雲をつかむ死 DEATH IN THE CLOUDS アガサ・クリスティ 加島祥造 訳

1935年作品。英仏を結ぶ空の上での殺人事件です。ヘイスティングズが嫁を見つけ南米に移住した「ゴルフ場殺人事件」から十二年後の事件です。登場しないのに至るところでジロー刑事の名前が出てきます。今回フランス警察は陰気なフルニエ警部です。イギリスはジャップです。

「雲をつかむ死」のあらすじ

9月の昼間便パリ、ル・ブールジェ空港発ロンドン、クロイドン空港行のプロミシューズ号がロンドンに到着する30分ほど前、老婆が死んでいるのが発見されました。

彼女は上流階級の間では巧妙な取立てをすることで有名な金貸しでした。

その取立て方法とは返済をシブる客には握っている弱みを暴露するといいうものです。

これは上流階級には致命傷です。

おりから機内にはなぜか黄蜂が紛れ込んでいて死因はその蜂によるショック死だと思われたのですが。

偶然乗り合わせていたエルキュール・ポワロが吹き矢のハリを足元で見つけます。

そのハリには毒が塗ってありました。

ル・ブールジェ空港はド・ゴール空港の前の主要な空港でした。現在も航空ショーなどで使用されているそうです。リンドバーグが降りた空港でもあります。

同じくクロイドン空港もヒースロー空港などの前の主要な空港でした。こちらは現在公園だそうです。

今回ジャップ警部の冗談ばかりではなくポワロは裁判官に破棄されなければ犯人にされるところでした。アヤシイ、と陪審員に思われたようです。

また当時(昭和10年)空の旅は最新の流行です。速度はとろいですが。(時速200キロくらい)

ゼロ戦の運用開始は昭和15年です。

クリスティはトレンドをすぐ取り入れるのでプロミシューズ号の運賃はお高いと思います。

おそらくかなりの金持ちか組織に属する人でなければ搭乗はキビシイ状況ではないでしょうか。

ジェーン・グレイを観察していたポワロはやっぱりなぜかマフラーを巻いていてジェーン・グレイに怪しまれています。

「雲をつかむ死」の時代背景

「パーカーパイン登場」(34年)をご覧ください。ポンド換算もとりあえずのご参考になります。

この年イギリスはヴェルサイユ条約に反したナチスドイツと海軍協定を結んでいます。

このため、やはりこの年結ばれた対独へのストレーザ戦線と呼ばれた伊英仏の連携は三ヶ月で崩れます。

のんきな宥和政策をイギリスは大陸に相談せず独断でとったのです。

チャーチルはすでにナチスドイツに危機感をもってこれを批判しています。

あいかわらずですな。

アラビアのロレンスことトーマス・エドワード・ロレンスがバイクで事故死しました。

ワーキングガール、ソウルメイト(魂の友)と出会う

ジェーン・グレイ(職業:美容師)とノーマン・ゲイル(職業:歯科医)の場合

やはりソウルメイトとのロマンスは空の上から始まります。はじめての出会いは旅客機プロミシューズ号です。

いえ、違います。

ふたりの出会いはホテルの賭場です。はなはだソウルフルな出会いです。

はじめての出会いがルーレットの最終ラウンドの鉄火場でも勝ちを譲ってくれる。

そんな彼です。

そして再び英仏間の機上で偶然出会います。

ソウルメイトだからありえます。

ノーマン氏に気づいたジェーンはそのソウルメイトのブルーのセーターを着た首から上を見ないように決めていました。

そうしたら彼の視線に捉えられてしまうからです。

そんなことになったら困るわ、っていうわけです。気持ちがよくわかります。

対するノーマン君はしっかりジェーンを視線に捉えています。

ジェーンの容姿じゃなくて歯並びを。

微笑するとひどく魅力的だな。歯槽膿漏はないな。健康な歯ぐき、きれいな歯、まったくどきどきしてくるな。

女性の見どころが違います。もはや職業病です。文字通りぶっとんだソウルメイトです。

で、ロンドンで再会、デートです。

ふたりとも、犬は好きだが猫はきらい。

オイスターは嫌いでスモークサーモンは好き。

グレタ・ガルボは好きでキャサリン・ヘップバーンは好きじゃなかった。(わたしはスキです)

デブ(女性)はキライで漆黒の髪の毛は好き。

赤い爪は嫌いで大声とやかましい料理店も嫌い。

地下鉄よりバスが好き。

これはミス・グレイにかなり合わせたね、ノーマン君。なかなかやるね。

ロンドンワーキングガール事情

ミス・グレイことジェーンはキレやすいです。またばくち好きです。

まず彼女は競馬で百ポンド当てます。

現在の金額で二百万円ってとこでしょうか。アイリッシュ競馬でマンシュウ(万馬券)当てました。いえ、百ポンド賞です。どういうシステムの競馬でしょうか。

そして半分使って半分貯金しなさいよ、私だったら毛皮のコートを買うわ、とかのまわりの声を聞きつつもお客の話題にのぼるフランスのル・ピネで過ごすことにしました。

店のお客はル・ピネに行くかル・ピネからの帰りの女性が多かったからです。

で、ル・ピネはどこの保養地でしょう。紺碧海岸(コート・ダ・ジュール)はル・カネというらしいし、ピネという場所は色々あるようです。わかりません。

ミス・グレイは大胆な女性です。

嫌な美容院のオーナーには殺人事件に巻き込まれた自分の話を聞きたくてお客が増えたことを理由に値段交渉します。

客が増えたから給料アップしろというわけです。

しかしある日、客にキレてクビになりポワロの助手としてフランスに旅たちます。

いやはや。

ミス・グレイはいわゆる鉄火肌です。基本クリスティに多いタイプです。

どこか「バクダッドの秘密」(51年)で主人公のワーキングガール、ヴィクトリア・ジョーンズ嬢を彷彿とさせます。

社長の奥さんの形態模写してタイプ事務所をクビになったジョーンズ嬢は他人の世話の片道切符でホレた男を追って見知らぬバクダッドへ向かいます。

手持ちの金はほぼありません。

ある意味ばくち打ち以上です。しかもウソをつくのが特技という、なんとまあ。

そんな女性です。

グレイ嬢は彼女と境遇が似ています。ジョーンズ嬢はあてにならない親戚のオジサンしかいません。

グレイ嬢は孤児院育ちです。

ふたりとも親から正統な礼儀作法を学んでいないカンジです。

たしかにそうかもしれません。

ただクリスティの彼女たちを見る眼はつねに温かいです。

今回のグレイ嬢もそうです。

なぜル・ピネに行きたかったのか。

なぜインタビューを断っても賃金アップを要求したのか。

なぜバクチを打つのか。

そしてなぜ品があるのか。

自分なりの矜持がある切なくなるお嬢さんです。

当然、守護天使の「ひげのベルギー人探偵」が見守ります。

名探偵エルキュール・ポワロ氏はやはり優しいです。ヴィクトリア朝の男です。ベルギー人ですが。

デュポン氏の発掘調査に500ポンドを寄付します。現在の日本円の金額にすると1千万円くらいになりますか。

ツボ好きの好事家にしか見えない発掘調査に個人の寄付でポンと出されたらこれはデュポン氏は卒倒しそうになるかもですね。

当時大不況ですから。マニアックな学術調査は大変です。

その寄付の条件はミス・グレイを発掘調査に同行することです。

「雲をつかむ死」のまとめ

今回あいかわらずの無礼者のジャップ警部より全然登場しないジロー刑事が至るところに話題になります。ヘイスティングズがいたらどんな展開になっていたでしょうか。

「三幕の殺人」(34年)について言及があります。

また不況にもかかわらず料理がすごいです。書ききれません。

なんせイギリスとフランスを行ったり来たりです。舌ひらめとオムレツは出てきます。

富豪探偵ポワロ氏は今回かなり聞き込みに動きます。

今回の「雲をつかむ死」でのポワロの相棒はジェーン・グレイです。

パリでは秘書も演じています。

「雲をつかむ死」は孤児院出身の頑張り屋のワーキングガールの人生でのターニングポイントのハナシでもあるといっても過言ではありません。

ラストでジェーン・グレイはポワロに言います。

「あなたは妙な親切心などお持ちでなかったかもしれませんが、でも、とってもご親切でしたわ」

これは親身になって気にかけてくれ、さらに自分のこころの負担にならないようにトボケる演技をするポワロの心中を察して去り際に彼女が残すことばです。

ポワロのハゲあたまへのキスとともに。

ハゲあたまへの最高の賛辞です。いやモチロン違います。

ヨカッタヨカッタ。

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