暗い抱擁 The Rose and the Yew Tree アガサ・クリスティ(メアリ・ウェストマコット)中村多恵子 訳

メアリ・ウェストマコット名義4作目。1947年。バラとイチイの樹のタイトルが象徴的な作品です。タイトルはポワロが登場するあの名作「杉の柩」を思わせ、ヒロインは後年の傑作「終わりなき夜に生まれつく」のエリーのようなどこか超然とした人物です。善悪の彼岸に達しています。奥行きがある、はっきりスゴイ小説です。

暗い抱擁のあらすじ

目当ての女性ジェニファーに結婚を申し込み、素晴らしい変化が訪れようとしているかにみえたヒュー・ノリーズ。しかし彼の人生は文字通り、寸前で一変します。モチロン、悪い方向に。

ヒューはジェニファーの待つ空港へ向かう途中、酔っ払いが運転するトラックと事故に遭いほぼ全身不随の状態になってしまうのです。

ジェニファーに別れを告げ、失意のヒューは画家である兄とその兄嫁であるテレサとともにコーンウォールの田舎へ引っ越します。

寝そべるだけの思うように動かない身体にひそかに死を思っているヒュー・ノリーズ。

その田舎でヒューは政治家を目指す野心的な男、ジョン・ゲイブリエルに出会います。

彼は保守党から出馬する予定ではありましたが、第二次大戦中に英雄的行為でヴィクトリア勲章を授与されただけの出自のわからない、どちらかといえば労働者階級に属する人物でした。

ヒューは兄嫁テレサを含め周囲の人々との会話でゲイブリエルの本心を測ります。

ゲイブリエルもまた障害を持ち身体の自由が利かないヒューには彼の野心と本心をほとばしるままに語るのです。

ゲイブリエルは夢想家ではありません。

現状の英国をよく認識しており、今回の選挙では保守党は負けるだろうと予測しつつも、自分の選挙区ではまだイケルだろうとの思惑のもと、保守党候補として政治活動をおこなっていたのです。

ゲイブリエルは偶然を利用した自己アピール術にも長けているようにも見受けられました。

このように本心を忌憚なくヒューの眼前で語るゲイブリエルの姿はきわめて下品に映りました。

その後ヒューはゲイブリエルとは正反対の環境に育った、どこか超然とした気配をまとった女性イザベラ・チャータリスと知り会います・・・。

ただの野心家の悲劇でもなく運命のいたずらでもなく、この「暗い抱擁」は私たちが人生を生きているのではなく、ただのノンプレイキャラクターであると痛感させられる特別な小説です。

ドライサーの「アメリカの悲劇」でもなく石川達三の「青春の蹉跌」などの人生の悲劇ではありません。

「暗い抱擁」は刹那の物語であり、どちらかというと「バガヴァッド・ギーター」の世界です。

閑黙した「存在」のなかでは自分だと信じている個性はただの「習慣」のようなものです。

強制的に軌道に戻されます。しかも良いとか悪いとかの意味づけは、また意味をなさないのがストーリーを追っていくうちに明らかになっていきます。

ただそのような無常(変化)があるだけです。

「ひと」は為すべきことをなすだけの存在だといえなくもありません。

私たちは行為を行なっていると思い込んでいるだけでただ同じ場所で仮面を変えながら同じダンスを踊り続けているのかもしれません。

この自分だと信じている仮面のような習慣がいわゆる輪廻のカルマだかノルマですか。

だとしたら、いやはや、困ったもんです。

「暗い抱擁」の時代背景

「忘られぬ死」(1945年)、「死が最後にやってくる」(1945年)、「満潮に乗って」(1948年)、「ねじれた家」(1948年※自薦10作品の一冊)をご覧ください。

この「暗い抱擁」は第二次大戦を勝利に導いたウインストン・チャーチル率いる保守党がボロ負けしたイギリス総選挙(1945年)の時期が舞台です。まだ英国は日本とは戦っていますが。

クリスティ作品としてはもっとも当時の国情を描いた作品ともいえます。税金高いです。貴族もタイヘンです。

このあとベヴァリッジの報告を元に勝利したアトリー政権がいわゆる「ゆりかごから墓場まで」の社会保障制度を手厚くする政策を実行します。さらにタイヘンです。

しかしそれは1980年代北海油田の発見まで続く長い長い英国病の始まりでもありありました。

これまたウマクいかないもんですな。

「でもとても魅力的のある人だわ」

「あんなに醜い顔でないといいんだが」

語り手ヒュー・ノリーズはゲイブリエルの顔面の印象をそのようにとらえます。

大きなお世話だ。ヒトの顔をそんな風にいうな、です。

が、そのヒューの印象を兄嫁テレサはあっさり否定します。

テレサはゲイブリエルを魅力的だと思うと発言します。そしてさらに続けます。

「そんな目であたしを見ないで。女なら誰でもそういうでしょうよ」

いやはや。テレサ、オンナが出すぎですよ。あ、すいません。下品ですね。

ムカシムカシ、MMKオバサン(モテテモテテ困るオバサン)というフェロモンを出しているのかポケモンを出しているかの女性たちがいましたが、ゲイブリエルはモチロンそのタイプではありません。

ただ、ヒューの目がフシアナなだけです。嫉妬気味にセックス・アピールがどっさりあるとかは言ってますが。

ジョン・ゲイブリエルズは独特の精気を発散させています。これはモテます。

生き方の風格をまとっているのです。これは一朝一夕で身につくものではありません。

ジョン・ゲイブリエルズはヴィクトリア勲章(おそらくヴィクトリア十字勲章と呼ばれるもっともスゴイ戦功勲章ではないでしょうか)を授与された少佐です。おそらく特進でしょう。

野心的ではあります。が、基本的に自己のモラルに基づいて行動するある意味ハードボイルドな行動規範の持ち主であることもヒューとの会話から推察されます。

彼は状況を冷静に分析し左右されません。ある意味、本質的にその状況に興味がないからとも言えますが。

その状況からの左右されなさ、自分だと思っている自分の後ろの真の自分が、結局ジョン・ゲイブリエルという個性を彼本来の軌道に引き戻します。

まあ、一般的なクリスティ作品では彼のようなワイルドで魅力的な男はたいがい遺産目当てに誰かをバラしていますな。

ですが、ゲイブリエルは違います。

「父ちゃん、おれ、大きくなったら貴族になりたいよ」という子供の頃のゲイブリエルを修理工の父親は「そりゃだめだな」と否定します。

貴族に生まれなければ貴族になれない。金持ちになって貴族の称号を買ってもそれはホンモノの貴族と同じじゃない、と、父親に言われます。

しかし、物語の終わりの始まりに「ジョン・ゲイブリエル」はそれ以上の存在であったことが示されます。

「ジョン・ゲイブリエル」という「本質」の「実存」は貴族以上のものでした。

まさに「実存は本質に先立つ」

サルトルの世界ですか。

根性の王女 イザベラ・・・

すいません。ここ、根性焼きの王女、イザベラです。

彼女もまたとんでもない女性です。ただの御令嬢でありません。

謎の魅力の持ち主です。閑黙修道会の修道女のようです。よく知りませんが。

イザベラ・チャータリスは斬首されたメアリ・スチュワートのような女王の風格をまとっています。まさしく「始まりの終わり」を体現しています。

自分の魂の王国以外を拒絶しています。

自己の世界観で動いています。世俗の出来事はすべてアウト・オブ・眼中です。

どこか「終わりなき夜に生まれつく」(1967年)の超然とした金持ちの娘さん、エリーを思い起こさせる人物でもあります。

ですから、ゲイブリエルからいわゆる根性焼きをされても微動だにしません。

タバコの火をうでに押し付けるというゲイブリエルの行為をどう解釈しているのかわかりませんが、死はコワイが苦痛には耐えられるという自らの言説を証明してます。

イザベラ・チャータリス嬢はこのように世俗とは異なるワールドを展開して中盤の見せ場をつくります。

そして彼女の実存も本質に先立っているのが、のち証明されます。

「暗い抱擁」のまとめ

アガサ・クリスティの「暗い抱擁」は「バラとイチイ」の刹那の寓話です。「愛の重さ」(1956年)がヒロイン、ローラ・フランクリンのサガ(英雄譚)だとするとこちらはヒュー・ノリーズを通してクリスティが示す荘厳な黙示録ともいえるでしょう。

終わりが始まり・・・始まりがなく終わりがないもの・・・

妖精譚が多く残る土地コーンウォールが始まりに思える、永遠に続くワンナイト・スタンドショーのようなミステリー仕立ての哲学的な純愛小説です。

スゴイ人物の多い田舎だと思うのですが。

「暗い抱擁」は語り手ヒユー・ノリーズも含めて登場人物たちの永遠の輪廻の物語でもあります。

物語の解釈はそれぞれでしょうが、きっと誰もが「空」を刹那、垣間見るのではないでしょうか。

これが「暗い抱擁」であると言っても過言ではありません。(すいません、寝言かもしれません)

でも、スルスル読めるスゴ過ぎるハナシです。

クリスティが残してくれた絶対読むべき小説です。

超オススメです。

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