ミス・マープル初の長編です。1930年のセント・メアリ・ミード。牧歌的なイギリスの田舎が舞台です。高齢者の住民達もまだ若いです。当時は皆パワーがあります。活気のある田園風景でのミステリです。ミス・マープルは一目置かれ恐れられているポジションにいるのがわかります。
「牧師館の殺人」のあらすじ
セント・メアリ・ミードの牧師レナード・クレメントはふたまわり若い妻グリセルダとの世代の差を感じつつもつつがなく暮らしていました。村の日常は平穏そのものです。
しかしそれは表向きの村の日常の姿に過ぎません。
ちいさな村に謎の夫人、考古学者、そして画家など異端ともいえるひとびとが滞在し有閑マダムのうわさになっていました。
その話題の標的には牧師館のクレメント夫妻も逃れることができません。
その牧師館を訪れたプロズロウ大佐が何者かに射殺され発見されます。
彼の妻アンは不幸な結婚生活をおくっていました。そのアンと画家のロレンスのうわさも当然セント・メアリ・ミードでは公然の秘密です。
大佐の死体発見後、画家のロレンスが出頭します。
そしてそのあと大佐の妻アンが出頭、殺害時間の判定をめぐり事態は混乱していきます。
牧師館のとなりに住むセント・メアリ・ミードでもっとも恐れられている老婦人ミス・マープルは事件の真相をあきらかにすべく動きだします。
このミステリは牧師レナード・クレメントの視点で語られていきます。
レナードは被害者が発見された現場のあるじでもあります。
牧師という職業柄、一般的なモラルの持ち主ですが、なぜか若い妻グリセルダにぞっこんで彼女に振り回される生活をおくるという矛盾を抱えた人物です。
また、これも職業柄、告解をうけるので村人の秘密をある程度知っています。
これは守秘義務があるためもちろん他言はできません。
村人の秘密にはある程度通じてはいますがやはり牧師であり、男性という点で表層をなぞった判断をしがちです。
また捜査にあたる人物は12年後の「書斎の死体」(42年)でも活躍するメルチェット大佐とスラック警部です。スラック警部は自信満々でバリバリ捜査にあたります。
科学的かつ理性的に状況に言及する人物にヘイドック医師。彼は「鏡は横にひび割れて」(62年)ではかなりの老人として描かれていますが、まだこの「牧師館の殺人」では現役です。やはりバリバリ活躍します。
そしてミス・マープルです。
村の中の事件、しかもとなりで起きた事件ということもあり積極的にかかわります。「牧師館の殺人」はオーソドックスなパズルのような構成のミステリになっています。
「牧師館の殺人」の時代背景
1930年です。世界大恐慌の翌年です。
セント・メアリ・ミードにはあまり関係がないようです。「謎のクィン氏」(30年)をご覧ください。
日本だと昭和5年です。昭和恐慌で浜口首相が難に遭います。
これからどんどん暗黒時代に突入していくイメージです。これは全世界的な傾向だと思われます。植民地が独立運動を始め文化、生活が変遷していきます。
なんとなく現在の世界情勢と似ているかもしれません。現在を生き抜くヒントがここらにあるのかもですね。
ミス・マープルのはじめての長編
この作品でミス・マープルの長編のご紹介は最後になります。
年代順に並べますと
「書斎の死体」 1942年(戦中)
「動く指」 1943年(戦中)
「予告殺人」 1950年(戦後)
「魔術の殺人」 1952年(戦後)
「ポケットにライ麦を」 1953年(戦後)
「パディントン発4時50分」 1957年(戦後)
「鏡は横にひび割れて」 1962年(戦後)
「カリブ海の秘密」 1964年(戦後)
「バートラム・ホテルにて」 1965年(戦後)
「復讐の女神」 1971年(戦後)
「スリーピング・マーダー」 1976年(戦中)
以上のようになります。
戦中までの作品は(スリーピング・マーダー含む)はまだ生活に余裕のあるカンジがします。階級もはっきりしており無知かもしれませんがかといって差別的ではありません。
これが戦後の政策が「ゆりかごから墓場まで」の労働党政権になるとギスギスしてきます。
上流階級にとっては税金がかかり生活も以前のように余裕がみられません。労働者階級は仕事がありません。またやる気もないようです。
60年代にはいると文化の変遷がすさまじくセント・メアリ・ミードもその波に飲み込まれます。
60年代後半からは慧眼のクリスティの作品、とくにミス・マープルものは文化、社会の変遷を古き良き時代と対比させるべく一幅の絵画のように描き出しています。
まさしくだからこそ香り高いミステリとされているのでしょうか。
現代と二重写しでミス・マープルが案内役として私たちに古き良き時代の文化を教えてくれているかのようです。
もちろんクリスティの世界は上流階級から中流階級が主な舞台であり、描かれた世界は労働者階級のイギリスとは違う世界でしょう。
ただポワロの作品である「ホロー荘の殺人」(46年)の登場人物ミッジのリアルな心情の吐露でもわかるようにけっしてクリスティは現実を忘れませんでした。
だからこそクリスティのミステリはさまざまな時代の風俗の手がかりとなる面ももっています。
ミス・マープルという人物
一般的に恐ろしい人物として周囲に思われがちです。これは本作「牧師館の殺人」から実質最終作品「復讐の女神」(71年)まで変わることがありません。やっぱコワイス。
それもひとによりとられかたが違う点でもユニークです。友人達はジェーン・マープルに一目をおき頼りにしますが、必要以上に恐れません。
それはミス・マープルと同じある規範によって動く人たちだからでしょう。
これは思考と行動の様式が徹底した、肉体化された教育を受けた人たちだからでしょうか。型を身につけているのですね。
しかし実際それでもジェーン・マープルは恐るべき人物です。
女性は女性に厳しいものですが、ミス・マープルは気性がきわめて男性的であり行動的ということもあって正義のためには「義を見てせざるは勇なきなり」を地でいき、そこらのメイドであろうが若奥さんであろうが自分であろうが女性をおとりにします。
ミス・マープルは探偵でも刑事でもないので仕方のない側面もありますがハッキリいって恐ろしいです。
これがヴィクトリア朝の人物の恐ろしさです。日本なら幕末明治の方々でしょう。
もし現代にクリスティのミス・マープルが存在していたらスマホを駆使してSNSで人物をおしはかっていたかもしれません。
そうなったら世界中全員セント・メアリ・ミードの住人です。「おいでよ、セント・メアリ・ミード村」ですね。
女性的な感性と男性的な思考と全人的な行動様式を重ね持った稀有な人物です。
アガサ・クリスティのおばあさんはすごかったのですね。ポイントは「口が堅い」です。
「牧師館の殺人」のまとめ
この「牧師館の殺人」は女性なら納得できる行動するさいの不備をついてミス・マープルは事件を明らかにしていきます。
これは若いオンナに振り回されている牧師では無理でしょう。またマチズモバリバリでもまた無理でしょう。
アガサ・クリスティの作品での謎解きは日常の観察眼が問われますが、これが難物です。人類の半分は異性ですが私達はもう半分の人類の行動様式をよく理解しているとはいえません。
この「牧師館の殺人」はそれをよくおしえてくれます。