アガサ・クリスティ1939年ミステリです。数々の舞台、映画がつくられました。マザーグースを軸に場所的集中、時間的集中、人的集中が結晶した教科書のようなミステリです。過不足なく調和のとれた人物描写はさすがアガサ・クリスティ。アガサ・クリスティ自選10のひとつ。
「そして誰もいなくなった」のあらすじ
十人の男女が孤島の大邸宅に招待されます。
彼らは職業も経歴もバラバラでしたがある共通点がありました。そしてマザーグースの歌とともに次々と…。
これはこれ以上は書けませんね。
訳者が映画字幕とレイモンド・チャンドラーの翻訳で有名な清水俊二氏です。
たんたんとした静謐(せいひつ)な訳文がより恐怖感をあおります。
「そして誰もいなくなった」の時代背景
1939年です。第二次世界大戦が始まりました。9月にイギリスはドイツに宣戦布告します。経済的にはブロック経済により海外資産はありましたが不況はかわりありません。
準備不足気味ななかでの参戦です。ドイツ潜水艦Uボートにより海上輸送の危険が増し爆撃を受けます。島国としては厳しい状況です。
同年にバトル警視ものの「殺人は容易だ」も出版されています。
十人のインディアン島
「そして誰もいなくなった」の舞台はイギリス南西部コーンウォール半島のデヴォン州です。
アガサ・クリスティがデヴォン州トーキーの出身なのでイメージしやすかったのでしょう。バー島という島がモデルだそうです。
英国はどこもそうですがここも古い地層地帯です。
デボン紀のデヴォンですね。
恐竜の化石でここらは有名です。
デヴォン州はジュラシック・コーストと呼ばれる世界遺産がかぶっています。
マニアにはたまりません。
あとダートムア国立公園がたまにテレビ番組で紹介されていますね。
シャーロック・ホームズの「バスカヴィル家の犬」の題材になった地域でもあります。
荒涼とした世界が展開しています。
この地域はとなりのコーンウォール州とおなじく一次産業と観光がメインの土地です。
そして軍港であるプリマスとスピリチュアルな土地で有名ですね。
これらをヒントに考えると当時の英国南西部を思い浮かべられます。
夏には避暑に訪れるひとも多いがふだんは漁村と荒涼とした土地。
ケルトの伝承とまだはっきりしない化石が発見されている土地。
これはファンタジックですね。これは私のかってな妄想ですけど。
アガサ・クリスティの多面的な性格が形成されるにはぴったりな土地です。私はひとりで納得しました。
「そして誰もいなくなった」のキャラのつくりかた
「そして誰もいなくなった」でみごとなのは人物の掘り込みの強弱です。アガサ・クリスティは基本的にストーリーの始めから知り合い同士という設定が多いです。
アガサ・クリスティの作品ではある行動をある状況でとる人物はその人物の過去でそれが形作られているということが多いです。
登場人物たちの継続した世界でストーリーが有機的なつながりを作っているのがほとんどです。
しかし、この「そして誰もいなくなった」ではほぼ顔見知りは登場しません。
医師と判事がかすかに面識あるに過ぎません。キャラクターが全員均等に描かれればストーリーの緊迫感が薄まります。
アガサ・クリスティはどちらかというと人物の背景描写を緻密に書きますが「そして誰もいなくなった」では各キャラごとに最小限です。
戯曲を意識していたのかも知れませんが自分の作品としては冒険です。
サスペンス性を生かすため得意技を封じています。
なかなかやろうと思ってできることではありません。クセがでますから。
この年「殺人は容易だ」を出版しましたし翌年「杉の柩」を出版しています。
プリズム的多面性を持ちながらも持続した集中力でキャラクターを作品にマッチさせ彫りこみ作品を完成させる。さすがアガサ・クリスティだと言わざるをえません。
見立てによる殺人
この「そして誰もいなくなった」は見立て殺人のもっとも有名なミステリとして有名です。
アガサ・クリスティにはマザー・グースをテーマにした推理小説が多数ありますが、この「そして誰もいなくなった」とミス・マープルが主人公である「ポケットにライ麦を」がアガサ・クリスティのミステリでは見立て殺人の白眉として引用されます。
見立て殺人というのは儀式性があり通常なんらかのメッセージが読み取れます。
この「そして誰もいなくなった」は犯人は完全完璧なサイコパスといっていい人物なので自己の欲望を芸術的に昇華させただけでは満足せず、やはり最後は誰かにこの「芸術作品」を知ってもらわんがためビンに犯行の詳細をしるし海に流しています。
犯人はこの事件を実直でストレートな素晴らしい見立て殺人作品に仕上げました。そうとうキテます。
もうひとつのクリスティの見立て殺人事件「ポケットにライ麦を」では犯人は見立て殺人を利用して操作関係者をミスディレクションに誘おうとします。
が、自分がかって作法を仕込んだ少女を虫けらのように殺害された最強のオトナ女子、ミス・マープルの逆鱗にふれ文字通り復讐の女神ネメシスと化したミス・マープルに正義の鉄槌をくらいます。
ミス・マープルはこのときセント・メアリ・ミードから自費で出張ってきて泊り込みで犯人を割り出します。
セント・メアリ・ミードでの最後のくだりでは読者の涙を誘うのは間違いナシです。いうまでもなくこの作品もおすすめです。
「そして誰もいなくなった」のまとめ
「そして誰もいなくなった」を日本でおきかえるとなると本作品に触発された横溝正史の「獄門島」のイメージになるのかもしれません。
「獄門島」は瀬戸内海の島という設定です。
私的には瀬戸内の島よりジブリアニメの「思い出のマーニー」のような道東の荒涼とした感じが「そして誰もいなくなった」の舞台には合ってると思いますが。
この作品の舞台になったバー島は同じアガサ・クリスティの「白昼の悪魔」でも明るいリゾート施設のある陸からちかい小島として描かれ再登場します。
こちらは雰囲気が一変したセットになりますが、クリスティの壮年期の作品の傑作として名高いミステリです。もちろんアガサ・クリスティに駄作はないのですが。
アガサ・クリスティの作品を読むたびにこのアガサ・クリスティという女性の精神と頭脳はどうなっているのかとためいきしかでません。
凡庸な作家なら天才を描いても描ききれませんがアガサ・クリスティは設定した天才を上回る思考の持ち主です。不自然にならないのです。
すご過ぎですね。