マギンティ夫人は死んだ MRS McGINTY’S DEAD アガサ・クリスティ 田村隆一 訳

過去の人ポワロ。ああ、ヘイスティングズがいたらどれだけ私の推理に賞賛してくれることか。道行く人は誰もポワロのことを知りません。しかし引退間際のスペンス警視は担当事件の真相解明すべくポワロのもと藁をもすがる思いで訪れます。そしてオリヴァ夫人です。1951年作品。

「マギンティ夫人は死んだ」のあらすじ

穴場の店でエスカルゴに舌鼓を打って帰宅したポワロを待っていたのは引退間際の老警視スペンスでした。

彼は事件をみずから指揮して容疑者を特定、刑を確定させました。被告への判決は死刑。

しかし刑事のカンから犯人ベントリィの無実を疑わないスペンスはみずからの捜査をポワロに再検証して被告の冤罪を晴らして欲しいと調査を依頼します。

自分が冤罪で死刑になるというのにまったくやる気のない男ジェイムズ・ベントリィ。彼がまず特筆すべき男です。

また本来ポワロはこの事件に興味はありませんでした。タイクツな殺人事件で裁判もすぐ結審し粛々と進んでいった単調な事件で名探偵の手腕の出番はなかったからです。

しかし30ポンドのため殺人を犯したと目されるベントリィのあまりのやる気のなさから真犯人は別にいると確信、スペンス警視の依頼を引き受け名探偵エルキュール・ポワロは知名度ゼロの土地で一肌脱ぎます。

助けがいのない死刑囚とイギリスの法の正義のためまったく報われることがないように見える事件でも手を抜かないプロふたり。アタマが下がります。

「マギンティ夫人は死んだ」の時代背景

冷戦真っ只中ですね。「魔術の殺人」(52年)とほぼ同年の作品です。時代の背景は「葬儀を終えて」(53年)をご覧ください。まだ物資は不足気味だと思いますがポワロは金持ちです。

オムレツ

今回の重要キーワードです。

殺されたマギンティ夫人がタマゴだとすると犯人のベントリィはオムレツ。こうたとえられます。

また後年「鳩のなかの猫」でも回想されるのもオムレツです。

これは逗留先のサマーヘイズ夫人のあまりの料理のまずさに辟易したポワロが本を贈呈し手ずから伝授したオムレツの作り方です。

依頼人の少女がそのオムレツの好印象を語り、名門女学校の事件へとポワロを駆り立てます。

この「マギンティ夫人は死んだ」はクリスティの作品中では名高い事件として扱われているようです。「ヒッコリー・ロードの殺人」(55年)「鳩のなかの猫」(59年)と言及されます。

しかし、殺されたマギンティ夫人がいないとこの地域は立ち行かないのでしょうか。故人はいたるところで家事労働に従事していたようです。

おかげでポワロも家事に慣れていないそばかすのサマーヘイズ夫人の凄まじい家事ぶりに圧倒されます。

金持ちで金払いの良いポワロが週に7ギニー(7ポンドとご祝儀分7ペンス)支払っているのにまったくその価値に値しないサービスぶりです。

しかもポワロのことは理容師かピクルスの名前だと思われ外国人だし信用ならないから金を早く貰ったほうが良いとヒソヒソされる始末です。

この地域でポワロの名前を知っていたのは医者のレンデル氏のみです。

リンゴ

今回の「マギンティ夫人は死んだ」では登場人物が濃いキャラばかりです。リンゴといえばそうオリヴァ夫人です。彼女はかじり終わったりんごの芯を車窓からポワロに投げつけ挨拶します。シャイタナ殺しの「ひらいたトランプ」(36年)事件を私たちの推理が正しかったと記憶を改ざんして語ります。さすがです。

オリヴァ夫人は戦前からなにも変わっていません。帽子は尻の下でぺっちゃんこ、アタマはかきむしってぐちゃぐちゃです。そのまま行動します。

女が警視総監だったら事件は一発解決の鉄の信念も微動だにしません。ポワロも彼女に対する接し方は変わっていません。

ポワロのオリヴァ夫人に対する態度は「象は忘れない」(72年)まで変わりません。後年オリヴァ夫人は老境に差しかかり人間味を少し帯びてきているようですが。

今回オリヴァ夫人のフィンランドの探偵スブン・ヤルセンの本の戯曲化のためブローディニイ村の劇作家宅を訪れたのです。

彼女の著作「二番目の金魚」「猫はしらなかった」「初演俳優の死」について語られるシーンがあります。

それぞれトリックに不自然さがありスブン・ヤルセンが登場するまで八人も死んでしまい人死にが出すぎであると作品上の欠点を自ら言及します。

そしてはりきって推理します。間違った推理を。

やる気のない死刑確定者ジェイムズ・ベントリィ氏

このひとが今回の最大の謎の人物です。きっと徳の高い人物の生まれ変わりでしょう。でなければまずそのまま執行されて終わりのミステリにならない人物です。

まず手持ちのハヤカワミステリ文庫では登場人物紹介にも列記されていません。渦中の人なのに出版社から忘れられているのでしょうか。

本人もスペンス警視とポワロが無実を晴らすべく奔走しているのにもかかわらず状況証拠がこれだけそろっているのだから犯人は自分だろうと認める始末です。

不況で事務から営業へ。でも機転が利かないしクラいのでリストラ、無職独身、再就職もできなくて家賃2ヶ月滞納、わずか30ポンドのため強盗殺人を犯したとされ、とんとん拍子で陪審員の心象もクロ、事件のあった村の人々の心象もクロ、本人もクロでいいやという男で死刑確定です。

下宿先の大家が帰宅して死んでいてもそのままベッドに入り寝ているようなお方です。わたし以上のやる気のなさです。

スペンス警視が刑の執行差し止めを申し立ててなんとか時間をかせぎます。

ポワロもあまりのやりがいのなさから嫌になり彼が犯人だったらどれだけ楽だろうと考えますがだからこそ彼はシロであると逆説的に考えざる得ないので調査続行です。いやはや。

しかもネタバレ気味になりますがこの無職でやる気のない男はなぜか女性にもてていました。しかもふたりほど彼のことを無自覚に憎からず想っているのです。

なぜだ!

さらに「しかも」はつづきます。最後にこのポワロがいるのだから必ず良縁をとばかりにベルギー人探偵が今後のキューピッド役を請け負うことを暗示させます。

ベントリィ氏は前世ではさぞ徳をつまれたお方に違いありません。ブタ箱にいながらにして金持ちの嫁の世話まで。陰の極みのあとは陽の極みへ。老荘の思想や易経の世界です。

これはわたしもまだまだいけますな。なんせ聖書とシェイクスピアの次に売れている大作家の著作物ですからね。ちなみにグーテンダルクの印刷機ではじめて印刷された東洋の書物は「ブックオブチェンジズ」(変化の書)「易経」だと言われております。

「マギンティ夫人は死んだ」のまとめ

この「マギンティ夫人は死んだ」はフレンチの店「ラ・ヴィエイユ・グランメール」で始まりスペンス警視とポワロがそこで祝杯をあげ料理に舌鼓を打ち終わります。

たいしたふたりです。このプロフェッショナルふたりに見返りはないに等しいのです。それでもふたりは法の平等と正義のためやれる能力のある者がやるべきことを成し遂げた達成感でいっぱいです。

ポワロは自分の高名さを知らない土地で外国人と差別されてもやり遂げました。スペンス警視も引退間際ですでに別件に関りつつも自分の担当した事件に疑問を抱いたらプライドを捨てポワロに再調査を依頼します。

この「マギンティ夫人は死んだ」の一件で知り合ったスペンス警視はその後クリスマスカードのやりとりをポワロとつづけウドリー・コモンの町で起きた十八年後の事件「ハロウィーン・パーティ」(69年)とポワロもの実質最後のミステリ二十一年後の「象は忘れない」(72年)で重要な協力者として登場します。

ムカシのひとはえらかった。そして濃いミステリです。オススメします。

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