クリスティ自選10作品のひとつです。1950年戦後まもない時期の作品です。原子力を話題に入れるところはさすがクリスティです。ローカルな事件をミス・マープルは解決に導きます。正義のためには常にだいたんな行動を選びます。自分も他人も関係ありません。少しコワイです。
予告殺人のあらすじ
チッピング・クレグホーンはセント・メアリ・ミードより大きい村です。
村の話題は金曜日に配達されるメディア、ギャゼット中心でまわります。そのギャゼット紙にある金曜の朝、殺人の予告広告が掲載されます。
村人たちは当初スリラーのようなパーティの予告なのだろうと思います。が、当のパーティを主催する館でもその予告は出した憶えのないものでした。
そして興味半分でパーティは開催されます。
そのパーティで予告された時間が訪れたところ事件が発生します。
この事件ではクラドック警部が登場です。警視総監が名付け親です。大変ですね。
彼はここでミス・マープルと初体面します。物語は最初から非常に不可思議な設定で始まります。
しかし、それがまた中規模ローカルのコミュニティを際立たせています。あり得ないけれどもあり得るかもしれない。
絶妙なリアリティです。
予告殺人の時代背景
1950年はまだ戦後間もない時代です。それは「予告殺人」の舞台であるチッピング・クレグホーンに住む人々にも色濃く反映されています。
ドイツ軍から戦利品の銃、イタリア戦線で戦死した良人。その他イロイロ、いっぱいでてきます。戦中の作品とは違い社会的なリアリティ強度が増しています。
1950年。戦後すぐです。「ねじれた家」(49年)をご覧ください。
そしてやっぱり生活は苦しいようですね。
ムラ社会の悲劇
この「予告殺人」はこの一語につきるのではないでしょうか。
まるでボタンの掛け違いのような運命で殺人が発生してしまいます。最初はほんのすこしの差でしかなかったのに。善意が善意ではなくなってしまいます。
一家が横暴な主に支配されていたらその法に従わなければなりません。
その家の子どもに生まれたら幼少時の運命はほぼ決定します。ザ・クラッシュのジョー・ストラマーが歌った「I Fought the Law」の世界です。
しかしこの「予告殺人」ではおとなになっても静かに耐え従わなければなりません。気性がおとなしくやさしいひとほど。
この「予告殺人」のタイトルはきわめて暗示的です。それは事件の起きるずっと以前からこの事件は必然であったかのようです。
ネタバレになるのでこれ以上は控えますが、それぞれがたまたま偶然、格別の悪意がない人々の集まりであるにもかかわらずそれゆえの勘違いと思い違いから事件はおきてしまうというマレにみるシチュエーションです。
その点に重きをおいて一読されると予告された殺人はずっと以前から予告されていたものだと感じるかもしれませんね。
これは前作の「動く指」でも描かれていましたが閉鎖された社会の悲劇です。そしてこの世界はもはや昔や田舎を描いているのではなく現在の社会を表しています。
ハードボイルドって・・・アンタだよ、ジェーン・マープル
「アメリカ語はよく存じませんの」とミス・マープルはいいます。
そしてダシール・ハメットの小説では計画的に濡れ衣を着せられた人を<フォールガイ>というとかナントカいいます。
甥のレイモンドによるとダシール・ハメットがハードボイルドの始祖だとかナントカいいます。
いや、アンタがイチバンのハードボイルドだよ、ジェーンと言ってやりたいですね。
あなたがサム・スペードやコンチネンタル・オプの後継者です、脱帽します。
ミス・マープルは前作「動く指」でも犯人を追いつめるためにはリスクを平気で冒す胆力の持ち主でしたが今回もまったく平然とやらかします。
ミス・マープルこそはアウトローでパンクです。
これもヴィクトリア朝の流れなんですか。
予告殺人のまとめ
舞台が中規模のコミュニティというのが「予告殺人」のリアリティを保っています。
それは<ノース・ベナム・ニューズ・アンド・チッピング・クレグホーン・ギャゼット>通称「ギャゼット」紙がすべての世界でしか起こりえないストーリーです。
もう個人的にはめまいを起こしそうです。
私はまったく似たようなコミュニティで育ちましたから。
幸い、そのコミュニティの中心部の一握りの地域の(カッコよく言うと)バックストリート出身でしたのでほぼ影響はなかったのですが、近くの別地域からきた仲間から聞いたハナシは耳を疑わざるをえないものばかりでした。
私にはバックストリートの本屋さんが命綱でした。教養や知性は多少我流だとしても若い頃に学ぶべきだと思いますね。
それはきっと助けになるのではないでしょうか。拙い我流で恥をいっぱいかくことになっても。
「<ギャゼット>がいらないわけないじゃないの!」
ガクッ。