「ゼロ時間へ」にはポワロとミス・マープルは登場しません。しかし「ゼロ時間へ」ではアガサ・クリスティは魔術のような筆力で読者を引き込んできます。いつの時代もひとは変わらないと教えてくれます。アガサ・クリスティ自選10作品のひとつ。1944年の作品です。
「ゼロ時間へ」のあらすじ
物語は老弁護士の暗示的なことばから始まります。一見関係ない自殺未遂事件。
そして本編へ。
大まか過ぎますね。
しかしこれ以上はネタバレになってしまいます。キリコさん(仮名)からハヤカワ・ミステリ文庫の裏の紹介文でも多すぎるから少なくしたらといわれたので。
ちなみに私は紹介文読んでもわかりませんでしたけど。
でも、書きます。
紹介文読んでもわからなかったにもかかわらず。
アガサ・クリスティ自選10のうちのひとつです。間違いありません。
2018年3月追記
このアガサ・クリスティの作品紹介というか作品曲解は某クリスティファンオススメ順且つ私が好きな順に書いています。
最初の二作品ではポワロもミス・マープルも出てきません。しかし、ミステリとしてご紹介させていただくこの「ゼロ時間へ」は読むのをためらわれている方には迷わずオススメできます。
冒頭いくつかシーンが交錯しますがそれがぴったり附合します。またそればかりかそれ以上の人生のピースが附合します。
人生で迷われている方すべてにバトル警視は力強い存在に感じられるでしょう。そのキャラは大作家アガサ・クリスティが描いているのですからね。誰でも知ってるポピュラーな作家は一般人の目線で常識とは何かを描いているのです。
迷いは必要はありません。落合信彦風に言うと「がっと・ひーりん・ごー」です。
「ゼロ時間へ」の時代背景
第二次大戦中です。イギリスは本土防衛に必死でした。同じ年に「春にして君を離れ」(44年)が出版されています。戦時でもミステリを出版できるのがイギリスのふところの深さなのでしょう。
連合国は総力をかけたオーバーロード作戦がノルマンディ地方で展開します。
1940年、イギリスは断腸の思いでのダンケルクからの撤退からまさに臥薪嘗胆四年、捲土重来を期します。
ちなみにダンケルクからの撤退時期にはベレズフォード夫妻の傑作、通称トミーとタペンスの「NかMか」(1941年)無憂荘事件が起きています。
その後、パリの開放、映画にもなったバルジの戦いと戦争は最終局面に突入していきます。
しかし、イギリス本土、とくにロンドンはドイツの新兵器V1,V2での攻撃を含め空爆で苦しめられます。
その傷跡は戦後のクリスティ作品「満潮に乗って」(1948年)や「ねじれた家」(1949年)にも描かれていますね。
なお、V2ロケットの開発者の一人、フォン・ブラウンがのちのアポロ宇宙船を主導します。
「星の王子様」のサン=テグジュペリが行方不明になります。
その最後の混乱期に「ゼロ時間へ」は発表されました。
あなたはなにを見たの?
学校や閉塞した地域社会において少数の控えめな発言をする人々がいます。ときにその発言はとるに足らないものと無視され気にもとめてもらえません。
しかしそういった人々は冷静にものごとの本質を見つめていたりします。
推理作家アガサ・クリスティはそのような人々に焦点を合わせていきます。そして「ゼロ時間へ」を密度の高い傑作に仕上げていきます。
「ゼロ時間へ」と映画「桐島、部活やめるってよ」
私にとって青春ミステリといえば「アルキメデスは手を汚さない」(小峰元)なのですがあいにく手元にありません。記憶にも自信がありません。
しかし「ゼロ時間へ」を読んでまっさきに思い出したのが「桐島、部活やめるってよ」(映画)です。この映画を観ていたら学校内の階級をキリコさん(仮名)から解説されたのです。
今はスクールカーストっていうんですね。それが桐島を思い出した原因です。桐島はイイヤツらしいですが。
はたしてジミ女は損なのか?!
ネヴィル・ストレンジ、そしてその妻ケイ。「親族」が学校、学級なら彼らはクラスカースト上位のスポーツ万能美男美女の存在に見えます。
前妻のオードリイは上位カーストから転落した少女のよう。ジミ女の典型です。モテますが。
トーマス・ロイドはクラスの中位カーストにあたるでしょう。そしてクラスカーストどころか社会人負け組の典型のようなマクハーター。
しかも彼は学校の部外者でしかありません。
これを学園ストーリーにしてみると・・・
ある晩PTA会長トリーブスが不審な死を遂げます。そして数日後校長先生トレシリアンが無残な姿で発見されます。
動揺する学校内。
そこに赴任してきたのがベテラン教師のバトル警視です。彼は前任校での経験を生かし事件の真相に迫ります。
というような学園ミステリのような感じで読みました。チープですか。常連さんにもいわれました。
意外なラストにスッキリ!!
でも今の学校ではクラスのランクにカーストっていちいちラベルを貼らなければいけないんですか。
疲れますね。半額シールはどこですか。
「ゼロ時間へ」は青春ミステリ風に考えるとミステリが苦手な方にも読めるかもしれません。構成も絞り込まれて読みやすいです。
おトク感いっぱいの地味キャラ?バトル警視
バトル警視がポワロの印象をおまけ的に話すシーンもあります。「ひらいたトランプ」(36年)でポワロの推理を目の当たりにしていたからでしょう。
さらにバトル警視にはあとがきの福永武彦によると「頭はたいしてよさそうににも思えないが~~けっこうてきぱきとさばくから不思議だ」という半額シールがしっかり貼られているようです。おトク感満載です。私も安心しました。
余談ですが「ひらいたトランプ」(36年)にはアリアドニ・オリヴァというムチャクチャなおばさんキャラが登場します。職業、探偵作家です。
回数は少ないながら彼女はアガサ・クリスティ最晩年の作品まで登場することになります。モデルはアガサ・クリスティだといわれています。
「ゼロ時間へ」と「桐島、部活やめるってよ」との関連性はキリコさん(仮名)から聞いた私のカーストの印象くらいでしたね。失礼しました。
ちなみにバトル警視が登場するその他の作品には
「チムニーズ館の秘密」(1925年)
「七つの時計殺人事件」(1929年)(こちらは新潮版です。チムニーズ館の続編とも言える五年後の事件です。早川版でのタイトルは”七つの時計”になります)
「殺人は容易だ」(1939年)
があります。
これらはどれも純粋に面白く、ワイルドな男女コンビが活躍する「チムニーズ館の秘密」、そしてその館の貴族のお嬢、バンドルがメインで活躍する「七つの時計殺人事件」、元植民地の警官が捜査をする「殺人は容易だ」はポワロやミス・マープルは出てきませんが、それぞれの趣向を楽しめるのは間違いありません。
メインキャラが立っています。
またバトル警視はゲイトキーパーのように事件にそびえ立つクリスティの戦前戦中に活躍する偉大なキャラです。
うーん。たとえとしていかがなものか。
バトル警視の偉大さ。オヤジはえらかった。
無邪気な素直なおとなしい末っ子の女の子シルヴィアがオトナに誘導され窃盗犯に決め付けられます。学校全体が彼女の仕業だと思っています。
学校長までそういうのです。彼女自身もわたしが犯人だわ、と思い込わされています。ふざけんな、です。
でも父親であるバトル警視はプロの眼で娘は冤罪だと直感します。ここがこの「ゼロ時間へ」の最大の山場です。まだ40ページくらいですが。しかもまだまだ本編ではありませんが。
親であるバトル警視は親のひいきめもカンケイありません。娘を守ります。最近話題のモンペと違うのは第三者の警察である地方警察を呼んでくださいというところです。
どんなことがあっても娘を守るオヤジであり捜査のプロです。クリスティは当時でもこのシーンを描くのは苦心したのではないでしょうか。
ヴィクトリア朝の人ですから。親のえこひいきに誤解されたくなかったでしょう。当時もモンペは山ほどいたはずですから。
クリスティは悔しいことがいっぱいあったんでしょうね。クリスティは現在にこそ必要な作家です。バトル警視に最後に娘はいいます。「なんだか、嫌な夢からさめたみたい。お父さんごめんなさいね。ほんとうに!」
そして父親は言います。心配しなくていい。これはわたし達に与えられた試練なんだよ、と。
このバトル警視だから「ゼロ時間へ」の事件は解明しました。そしてクリスティが自作のなかのベスト10に選ぶわけです。誰も守ってくれなくてもバトル警視とクリスティは守ってくれます。
「ゼロ時間へ」のまとめ
「ゼロ時間へ」は親子のものがたりであり人間性のものがたりでもあります。とにかくどんでん返しが多く深く考えさせられます。
2018年3月追記
周囲のサイコパス系の人物に悩んでいる方や集団から孤立していると感じているけど実は自分が正しいのではないのかと感じている繊細な方にバトル警視の冒頭での迷いのない行動は励みになるでしょう。また、クリスティの書いた「ゼロ時間へ」はひとつの人生のシナリオとして参考になるでしょう。
とにかく読むべき小説です。特に若い方ほど励まされるでしょう。