第三の女 THIRD GIRL アガサ・クリスティ 小尾芙佐 訳

1966年の作品です。これほど冒頭でポワロが衝撃を受けたミステリはありません。それでも名探偵はミスター・ゴビーに下調査を依頼します。なにかひっかかるのです。調査を開始すると想像以上の複雑さ難解さの「事件のない事件」でした。ミス・レモンとはたぶん今回でお別れです。

「第三の女」のあらすじ

ある日の朝、至福の朝食時間を過ごしているポワロのもとへ来客が訪れます。他人の家を訪れるにはまだ早い時間です。ポワロは知らせに来たジョージに一度は断ります。

しかし殺人を犯したかもしれないとその無礼な依頼者はいっていると言うのです。無下にできないと判断したポワロはわざわざ気を遣い特別に面会時間をもうけました。

会ってみるとその女性の身なりはひどく薄汚い格好をしているように見えます。ポワロ世代からしたらなんの魅力もない今風の娘です。

それなのに逆に彼女がポワロを見て口にした言葉は「相談はもういいです。まさかこんな老人だとは思わなかった」です。

ポワロは朝早くから痛恨の一撃をくらいました。

しばらく尾を引きそうなダメージです。そのあとかかってきたオリヴァ夫人からの講演依頼の電話でも元気がありません。

「年をとりすぎているから」とつぶやきます。心配したオリヴァ夫人はポワロを口説いて家に招き理由を聞き出します。

すると朝の災いの原因である娘に名探偵ポワロを教えていたのはこの場面ではやっぱりと言うべきかオリヴァ夫人でした。

気にしなさんなというオリヴァ夫人の言葉もあまりこころに届きません。それでも大ショックをあたえられたポワロは娘から何かを感じそこから本格的に調査を開始します。

がんばれポワロ!

この日、ポワロは朝っぱらからカウンターパンチをくらいました。相当のショックだったに違いありません。ポワロの傷心が伝わってきて胸が苦しくなります。

自分が言われたら斬りかかるかもしれませんね。いや悲観して割腹するかも。

ジジイとか言うなー!オヤジとか言うなー!です。オッサンもいやだし、オニイサンもボクもいやですね。できればヴィクトリア朝式でミスタプラス名前で呼ばれたいですね。ぜいたくか。

さらにそのあと依頼者女性の素性を電話で聞き出しているオリヴァ夫人にはいちべつされパン屋扱いされます。

パン屋をどうとるかはその人次第ですがこの時の傷心の名探偵ポワロにはキツかったかもですね。

「第三の女」の時代背景

文化はサイケデリックです。

ジーン・シュリンプトンとツィッギーの時代。スィンギング・ロンドンと呼ばれた時代です。

彼女らは雑誌の表紙をかざります。わたしの知り合いのオバサマ方もミニのツィッギーに憧れたそうです。山本リンダじゃねーのと言ったらぶたれました。(ツィッギーよりあとですがへそだしルック前の山本リンダ氏はミニでした)

これは60年代になってしばらく続いています。

当時のアメリカの雑誌ヴォーグはプラダを着た悪魔のアナ・ウィンターの前のグレース・ミラベラの前のダイアナ・ヴリーランドが編集長の時代です。

三人がここ数十年のモードの潮流を作ってきました。アナ・ウィンター以外の最初のふたりは衝撃的なクビを言い渡されて編集長を交代しています。

モードは烈女たちが作っています。

ビートニクからフラワーチルドレンと変わっていった頃でしょうか。それでもまだ作中ビートニクの表現があります。チェルシーのキングス・ロードがでてきます。クリスティはチェルシーには住んでいたようです。

「蒼ざめた馬」(60年)でもチェルシーのカフェが重要なシーンで出てきてオシャレです。いかしたアパレルギャルもでてきます。その他「複数の時計」(63年)なども当時の働く女性のトレンドを描いてますね。ロンドンじゃないですがマンホールかなんかにひっかけヒールのかかとを折ります。

ミス・マープルの「バートラム・ホテルにて」(65年)はムカシロンドン(1909年)探訪で別の意味でオシャレです。陸海軍ストアとか。レンバイとか。総じてクリスティの60年代作品はワーキングガールが出るせいかオシャレです。

この「第三の女」はクリスティ76歳、今の後期高齢者の年齢です。しかしやはりまだバリバリ若いです。サブカルチャーのアートシーンに出入りしている若い連中を描ききっています。

この時代にまだ女書生(オウ・ペール)というのがイギリスには存在します。「ハロウィーン・パーティ」(69年)でもまだ存在します。日本にもあったと思います。

我が国ではビートルズが来日しました。

この頃のイギリスのイメージは特別な教養の持ち主や立場の方を除いて一般的な若者には圧倒的なビートルズ(多様な音楽性とイギリス的な寓話的な詩、当時誰も考えつかなかったトータルアルバムの創造などで。その後哲学的になります)、紅茶(当時クリスティで午後のお茶の習慣を知っていたひともいました。

でもサンドイッチの中身のキュウリの意味を知るひとはほぼいないです。これは「ハロウィーン・パーティ」で重要少女ミランダがポワロに礼儀正しく供します。

自家で採れたという貴族の習慣の名残だとききました。普通ならキッチンガーデンですか)、霧のロンドンなどコナン・ドイルのシャーロック・ホームズやアガサ・クリスティのポワロ、ミス・マープルなどのミステリが作ったイメージが強かったように思えます。

ちなみにたいがいの当時の日本人は好きか嫌いかは別にしてアメリカを向いていました。ヨーロッパならフランスの方が女性に人気です。

スコッチウイスキーなどはまだ一括して「洋酒」です。ワインはぶどう酒です。高いです。オールドパーはとても飲めません。

ようやく渡航制限が解除されたのは64年。しかし一次旅券です。数次旅券で爆発的に団塊の世代の学生バックパッカーが出るのは70年からです。持ち出せる外貨は66年で五百ドル(円で十八万円)くらいです。

当時の大卒初任給が二万四、五千円くらいですので普通の会社の給料はもっと安いはずです。一般人には海外旅行はまだ全然無理です。

作家五木寛之氏がソ連北欧を旅したのが65年、それを「さらばモスクワ愚連隊」で上梓したのがたしかこの年です。

日本国民は白黒テレビのニュースで一日中流れている永遠に続くかと思えたベトナム戦争を観ながら納豆やタマゴかけご飯を食べていました。80年くらいまで一般国民の食する肉はおもにくじらかトリかブタかです。(もちろんお金持ちは別です)

あと最強の日曜朝の「兼高かおるの世界の旅」です。この番組は1950年代終わりからバブルまで三十年以上続きました。

この番組で欧米やその他を、そして先進国以外をこの年から始まった「素晴らしい世界旅行」(現在の日立世界不思議発見の前番組です)で日本国民は世界を知りました。

これが一般的日本国民のガイコクの情報ソースです。

イギリスのリアルは特派員のレポートやエッセイなどで薄っすらしかまだ知られていません。

現在の日本人の英国庭園、午後のお茶の習慣などの文化面でのイギリスのイメージはおそらく70年初期から中期の「ポーの一族」など少女マンガの影響が大きいでしょう。

66年当時執事、メイドは知られていましたし日本にもお金持ちの一部にいました。がキッチンメイドなんか誰も知りません。

リアルイギリス経済はまたポンド危機です。不況がヤバいです。イギリスは経済がダメですね。武器商売は盛んなようですが。

まああまり他国のことを言えたギリではありませんが。島国はなんかうまくないんでしょうか。勘ぐってしまいます。

アーチストは若い

ポワロも「複数の時計」(63年)では推理小説の分析批評みたいなことをしていましたが本作「第三の女」では執筆という形をとったようです。しかし脱稿してすぐの朝から打撃を受けたのですが。

クリスティが若いのは言うまでもありません。で当然彼女の化身オリヴァ夫人も若いです。

今回も彼女がきっかけをつくったようなものですし、このあとの作品「ハロウィーン・パーティ」(69年)「象は忘れない」(72年)までオリヴァ夫人が事件を持ち込んできます。

今回は今風に言うところのルームシェアのサードガールの意味のレクチャをポワロにおこなってくれます。これは我々にも助かりますね。

今でもこんなカンジなんでしょうか。さもなければさっぱりわかりません。クリスティはヴィクトリア朝とトレンドに根ざしたミステリですから。

さらにオリヴァ夫人は若い女性の生態にも詳しいです。夜の7時15分前くらいには勤めから帰った娘達がぴっちりした異国風スラックスにはきかえて外出するか靴下や小物を洗ったりする時間だそうです。

手洗いでしょうか。当時は一人暮らしだったら洗濯機はなかったのかもしれません。あっても手回し脱水式の洗濯機でしょうか。

しかし1964年出版の日本の大作家大藪春彦氏の「蘇る金狼」の主人公朝倉哲也のようなビンボーな野獣でも電気洗濯機付きの部屋に住んでいます。彼の部屋には冷蔵庫はないので缶詰がメインの食料です。

ということはイギリスでしかも女性なら洗濯機があったひともいたと考えるのが自然ですね。ここでのワーキングガールは手洗いでしょうが。ちなみにわたしの記憶では当時祖母の家にしか手回し脱水式の電気洗濯機はありませんでした。

さらにオリヴァ夫人は尾行して見つかってもウマイ話の持っていきかたをします。若い人向けのはっきりしたわかりやすい言い訳です。いつもアタマをかきむしってカーラーを弾き飛ばしている方にはみえません。

オリヴァ夫人は作家という職業柄か幅広い世代とフランクにコミュニケーションをとれるスキルがあります。若い。

そして帰り道を教えてもらい素直にキングス・ロードに向かって歩いている最中に後頭部をなぐられます。

そしてせっかく忠告しておいたのになにやってんだ「女めらが!」とポワロに心中毒づかれます。

お気の毒です。

女性同士の会話も「ブラジャーのひもが切れた」だの言ってヴィクトリア朝ではありません。はしたないです。しかしそれを描写しているのが76歳アガサ・クリスティです。脱帽します。

「複数の時計」(63年)でもワーキングガールの描写がリアルでした。クリスティ自身の体験と身近な女性から取材しているのでしょうね。まるでリアルロッカールームの会話ですね。

今では上品ですが。本当に若いです。

これがストーリー上仕方がないとしても男の口から解説されたらめまいがしそうです。

「謎のクィン氏」(30年)のサタースウェィト氏とか「書斎の死体」(42年)のスラック警部とか。たまに異常に女性の秘密に詳しい人物がクリスティ作品に出ますから。

「むぅ、スキニーに響いてはいないが、あの若く見える売り子はどうやら骨盤補正下着を着けているようだ。ミセスだな。彼女は見た目よりトシだ」とか言ったらアンタが逮捕だよ、ですね。

この「第三の女」ではアーチスト達が出てきます。うちオリヴァ夫人が尾行するのが通称「孔雀」という若いアーチストです。オリヴァ夫人が名づけました。

彼を尾行していてワールド・エンドの迷路のような路地裏で尾行は終了。失敗します。その後アトリエに連れて行かれると絵のモデルをしている調査中の娘のルームメイト(セカンド・ガール)がいます。

素性を知られているので焦りますがオリヴァ夫人は話術で自然を装い脱出します。でもまだ油断大敵でした。

「第三の女」のまとめ

このハナシ「第三の女」はタイトルが暗示してます。ワリをくう女性です。

周囲全員がおまえ、オカシイんじゃないの?と判断したら自分に自信がなくなり受け入れてしまうタイプがいます。

このタイプは善意を装った悪意を持つ第三者にはひとたまりもありません。悪意ある人はいたるところにいます。田舎にも都会にも学校にも会社にも取引先にもいます。彼らのターゲットもいたるところにいます。

しかし手助けしてくれるひとも必ずいます。光明がみえないと思っていても必ずあります。見えないときは自分のハートに火をつけましょう。まだチャンスはあります。

バトル警視が活躍するクリスティが自分んだベスト10作品に入っている「ゼロ時間へ」ではバトル警視の末っ子が誘導されるように盗みの疑いをかけられます。しかも学校長までそう信じて疑わないのです。

しかしポワロと仕事をしたこともある地味ですが優秀な鉄の信念の持ち主バトル警視は断固としてその疑惑を否定し娘を連れて学校をあとにします。

あんなところにいれなければよかったねと娘を信じるのです。これがのちの複線になります。誰がいなくてもクリスティがついています。聖書とシェイクスピアの次に読まれている大作家です。

ジジィ扱いされたポワロが作中で”われわれには生贄が必要だ。ああ、あれがいい”と指すタイプだとノーマ・レスタリックを評しています。難局を敢然ときりひらくというタイプではない。来るべき危険を予見できるタイプではない、とも。でも彼女のため動き出します。ポワロもそういう人物です。

今の時代にふさわしいミステリ「第三の女」です。そしてこれはムカシからあるいじめへの対処法です。アタマを使い行動しろということですね。ノーマ・レスタリックだってオリヴァ夫人から聞いただけのポワロのもとへ勇気を出して訪問したのですから。

ま、ジジィじゃ対処不能だと判断する程度の見識の人物ではありましたが、現状を打開したいとは思ったワケです。

それが彼女の運命を変えました。ショックを受け失礼ともとれる態度をとりつづける彼女にポワロは専門家を紹介して彼女をガードしました。

ポワロもオリヴァ夫人もヴィクトリア朝の達人です。

オススメです。読むに値するミステリです。

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