1956年デヴォン州での事件です。この地方に当時若いハイカーが欧州中から集まっていたのがうかがえます。りんごをかじりつつオリヴァ夫人が登場、ポワロは呼び出された理由に当初愕然としますがその後興味をしめします。道ゆくショートパンツの若い女性たちを嘆きます。
「死者のあやまち」のあらすじ
受話器をとった精密機械秘書ミス・レモンが「空襲」と聞き違えた名前はあながち間違いともいえない相手オリヴァ夫人からのものでした。
彼女はある屋敷の祭りの催し物のひとつである推理イベントのデザインのためデヴォン州のナスコームにいたのです。
彼女はそのイベントを構成しているうちになにか不審な感じを受けポワロに連絡したのでした。
自分で考えているつもりで実はひそかに誰かに誘導されイベントゲームをつくっているのではないか。彼女の疑惑はそこでした。
ポワロはオリヴァ夫人の直感を信じてデヴォン州のナスコームの屋敷へと急ぎ向かいます。すでにある飛行機ではなくオーソドックスに列車で。
ハイカーだらけのデヴォン州です。この地域はユースホステル全盛のようです。欧州大陸のいたるところから訪れています。やはり欧州の国々はひとつなのでしょう。
クリスティがよく引用するシェイクスピアの同時代人にジョン・ダンという詩人がいます。
「死よ、驕ることなかれ」などで有名ですが、おそらくもっとも有名なのはA・ヘミングウェイの小説のタイトルになっている「誰がために鐘は鳴る」でしょう。
これは冒頭、「ひとはシマにあらず」から始まり「打ち寄せる波に洗われる我々はみな欧州大陸の土のひとくれである」と続きます。
このくだりは東西の壁が崩れ落ちてのち当時ロシアのゴルバチョフ書記長が欧州の西側諸国に訴えかけたときにも引用されました。
欧州はやはり連合体なのでしょう。安心の信頼感。緊密です。
でも去年イギリスはひょうたんからコマでEUから離脱しました。移民問題は相当深刻なようです。
この現象はわたしたちも他人事ではないですが移民を受け入れるにしろ受け入れないにしろ必然と言える過程の一部なのでしょう。
灰色の脳細胞を使ってソフトランディングできる解決方法を模索しつづけなければいけませんね。
やーしかし、この時代いろんな国から来てますね、デヴォン州に。妖精や恐竜やストーンサークルの里コーンウォールが近かったせいでしょうか。
「死者のあやまち」の時代背景
「ヒッコリー・ロードの殺人」(55年)を合わせてご覧ください。
イギリスのような島国でも欧州中から若者が集まりまた旅立つ交流が当時ありました。ひるがえって我が国日本はまだ渡航制限があるような状態です。
この後、他国の辞書に載るくらい悪名高いノーキョーやらなんやらのツアーで世界中の国から礼儀知らずの東洋の田舎国とヒンシュクを買い、面白みのないマネーオンリーのエコノミックアニマルだのワーカホリックだのバナナ(外は黄色だが中は白)だのとバカにされやっかまれ、サムライジャパン、クールジャパンとか言われるようになりました。
後半は本当かどうか知りませんが。
しかし正直先進他国との交流が難しい遠方の島国我が日本はよく制限の中頑張ってきたものです。
有色人種でおそらく文化的にここまで尊敬を受ける国になるとはスゴイ方々に予見されていましたがわたしは無理だろうとあきらめていました。
アメリカ人はともかくヨーロッパ人には無理だろうと。木で鼻をくくったような方々だと思っていましたから。
しかし今、他国にコンプレックスを持つ日本人は少数ではないでしょうか。日本サイコー過ぎるのもまた別の問題をはらんでいますが。
ムカシのひとはえらかった。でもだから現代のわたしたちはさらに様々な国々から洋の東西を問わず学ばなければならないですね。あ、わたしだけかも。
すでに実践されている方々がいっぱいいました。
この年日本は国際連合に加入しました。スターリン批判をフルシチョフが行います。アメリカではプレスリーです。
欧州では翌年のECC(欧州経済共同体)に向けて調整が大詰めです。イギリスは蚊帳の外ですが。
この「死者のあやまち」が出版された1956年は現英国テリーザ・メイ首相(60歳)が生まれた年です。
第二次中東戦争(スエズ危機)です。英仏はエジプトの英雄ナセルとやりあい運河の利権を失うことになります。
もはや戦後ではない…が
やっぱり戦争を引きずっているようです。
イタリアやオランダからのそこら中眩しいくらいの若いハイカーだらけで不法侵入されるくらいでもはや戦後ではないといわれていたはずですが。
朝食のとり方は戦前のようなスローな感じですし屋敷の元の所有者フォリアット夫人は息子を戦争でふたりとも失っています。
長男は海軍で艦が沈み戦死、次男も特別攻撃隊でイタリアで戦死です。コマンド部隊ですかね。
さらに低脳だらけです。差別用語だらけと言いかえられます。まずヒロインが「低脳」の太鼓判をバッチリ押されています。従兄にも認定されてます。
近親婚のせいだとされています。ただスゴイ美人で性格が良い女性です。問題ないですね。
被害者役で実際の被害者の少女もポワロと初対面でいきなり絞殺より血がダクダクと流れている方がいいとか「色情狂には、会ったことはあって?」とか目をキラキラさせて言い放ちます。あぶないです。
彼女と同タイプというか似ている少女が「ハロウィーン・パーティ」(69年)で登場します。この作品は今回と同じようなシチュエーションですがオリヴァ夫人が今回の事件を思い起こし推理イベントの構成はもうごめんだと言うシーンがあります。
この時の被害者も血ダクが好きみたいでした。たぶんクリスティが少女時代おてんばだったのでしょう。そう思うことにします。
低脳ではないですがやはりいちばんヤバいオリヴァ夫人は被害者はやはり男にすべきだった。原子科学者のユーゴスラビア人の前妻にしなきゃよかった。
男だったら殺されてもノープロブレムだったと後悔してブランド警部を困惑させます。
リアル原子科学者アレック・レッグは低脳は断種すべきで一掃すべきと言い切ります。これはトランジスタのショックレーがモデルですか。
やはり西澤潤一先生に我が国は資金提供をしてノーベル賞をとってもらうべきでした。
ネタバレですがこやつはこんな性格だから嫁に逃げられポワロに追いかけなさい。そして謝りなさいまだ間に合うからとアドバイスされます。おせーよ。
ポワロと本編のキングオブ低脳、アレックの会話は非常に重要で高度な内容です。我らがポワロの真の知性が炸裂、この数ページを読むだけでも「死者のあやまち」は価値があります。
そしてポワロはやっぱりえらかったとリスペクトしました。
そしてもちろん殺人鬼が一番ムカつきます。
また舞台装置が田舎屋敷のイベントでボート小屋、なぜか田舎に阿房宮なるものが存在します。
まさか韻を踏むだけのために出したわけではないでしょうがいろいろ遊園地っぽいですね。ユースホステルや若い外人もイロイロ出ますし。やはりそして麻薬です。
「死者のあやまち」のまとめ
冒頭にご紹介したジョン・ダンの「誰がために鐘は鳴る」は最後に死が身近だった中世の哲学ともいえるメメント・モリ(死を想え)へと続きます。
教会から聞こえる鐘の音はつねに他人の弔鐘であると思いがちだがそうではないのだ。あの葬式の鐘の音は自分の葬式の鐘の音でもあるのだ、と「誰がために鐘が鳴る」に文字通りナリます。
クリスティの作品は一部を除き常に死が身近にあります。ミステリだから当たり前といえば当たり前です。
しかしその作品は事件が生じ犠牲者が出てもそれを他人の死として扱ってはいません。ポワロやミス・マープル、オリヴァ夫人は温かいです。
信じられるキャラクターです。でもレイス大佐は信じられないほど冷たいです。参照「忘られぬ死」(45年)
クリスティの作品を読むたびに思うのは彼女の作品はいつも力強い生命力を持った健康なミステリであるということです。
健康なヴィクトリア朝、健康な英国庭園、そして健康なミス・マープルらしき「ものすごく粘るおばあさん」が唯一人難解なオリヴァ夫人の推理イベントをクリアしたようです。
彼女は殺人事件にもずいぶん興味があったようです。さすがです。セント・メアリ・ミードから出張ってきましたか。
またイベント準備など仕事は女性しかあてにならない描写はよく現実を表していますね。男はメンドクサクなっていつのまにかいなくなります。
マーガレット・サッチャーが「言ってほしいことがあれば、男に頼みなさい。やってほしいことがあれば、女に頼みなさい」というわけです。
クリスティは未来を示唆して終わります。
今回それは「よく振るまったというのはそれだけで価値がある」という女性の伝統的高貴な振る舞いで幕を降ろしポワロもそれを受け入れたようです。
それが良いのかはわかりません。ひとの矜持は辛い局面でこそ本物かどうか試されます。最後に凛とした人物がいるとその作品は香りたちます。
オススメのミステリです。