1953年作品。ミス・マープルがロンドン郊外の高級住宅地に文字通り復讐の女神と化して顕現します。セント・メアリ・ミード出身の縁あった薄幸の少女の無念を晴らすため、マザーグースに見立てた殺人を打ち破り卑怯な犯人を追い詰めます。難解な頭脳戦でフルパワーを発揮します。
「ポケットにライ麦を」のあらすじ
投資信託会社の経営者が会社でお茶を飲んで不審死を遂げます。そして彼のポケットにはなぜか穀物のライ麦が入っていました。
はじめは従業員を疑っていた警察は検出された毒物タキシンに注目、捜査方針を家族に向けます。
被害者のロンドン郊外の住宅はイチイ荘と呼ばれておりタキシンはイチイの実の毒だったからです。
そしてその住宅で第二の殺人事件が起き容疑者と疑われた小間使いも第三の被害者に。
しかし疑われた小間使いはセント・メアリ・ミードでミス・マープルに仕込まれた孤児院出身の少女だったのです。
警察がお手上げ状態な謎を少女の無念を晴らすべくひとりイチイ荘を来訪したミス・マープルは事件を即座にマザー・グースに見立てた殺人だと看破、事件の真相を追究します。
死者を冒涜するという決してやってはいけないことをやり決して怒らせてはいけない女性を怒らせてしまったのが犯人の最大の失敗です。
ミス・マープルは激オコプンプンどころではないです。死刑にするまで逃がしません。
たとえ自分のところを家事作法練習中で逃げ出した娘であってもミス・マープルにとっては自分の子どもと同じでした。
犯人はバカなことをしたものです。あとつぐみをパイにいれてはいけません。
「ポケットにライ麦を」時代背景
これは「葬儀を終えて」(53年)をご覧ください。
お茶も出てきますがひんぱんにコーヒーが出てきます。米軍の影響でしょうか。
ミニスカートの超絶金髪美人個人秘書はそれでもやっぱり闇市でストッキングを買っています。
お茶を淹れる適温が理解できないトウがたった新参タイピスト(これはつらいかもですね)や社長が死にかかっているのをてんかんの発作と思い込んだ若いタイピストは「てんかんには口にコルクを詰めるといいんですって」とか「辛子(からし)と水を差しあげればいいんだわ!」とかナニソレおいしいの?を連発する近代と現代がクロスオーバーしたロンドンです。
「ポケットにライ麦を」は変容した社会制度に夢見て都会に出てきた田舎娘とムカシからいる教養のあるひとびとを冒頭から描いています。今でもかわりありません。
むしろ今の日本のほうが教養の格差がツライかもしれませんね。テイクイットイージーでお気楽にいきましょう。
ビクトリア朝の文化が色あせてみえるかのような拝金主義と古い階級制度に縛られて身動きがとれないひとびとが多数登場します。
ミス・マープルの見立て能力とは
もちろん全世界のどんな不可解な人物もセント・メアリ・ミードの住人に見立てられます。
ミス・マープルはセント・メアリ・ミードのすべてのひとびとの愚痴と悩みのはけ口、スイーパーなのですから。
さらに教会のお勤めやバザーのヒソヒソバナシでディープ・ラーニングのインプットはばっちりです。
ポワロが過去のトレースに卓越した冴えを見せどんな不自然も見逃さないセンサーが付いているどちらかといえば超アルゴリズムをもつスタンドアローン型の小男だとしたらミス・マープルはどんな人間や出来事もセント・メアリ・ミードの人物の行動と照らし合わせ仮説をたてて驚異のコミュニケーション能力を発揮、ネットワークを使うニューロン型の女子です。
さらにふたりともPDCAが超高速で行われているのでしょう。
間違いもシックスシグマ(不良品発生率100万分の3.4以下)以下です。
ミス・マープルの場合は実生活者としての経験からくるあいまいさを加味し見向きもされない情報を拾っているからでしょうか。
この事件をマザー・グースの見立てであるとすぐ見抜いたのはミス・マープルならではの女性的感性のたまものでしょう。
ま、おふたりともAIのモデルになりそうですが。
「ポケットにライ麦を」では銀行の支店長の夫人に似てるだのセント・メアリ・ミードでは金持ちの部類の金物屋の娘と結婚した男みたいなもんだとかミス・マープルは想起します。
ここはいろいろ耳が痛いです。誰のこと。ねえ、誰のこと、みたいな。アガサ・クリスティは怖いです。
「ポケットにライ麦を」の少女
ジャック・ケッチャムの「隣の家の少女」という小説があります。
これは現実のシルヴィア・ライケンス事件をモデルにしています。当たり前ですがミス・マープルはでてきません。いえ、ミス・マープル的人物がでてきません。
虐待されているのを気づかれていたのに少女は無残に殺されてしまいます。
被害者は美しく優しい少女です。日本でも同じような事件がありました。痛ましい事件で恥ずべき事件です。国民は誰も忘れないでしょう。
「ポケットにライ麦を」にはミス・マープルがいます。
ふだんは理性的で論理的なただの田舎のオールド・ミスです。しかし内部には熱い魂が宿っています。義憤にかられたら必ず真実を明かし汚名を晴らしてくれる復讐の女神です。
「ポケットにライ麦を」で殺された少女は不器量で少し知恵が遅れ仕事も長続きしません。
孤児院出身のためバックアップしてくれる家族もいません。でも素敵な彼に憧れています。誰も助けてくれないまま社会にでなければならないポジションで唯一の身内とも言うべき存在がミス・マープルでした。
ラストで事件を解決後自宅に戻ったミス・マープルは被害者の少女からの生前送られた手紙を受け取ります。内容は今回の事件の相談でした。
彼女はミス・マープルしかあてにできるひとはいなかったのです。この点では少女は正しい行動をしました。
意地悪なひとでもない一般論しか言わないひとでもないほんとうに手助けしてくれる人物を選択しました。
「ポケットにライ麦を」のまとめ
今回の事件ではクリスティ作品ではめずらしく不幸な女性が何人か出ます。
ミス・マープルは最後に経験からくるアドバイスをします。
これがアガサ・クリスティの男社会で翻弄される女性のギリギリのリアリティなのでしょう。
ミス・マープルもニールという警部にあなどられますしね。やれやれ。とんだ小僧だぜ。
「ポケットにライ麦を」は女性をあなどっている男たちへ強烈な一撃を見舞います。
マザーグースで男が動揺する小説です。甘くみてると痛い目にあわされます。ミス・マープルに。
ーーーでも、とてもキレイな人でしょう。
「アルジャーノンに花束を」のような文面の手紙のラストです。私は泣きました。
哀しい運命の少女の最後の一文を読んで涙をこぼし激情が去ったあとのクリスティが描写するミス・マープルの姿はまさに復讐の女神そのものです。
鬼気迫ります。男はぶっ飛びます。
女性をあなどってはいけませんね。
「ポケットにライ麦を」は超おすすめです。