愛の重さ THE BURDEN アガサ・クリスティ(メアリ・ウェストマコット) 中村妙子 訳

1956年出版。アガサ・クリスティがメアリ・ウェストマコット名義で出した6作品の最後の小説です。カテゴリーはハーレクイン?叙情小説?いえいえ。この世を俯瞰した賢者の仮想空間でのシミュレーション小説です。「春にして君を離れ」と同じ覚醒者向け小説です。つまり万人向け恋愛小説です

「愛の重さ」のあらすじ

いくら懸命にアピールしても両親に愛されない少女ローラ。

その両親の愛を一身に受けているのはいつも兄のチャールズでした。

しかしその兄が不慮の病、小児麻痺で死んでしまいます。

ローラはもちろんその兄を愛していました。

でも不幸のなかでも次こそは愛されるのは自分だとも思っていたのです。そのローラの期待は虚しくすぐ打ち砕かれます。 

ローラに妹ができたのです。

教会で生まれたばかりの妹を抱き洗礼盤の脇に立つローラ。

もしいま私がこの子を床に落としたら。

ローラはひとり暗い思いを抱きますが・・・。

ローラとシャーリーの荘厳な運命の幕が開きます。

「愛の重さ」の時代背景

「死者のあやまち」(1956年)、「ヒッコリーロードの殺人」(1955年)、「パディントン発4時50分発」(1957年)をご覧ください。

もはや戦後ではないと言われた時代です。

ジョン・ボールドック氏、<オブザーバー>

アガサ・クリスティの小説に登場する俯瞰者たる存在です。メアリ・ウエストマコット名義の作品には特に顕著に描かれ、ハッキリこの世界を見破っています。

この作品ではジョン・ボールドックです。

「娘は娘」(1952年)ではデーム・ローラ、「暗い抱擁」1947年)では兄嫁のテレサという感じでしょうか。

彼はヒロイン、ローラに少女時代から大人になるまで終始一貫して態度が変わりません。少女時代からオトナ扱いです。よく言えば。

カンタンに言うと偏屈なオヤジキャラです。ですが超然としています。

状況に影響を与えることは不可能であると達観している人物です。

ですが彼の存在がローラ・フランクリンという「個性」に影響を与えます。

実際、状況にはドラマは生じていません。ドラマにしているのはそれぞれのキャラクター達の「個性」です。ま、リアルでは「自我」ともいいますが。

これはクリスティのミステリにも流れるクリスティ本人の普遍的な人生観なのでしょう。

根本的にポワロもミス・マープルも状況に意味性を加えずただ明らかにするだけです。多少、自分勝手な意味性を状況に加えて正義風に味を整えますが。

かの名探偵達もオブザーバーなのでしょうか。彼らは常に物語のそとにいます。

まさに中国古典「中庸」の言葉「至誠の道は、以って前知すべし」を地で行っています。

予兆を察します。

あのベルギー人の小男とセント・メアリ・ミードのおばあさんは「中庸」を体現した人物と言えなくもないかも。

叶わなかった夢は偽りなのか。それとももっと悪いものなのか。

これは有名なB・スプリングスティーンの「ザ・リバー」の歌の一節です。谷間の町に生まれ育った男女のリアルを歌った歌です。(悲哀を歌ったものではありません。念のため。)

しかし、これが本編「愛の重さ」では、一見「叶った夢は偽りなのか。それとももっと悪いものなのか」という塩梅になっています。これは悲劇であり喜劇でもあります。

「白昼の悪魔」(1941年)にも登場したマーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」のような長編を思わせるような小説です。

ですが、状況は同じと言えば同じ、そしてすべては流れの中の必然へと導かれます。

この「愛の重さ」は非常に示唆に富んだ内容になっており一筋縄では解釈できません。

この愛は重過ぎます。

凡人には過負荷です。カフカ的に不条理と言えなくもないですが、これではただのオヤジギャグといえなくもありません。

「愛の重さ」は叙情小説というより、サガ、英雄譚的神話ともいうべき小説になっています。

でも、ヒロイン、ローラ・フランクリンが最後に辿り着いた恋愛小説なのは間違いありません。

これがラストに読者を現実的な安心感に引き戻します。

運命のりんご。

ラストにローラが引く口紅です。

これは確信はないのですがチャールズ・レブソンが名付けたレブロン化粧品の口紅ではないでしょうか。(間違っていたらごめんなさいです)

この口紅の名前がストーリーとローラの岐路を暗示しています。

ルウェリン・ノックス<伝道師>

あと、後半に登場するルウェリン・ノックスは「ゼロ時間へ」(1944年)で前半登場する看護師と同じ血筋を引く能力を持った人物です。

彼はウェールズにおけるヴィジョンクエストとも言うべき体験をクリアした人物です。

一見、唐突に登場したかのように見えますが、これも必然でした。

先ほど「中庸」を無理矢理引っぱりましたが、ルウェリン・ノックスや「愛の重さ」という作品にはクリスティの小説のタイトルにも引用されている詩人、ウィリアム・ブレイクの詩のほうがふさわしいかもしれません。

「終わりなき夜に生まれつく」(1967年)ークリスティの自薦10小説のひとつですーが、このタイトルはウィリアム・ブレイクの詩からとられました。

彼は預言的な詩を残したヒトです。

彼の詩でやはり有名な「無垢の予兆」という長い詩があります。

前半以下四行が特に知られています。

Auguries of Innocence

To see a World in a grain of sand,
And a Heaven in a wild flower,
Hold Infinity in the palm of your hand,
And Eternity in an hour.

一粒の砂に世界を、野の一輪の花に天を観る。

手のうちに無限を、ひとときに永遠を抱く。

(訳はワタシですので信用しないように願います)

かつての福音伝道師ルウェリン・ノックスは炎と洗礼盤にローラ・フランクリンのすべてを観たのです。

「愛の重さ」のまとめ

イギリスのバンド、コールドプレイの世界的なアルバムに「美しき生命」(原題 Viva la vida or Death and All His Friends)という作品があります。

その中のヒット曲「Viva la vida」に登場する伝道師。

ルウェリン・ノックスは命を受けて異国の地に赴くその伝道師の役割をみごと果たします。

彼が抱える根本的な疑問、カントの三つの提言。

自分は何を知っているか?

何を望むことができるか?

何をなすべきか?

見者でも見えない、これらを抱えながら前に進み、ものがたりを静かに満たしていきます。

またローラ・フランクリンもまた、ものがたりを受け入れ、必然を偶然と同様に、あるがままに受け入れます。

まさにローラ・フランクリン・サガです。

「愛の重さ」はオススメします。てかメアリ・ウェストマコット作品すべてをオススメします。

必ず人生のヒントを得るでしょう。

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