1947年出版。12編。ギリシア人(?)の英雄ヘラクレスはアポロンの宣託に従い、あえて苦難の偉業に挑みますが、ベルギー人の探偵はバートン博士とのナタウリの栽培から発展したヨタ話からあえてこじつけたややこしい事件を推理します。この金持ち探偵は無聊をかこちすぎです。
ことの起こり
居住者が発達障害気味だと匂わせる調度品ばかりのポワロ宅。
たぶんヒマつぶしの表敬訪問だったであろうバートン博士のポワロから供されたお高いワイン、シャトー・ムートン・ロスチャイルド(シャトー・モートン・ロートシルト)で酔ったはずみのネタ話で物語は始まります。
君にはアキレスという兄弟がいたんだろうとポワロに訊ねたバートン博士。
その後、自分が名付け親になった子供たちが思惑と違うあんばいに育ってしまったという話からヒマなポワロにヒマつぶしはどうするつもりだいとまったく無意味なヒマな質問をくりだします。
アシル(アキレス)か。
とポワロも「ビッグ4」(1927年)で自ら創造したもはやまったく無意味な架空の兄弟に思いを馳せつつもヒマな時間はナタウリ(マロー)の栽培でつぶすよと答えます。さらにその水っぽい野菜の調理法を語ります。
いやしかしホントにヒマですな。うらやましい。
その後やはり超有能なASD気味なミス・レモンにヘラクレスについて調べてもらいます。執拗にその調査内容を吟味してこんな腕っ節だけの野蛮な奴が英雄だって!こいつは重症な癲癇持ちだったのだろうという結論に達します。
どうやらこの名探偵はヘラクレスをご存知なかったようです。
アンタは他人の事が言えるのかい、と通常なら言われますが、彼は希代の名探偵エルキュール(ヘラクレス)・ポワロ氏です。
ものがたりはここから始まります。
つまり超有能な金持ちのひまつぶしの推理譚です。
しかし、内容は非常に考えさせられる名品のオンパレードです。
ネメアの谷のライオン
犬が失踪した事件です。
犬種はチンです。わたしの周辺では最近はあまりみかけないですね。
ミス・レモンとジョージが登場します。200ポンドは当時は大金です。
レルネーのヒドラ
医師の亡くなった奥さんの死因について、その不穏な噂を解決するためポワロはジョージと田舎に出張します。
ある意味タイミングと勘違いの悲劇とも言えます。
名探偵は第二の偉業を成し遂げたとほくそ笑んでいますが。
アルカディアの鹿
雪道で所有の高級車がエンコ。しょうがなく歩いてポワロは田舎の宿に泊まります。
その際に車を修理に訪れた修理工の依頼でヒマな名探偵が動きます。
後味の良い話です。
エルマントスのイノシシ
英国のテレビ、デビッド・スーシェ主演のポワロの「ヘラクレスの冒険」の舞台になったパートです。
スイスで「アルカディアの鹿」の件を解決したついでにアルダーマットへ向かいます。が気に入らずさらにロシェ・ネージュにケーブルカーで向かいます。
ここはモントルーの近くの架空の土地です。たぶん。
アウゲイアス王の大牛舎
政府の要人からの依頼です。いわゆるスキャンダルのハナシです。英国にありがちです。もちろん我が国でもですが。
女は強しのハナシです。
ステュムパロスの鳥
ぼっちゃんで物知らずの男の成長を促すハナシと言えなくもありません。
苦労知らずが苦労を知り現実に目覚めるハナシです。
英国の未来を背負って立つポジションの男がポワロがいなければ妖鳥ハーピーの良いカモになっていました。
女は怖しのお話です。
クレタ島の雄牛
頭のおかしいのは誰か。依頼者の女性からしてイカレているように思えます。
非常に内容の濃い作品です。
キーワードは兎狩りに出かけるです。
これが貴族のタシナミなのでしょう。兎狩りは危険です。
ディオメーデスの馬
医者からの依頼です。二件目です。多いですね、お医者さん。
ご他聞に漏れず女がらみですが、このハナシも奥行きがあります。
すぐ単発かシリーズのドラマでパクくられそうですね。すでにパクられているかもしれませんが。現代風ですし。
面白いです。
ヒッポリュトスの帯
ルーベンスの絵(の題材)と少女の失踪。
ポワロが最後に女学生のサイン攻めに合います。この頃はまだポワロ氏は有名だったのでしょう。
ハゲで小男でも人気があるようです。彼は今後を考えるとその状況を満喫すべきです。
「第三の女」(1966年)では「こんな年寄りだったなんて!」とせっかく親切に朝っぱらから面会したのに言われるのですから。
ゲリュオンの牛たち
ネメアの谷のライオンのミス・カーナビが再登場です。
新興宗教に名を借りた事件です。密偵として彼女が忍び込みます。
またジャップが登場します。ポワロをイジリに登場したわけではありません。
ミス・カーナビのキャラ性で活劇風にも感じられる作品です。
彼女はクリスティの女性キャラのなかではタペンス風の女性です。
ヘスペリスたちのりんご
財界の大物からの依頼です。
謀殺に使用されたろくでもない歴史ある盃の話です。
ある意味呪いの浄化のハナシです。
そうでなければどうなっていたでしょう。
ケルベロスの捕獲
大問題作というか大問題人物登場の、ある意味本短編集では白眉とも言えるお話です。
ピカデリー・サーカス駅の混雑した、上りエスカレーターでポワロは彼の永遠の理想女性の象徴ともいうべきヴェラ・ロサコフ伯爵夫人とすれ違います。リアルロサコフ夫人とはビッグ4以来かしら。
そして文字通り地獄でのデートを誘われます。
「マダム-どこへ行けば会えるの!」
「地獄へ来て!」
きちょうめんなハゲな小男(ポワロ)が派手好きな大女に思いこがれるのは、不幸な宿命かもしれない、とクリスティも記述しています。あ、ハゲとは書いていないか。
しかし、名探偵の女性の趣味は理解不能です。まあ、頭脳も理解不能なレベルなので同じかもしれませんが。「ポワロのクリスマス」(1938年)でも年増好きであり、女性の趣味にうるさいのは様々な事件でも語られます。でも、理解は出来ません。
そしてさらに謎はミス・レモンです。逡巡しているポワロを尻目に「地獄」へテーブル予約を入れます。なぜか彼女は流行りのナイトクラブ「地獄」を知っていました。
やはりミス・レモンもただの有能なスペクトラムではありません。恐るべき女性です。彼女も地獄の使者かもしれません。こうしてポワロを「地獄」に突き落とします。
地獄に潜入捜査中の刑事を見つけ、ポワロの前にジャップ登場です。あいかわらずオヤジのような高笑いを上げています、この警部。
後半、ポワロはロサコフ伯爵(侯爵)夫人に抱きつかれて顔中を口紅とマスカラだらけになります。まさに本短編で名探偵は本懐を遂げたと言っていいでしょう。
ミス・レモンに多少キモがられ気味に、かつ、バラの出費に不興を買っても幸せな結末で締めくくられます。「まさか、あのトシで!」とか言われても。
この短編は鼻をつまんで煎じた生薬を飲まされた気分を味わえる独特のテイストの作品です。決して忘れる事が出来ない作品です。ワタシはロサコフ夫人が夢にまで出ました。いやあれはオリヴァ夫人だったかしら。
「ヘラクレスの冒険」のまとめ
しかしクリスティの年増好きの男の描写や女性事情に異常に詳しい男の情報はどこから手に入れていたんでしょうね。
しかも実際にワタシにもそんな知り合いがいたのでメマイがしそうなくらい正鵠を射ている描写です。
ヒマ人のヨタ話から始まり、最後にロサコフ夫人が登場する配置がなされている「ヘラクレスの冒険」です。
短編集としては非常に高密度で奥行きがある作品ばかりです。読みでがあります。とても冒頭のヒマなどうでもいい話から始まったとは思えません。
クリスティは短編も長編と同様な腹持ちするミステリを提供してくれます。しかし凄いですよね。
オススメします。