれません。

たぶんそうだったのでしょう。人生でイロイロ落としてそうだし。脱落者っぽいし。

つまりすべて顕在化しただけですか。

これにより以下が表出します。

物質的な野心も夢も減衰します。食べ物の興味も同じです。文字通りこころの底から「食う」じゃない「空」だと感じるから。これも薄いから問題はないのですが。

普段のやる気もかなりなくなります。というかやる気が積極的には出にくくなります。もともとないのに致命傷かもと最初心配になりました。

世界と自分との関係がややこしくなる気がします。

いや修正するのが手間に感じるから独りがいいと思うカンジが近いですか。

ニーチェの能動的ニヒリズムで行動しようとしてもこの気分に対抗するのは難しいです。

これらが精神疾患を疑う理由でもあります。

脳の問題かもと。

さらに普通の根本的な気力が落ちたカンジもします。

幻想であるとカンジる現実に上手にコミットメントできないとすべて清算して隠棲するか最悪自分がロストする可能性もカンジます。

「目覚める」のがヤバイ状態だとカンジる部分はほっとくとなにもカンジない気がする点です。どっちでもいいカンジです。これはマズイかどうでもいいか。

たとえつくられた「わたし風」顕在意識を検証して幻想とカンジられる現実世界で最適化を目指したとしてもです。

これは家族や人間関係があると激変しそうです。ヤバイです。

しかし幻想と感じる現実に存在したいのならここは「わたし風・改」に頑張ってもらうしかありません。豊富なムダな経験資源を活用するしかないでしょう。

負けるな「わたし風・改」というわけです。そしてもともとやる気がなかったのでひょっとするとそれが幸いするかもしれないと気づきます。

やる気のなさも重要な資源だったとは。やはり人生にはムダはありません。

そしてやはり「目覚める」のはヤバイか。いや、やる気のなさが幸いして慣れるか。

やはり「目覚めた」あとは能動的ニヒリズムより無責任男のほうがいいかもしれません。

また付け加えるなら不思議や謎がなくなります。幽霊も精霊もいない。

前にはいたのにいない。

すべての占いもジンクスも消失です。

業も因果律も輪廻転生も消失。

意味づけがなされていないということです。

これはもう負の無敵モードですな。

すべての不思議は抜け落ちます。

まったくつまらない状態とも言えますな。

もはやこれこそが「空」で「無」です。

確信をもって意味づけされていない世界です。

味気ない世界です。うるおいもありません。

あまり違和感がありませんでしたがたしかにこれは普通つまらないです。

これで違和感をあまりカンジないのはこれまで相当不毛のつまらない人生だったんですね。

いま気づきました。

なんて世界に住んでいたのでしょう。

いやこれならおまえ出家しろや、ですね。

もしできるならやりたいムダはすべてやりつくしたあとで「目覚められる」といいんですがこればかりは計画的にはいかないのでしょう。

2017年11月追記

上記デメリットは本来のリアルの自分です。つまり変わるのではなくて本来に戻るものです。戻るのに対して今まで経験していた自分が恐れています。

良いことも悪いことも極論を言えばたぶん生き死にもすべて受け入れざるをえません。また受け入れられるでしょう。

これからの指針というべきかなんというべきか

これらはすべてことばにならない気分のうえでのことです。

言いかたを変えるとこれからの人生はクリアしたゲームをするようなものなのかもしれません。

ゲームの楽しみ方を変えなければいけません。

まるでワードナの魔除けを手に入れたあとのウィザードリィです。ファミコン版ですが。

また一般に「目覚める」と風景をリアルに感じると言われているようですが自然が好きな人はそうでもないかもです。

なぜならすでにそう観ていたからだと思います。あるいは気のせいか。

まあ、そんなのはどうでもいいことかもしれません。どうでもよくないかもですけど。

ネットで調べた限りでは意識の変容パターンはいま知られているもので言えば不ニ一元、アドヴァイタ・ヴェーダーンタというのに近いかもです。

欧米では非二元(ノンデュアリティ)と訳されているらしいですが。「二つではない」という意味だそうです。

でも違うかもですね。瞬間どちらかというと「わたしはいない」ではなくて「わたしは在る」とカンジましたから。両方に。

これでは「二つである」(二元。ただの現実のことらしいです)です。なんにもなりません。

・・・・・・。

でも基本どっちでもいいです。

ひとの脳の機能の方向性がみな似ていてそうカンジるだけかもしれませんから同じかはわかりませんが。

さらに「悟り」にもこまかい流派があるようですし。

脳で生成されるなにかはその過程で窯変するものかもしれませんし、よくわかりませんともいえます。

しかしせっかく「目覚めた」というのにやはり世間はわからないことばかりですな。これじゃ悟っても意味ないです。ただの寝起きのアタマじゃないですか。

まあ、これは各自の体験でしかないですからね。脳の程度の問題かもですから。

気が変になったのだったら、ハッキリするのですが。まずいけど。

あと読書の守備範囲ではマイスター・エックハルトとか老子とかと近いかもしれません。近いだけかもですが。

バガヴァット・ギーターは読んでいたので助かりました。

加島祥造氏はハヤカワのアガサ・クリスティを多数訳されている詩人です。まさに地獄に仏でした。英訳された「老子」を詩のように本邦用に意訳されたものです。

非常に助かりました。

知っているというのはありがたいことです。

マイスターエックハルトです。

しかし(精神疾患でなければ)なぜ今回に限って「目覚めた」のかはわかりません。

そして「目覚める」とはこういうことだったとは。

無意識が求めていたのかしら。

「目覚めた」ら最終的にひとは非言語化表現で伝達するようになるのではないかと思います。

ことばが不完全だからです。

「意識」と「存在」で伝達するのではないでしょうか。

これは一般的なテレパシーという意味ではありません。

自分で進めるだけです

まあ「目覚めた」といっても人生はまだあるので本を読んだり動画を観たりより自分で人生を進めるしかありません。

ただ、「己を確信するカンテラ」を持って。

あ、このアイテムを自灯明というのか。おお。悟ったか。

文豪トルストイの小説アンナ・カレーニナです。

作家が選ぶ歴代小説世界ランク1位らしいです。

上中下巻と三冊ですが下巻でアンナと対比されるHSP的オトコに思えるもうひとりの主人公リョーヴィンが最後の最後に悟りを得る描写があると教えられました。

部分を読んだらたしかにそうでした。彼は目覚めました。

これは身内に教えてもらいました。

わたしは情緒もロマンもなく「目覚め」ましたがストレスや苦痛にさらされていたかたにはバラ色に見えるかもです。

【オコトワリ】この記事は削除するかもしれません

「目覚める」とか自分でいうひとはあまり信用できませんし恥ずかしいですからね。

普通「目覚めた」り「悟った」ひとは発言しないはずですから。

誰でも悟っている特別なものではないふつうの状態ですし。

プロを志したひと以外は説明もメンドウなはずなので。

現状では厨二病こじらせたみたいだし。

いやすでにこじらせ過ぎですが。

ただそういうひとが多くなったんだろうなということで意図せず突発的に「目覚めてしまった」方へ例として今回さらに少し突っ込んで詳しく書かせていただきました。

またなにか「目覚めたあと」に進展があれば書くかもしれませんけど。

そしてあと、この気分は消える可能性もあるそうです。

つまり賞味期限付きの「目覚め」ですね。「目覚め」のお試し期間というわけです。

ま、そのときは気づいてると信じて「目覚めない」で死ぬまで爆睡することにします。

あと今回いっぱい飛んでいるカモ。

カモが少ないカモ。

見落としたカモ。

イロイロ問題があるカモ。

とにかくカモしれません。

どなたかのお役に立てるか削除が早いかということになりそうです。

この無駄に長いいつもの駄文は3年前のものです。

3年ぶりに復活させていただきました。

なんか、今、非常にめんどくさいイベント、もしくはクエストが生じてるなー、と感じましたので。

とにかく、「悟り」は「だまし絵」みたいなもので誰でも「悟っている」のです。

普通にゲームを進めましょう。

インドでは「リーラ」(神々の戯れ)とか言うそうです。

人生に使命はありません。

安心して今、為すべきことを為しましょう。2021年2月。

2021年6月追記

以下のことは確信できます。

1、人生に使命、目的はない。体験するだけで体験したことは正負を問わず宝物である。(融合というか、その時、人によっては問いかけ風に感じるかもです。私はヒマだから生まれてきたと答えましたが、違うと知りました)

2、すべては繋がっている。もしくは同じである。それは生命も無機物も同じである。(これは無意識で生命は繋がっているんだろうと答えましたが、違いました。ガレキも岩も自分も同じなのです。)

3、誰でもこのことは知っている。通勤通学途中の風景のように見慣れている。だから、え、マジ!これのことかよ!と思うのです。なんのことか忘れましたが。

4、いまここしかない。時間も空間もない。

今のキャラを保ちつつ多少上手く生きていくには

1、なすがままにしたほうがよい。でも行き過ぎると死んでしまったり、早すぎる隠棲を迎えます。なすがままにするとは消極的な意味ではありません。いづれにしろ流れてるので、わからないときは普通にありましょう。

2、1の理由のため、自分がインスピレーションになります。迷ったときは自分に従うようにするといいかもです。

3、沈黙がたぶん一番いいのでしょう。

スポンサーリンク
336

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
336