海浜の午後 RULE OF THREE アガサ・クリスティ 深町真理子 訳

「海浜の午後」『患者」『鼠たち」の一幕もの三篇を収めた戯曲集です。1962年。一幕ものですので、そんな複雑な構成、内容の戯曲ではありません。が、推理はそんなに単純ではありません。短編小説、というか掌編小説の味わいで推理を楽しめる戯曲集です。

「海浜の午後」のあらすじ

「海浜の午後」

舞台設定は海辺、海岸そばのコテージ近辺になります。

短編集「リスタデール卿の謎」(1934年)のなかの「ラジャのエメラルド」と設定が似ていなくもない感じもします。が、似ているの海辺のコテージと盗まれたのがエメラルドというところくらいかしら。ヒマそうな高等遊民が海辺で寝そべってウワサ話をしていたら、エメラルドが盗まれたようです。フランス人の美人も登場します。

「患者」

私立療養所の個室が舞台です。

でもすでにただの個室ではなくなっています。今はランプが点滅する機械が鎮座まします妙な個室です。

なぜなら舞台設定は事故か事件か不明なまま微動だにできなくなった、意識もないであろうと思われる人物、その個室の持ち主の証言引き出すための個室なのです。

彼女の証言を唯一動くと思われる指一本のランプのオンオフで聞き出そうという設定です。

「鼠たち」

アパートのワンルームを訪れ、集められた方々のご愁傷な内容な戯曲です

舞台設定は当然、アパートの一室になります。

「海浜の午後」の時代背景

「青ざめた馬」(1960年)頃から「鏡は横にひび割れて」(1962年)頃にかけての時代になるのでしょうか。「海浜の午後」ではルイ・レアールが発明した「水着のビキニが、、、(はしたない)」と言われているので戦後は間違いありません。出版が1962年なのでその少し前くらいになるでしょうか。

ビキニが人口に膾炙(かいしゃ)する(これが適当な表現かテキトーな表現になるかは置いておいて)まではいたってないかもですが、まあ、まあ知られている時代、50年代くらいですか。

「患者」「鼠たち」はそんな時代風です。「ポケットにライ麦を」(1953年)や「ねずみとり」(1954年)「死への旅」(1954、55年)の時代。

時代背景としてはそこらあたりでしょうか。

「海浜の午後」のまとめ

「キーワード」

フロリン白銅貨です。

なんですか、これ。

ムカシは白銀貨だったらしいですが、この時代では白銅貨です。

1946年まで白銀貨、それ以来白銅貨で47年から51年までジョージ6世肖像で53年から70年までエリザベス女王の肖像です。この頃は10ペンスの価値だと思われます。当時の円に換算するといくらになるか調べてみたのですが、変動が激しく難しかったです。

4ペンスが海水浴場の椅子の使用料の値段ですのでそれほどの価値ではないでしょう。

謎のフランス美女

謎です。

「海浜の午後」では夏の海辺ならではの艶っぽい描写が何シーンか出てきます。

セットはそのままですが。

女優さんたちは大変なのではないでしょうか。

でも、ここで目を奪われるとクリスティの罠にハマります。

です。

これは「患者」でのキーワードになります。

ここでミスるとまんまいきます。

「出ている」名前に目を向けてはいけないのです。

で、最後の「鼠たち」なんですが、ここでのキーワードは中東の家具です。

なんとなくスペイン櫃とかバクダッド大櫃とかの短編を思い起こさせるような状態です。

しかし、今年は夏の浜辺どころではありませんね。

30年くらい前からパラダイムシフトするとか言われてましたが、本当に強制的にパラダイムはシフトしてしまいました。

ある意味、全人類強制的に悟ったあとの世界観を見せられているようですね。

ドラマではなく、あるがままを観よということかもしれません。

世界は色付けされていない。

起こりうることは何でも起こりうる。

想定できるものなんかなにもない。

シュレディンガーの猫と似ていますが、観測者によって意味づけされ方が異なるようになってしまいました。

いつまでこの続きを書けるかわかりませんが、このままビーヒアナウのレットイットビーで進みたいです。

皆様も健康にご留意ください。

他人も自分もありませんね。

古代インドの言葉で言えば二つに分かれていないのです。

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