1936年発表された三つのミステリの二番目のミステリになります。クリスティは30年に再婚して46歳、精力的に執筆していた時期になります。アッシリア遺跡発掘現場を舞台に情熱的な愛が引き起こす倒錯した非常に考えさせられるミステリです。暑さと寝苦しさが伝わってきます。
メソポタミア殺人事件のあらすじ
レイリー医師の紹介でイギリス人看護師エイミー・ラザランはアッシリア遺跡発掘調査隊の宿舎を訪れます。
エイミーは発掘調査隊の隊長ライドナー博士の妻ルイーズの付き添いとして雇われたのです。
聡明なエイミーは到着してすぐその発掘調査隊の一種独特な雰囲気と関係性を感じ取ります。
付き添いの美貌の人妻ルイーズは怯えていました。
そしてエイミーはルイーズから怯えていた理由を告白されます。ルイーズには前夫がありました。
その死んだはずの前夫から脅迫状が届いているというのです。
面白くエキゾチックな一級品のミステリです。
がまた同時に非常に奥行きのあるミステリです。ありえなそうでどこでもあり得る心理を描いた傑作です。
密室事件タイプですが閉塞状況下での人間心理を描いています。
そのためか発生した発掘現場宿舎のメソポタミアの空気感がパないっす。
小説スタイルとしてはヘイスティングズのかわりのような看護師エイミー・ラザランの視点で書かれています。
事件後ロンドン居住の看護師エイミー・ラザランが度々帰国のさいに医師ヘイリーに勧めらて執筆したとされています。
ですので「メソポタミア殺人事件」はポワロは事件発生時、たまたまシリアにいて通りかかるという設定になっています。
ポワロの「人殺しはクセになる」のセリフで有名な作品のひとつでもあります。東京創元社版ではタイトルはそのまま「殺人は癖になる」になっています。
メソポタミア殺人事件の時代背景
同年に発表された「ABC殺人事件」と「開いたトランプ」を参照してください。
また「オリエント急行の殺人」(34年)はこの事件のあと発生しました。
「世界の中心で自分好きを叫ぶ」ルイーズ・ライドナー
「メソポタミア殺人事件」は彼女の強烈な自分好きオーラによって舞台づくりがおこなわれています。
看護師エイミーが到着したさい感じる違和感は正鵠を射ています。
このミステリは彼女の性格を分析するためのミステリといって良いくらいです。
意志力
知力
美貌
ある程度のお金を有している。
そんな女性がルイーズです。しかもオーラがあります。本来人妻ではなく女優になるべきでしたね。職業選択を間違えたための悲劇です。
彼女は自分が世界の中心でいるためいわゆるPDCAサイクルを回しています。
PDCAサイクルとは「計画、実行、検証、改善」以下繰り返しです。この手の本は売れているんでしょうか。わたしのまわりでは誰もやっていません。中小企業では結果も出ていないようだし。いや難しいと言うべきか。
が、彼女ルイーズ・ライドナーはやっています。
彼女はバーナード・ショーの「メトセラへ還れ」や「相対性理論序説」その他を読む異常人です。知性がありすぎです。バーナード・ショーのメトセラは不老不死の人物のハナシです。
バーナド・ショー自体が超人願望があるため超人的なイギリスの評論家で作家コリン・ウィルソンによく取り上げれらがちな作家でした。
コリン・ウィルソンは小卒の学歴でも墓堀人夫をしたりしながら野宿して大英博物館で「アウトサイダー」を書き上げた異常人です。
「相対性理論」は発表当時世界で理解できるのは6人と言われていました。うちひとりが東北大学の石原純教授です。ちなみにわたしはいまだに理解できません。
そんなのがルイーズ・ライドナーの愛読書です。うだるように熱いメソポタミアの発掘現場に持っていく美貌の人妻です。
そしてあたりの男たちを下僕のようコントロールして世界の中心でいようとする女性です。
彼女のミスというか不運は異性で同じようなタイプのフェロモンを放つ人物がいたということです。人生はどこに落とし穴があるかわかりませんね。
エイミー・ラザラン、シーラ・レイリー、アン・ジョンスン
不毛の発掘地帯に女性は少なく本ミステリの記述者エイミーと被害者であるルイーズ・ライドナーを除くとふたりだけです。
これでも多いくらいかもしれませんが。
よく人物の造形が成されています。さすがクリスティです。
シーラ・レイリーはエイミーに執筆を勧めたレイリー医師の娘です。もろルイーズに嫉妬丸出しでしかもそれは大変わかりやすい感情です。実際にそこらのいたるところにいます。
これは閉鎖的な状況ではとくに強調される性格要素でしょう。うーむ。
アン・ジョンスンは熟女代表でライドナー博士の信奉者です。これまた非常によくわかります。でないとこんな浴室の風呂はドラム缶で半身浴しか出来ない場所にはいられないでしょう。くみ上げるのは空き缶ですから。
エイミー看護師はクリスティによく登場するタイプの無鉄砲で知的で勘が鋭いタイプです。基本的には善人ですがチョイワル程度は気にしません。
下品ではないのが特徴です。このミステリの語り手としてはぴったりです。
男たち
基本的にルイーズ・ライドナーに骨抜きにされています。
かまってちゃんの人物もいて彼はエイミー看護師にすら「ぶってやりたい」とか思われるくらいです。これは実際見たな、クリスティ、というカンジですか。
不毛の地の考古学者はこんな人物もいるのでしょう。
そう言えばレイリー医師は女性的です。自分の娘にすら冷徹な評価をくだしています。
たとえ若くて気立てがよくて美人でも別格の二回結婚した年増の人妻にはかなわないと。
ナワバリを荒らされた気がしても別格にはかなわない。いやいやキビシイですな。
そして異性の才能があるひとがひとり。ある意味才能が生んだ悲劇です。
メソポタミア殺人事件まとめ
医者のレイリー先生の勧めで看護師エイミー・レザランが執筆されたとされている「メソポタミア殺人事件」が発表された時期は動的でパブリックな「ABC殺人事件」と密室でおきた「開いたトランプ」の中間になります。
この年クリスティは趣きがそれぞれ異なる作品を三つ発表しました。
この「メソポタミア殺人事件」はクリスティ作品の特色のひとつでもあるエキゾチックな旅行記テイストになっています。
訳者である蕗沢忠枝氏のあとがきによりますと1930年に14歳下の考古学者マックス・マローワンと中東の「ここら」で知り合い結婚したクリスティは数年間記憶がないくらい情熱的な充実した人生を送っていたそうです。
そのもっとも楽しかった時代に執筆された情熱的なミステリといえます。
しかしこの二番目の被害者のような殺されかたはイヤですね。凶器が塩酸です。クリスティ作品のこんな殺されかたはイヤだのNO1によくあげられているようです。
この「メソポタミア殺人事件」は今までご紹介してきたハヤカワミステリ文庫ではありません。新潮社版になります。
このクリスティ本をお借りしている方がはじめて購入した本がこの新潮社版「メソポタミア殺人事件」です。
その方は14歳からすべて古本で集められてその本をお借りしてこのブログを書かせていただいています。古い訳書が多いのはそのせいです。
またベルギー人の名探偵の名前がハヤカワ版では「ポアロ」ですがこのブログでは「ポワロ」の記述なのはそのためです。
本来一番最初にご紹介すべきミステリでしたが諸般の事情であとになってしまいました。
このあとポワロは再びシリアに戻り事件を解決、その帰りに「オリエント急行の殺人」(34年)事件に巻き込まれます。